先日、日本体育大学同窓会から、突然電話があった。マリちゃんと顔を見合わせながら、『俺達、同窓会費払ってないからかな?』と、少し緊張しながら電話に出た。すると、私のエッセイを読んだ日体大のOBであった。『ぜひ、私の絵が見たい』という依頼である。私の描いた絵を日体大同窓会会誌『體窓』の表紙にしたいらしい。母校からの依頼なので快く受けたものの、私の絵で良いのか心配になった。当日、幹事長の男性と若い女性が自宅に訪ねて来た。幹事長は、私より2年先輩。一瞬にして学生時代に戻ったかのように緊張した。その先輩は、アメリカンフットボール部にいたと聞いて、話が盛り上がった。実は、相撲部の隣がアメリカンフットボール部の部室であったのである。学生時代に会っていたと思うと、とても不思議な感じがした。昔の話に盛り上がりながら、絵の貸出しと講演の依頼も何気なくされてしまった。私は何も考えず『良いですよ。』と即答。それが後で、大変な事になるとは思ってもみなかった。その時は、久し振りに学生時代を思い出して、楽しい一時であった。
 後日、講演の日程や場所などが書かれた書類が届いた。確認してみると、『平成11年度、定例代議員会』の中で、講演するらしい。日本体育大学学長や日本体育大学同窓会会長、学校法人日本体育会理事長、代議員、表彰受賞者の大先輩の前で、話すことになるのである。現在の学長は、私が相撲部にいた時、顧問だった教授で、とてもお世話になったのである。相撲部の先生の名前を聞くだけで、今でも緊張してしまうくらい私にとっては凄い存在。何と言っても、1年生が奴隷で、4年生神様の時代なのだから…。その時の先生の前で、私が講演をするなんて創造するだけで胃が痛くなった。
 当日、絵を持って、ボランティアの福田さんが運転するハンディキャブで出掛けた。二子玉川の会場につくと、出迎えの同窓会の方に誘導されながら控室に入る。さすが体育会系、挨拶はしっかりと大声である。控室で、前回講演をされたという日体大の先生と会った。なんとその方は偶然にも私と同期。しかし、私は緊張感から、うまく会話出来ずにいた。その先生は、長野のバラリンピックや神奈川障害者国体に、大勢の学生を連れて、ボランティア活動されているという。優しい気持ちが嬉しく、少しリラックスしてきた。そうしているうちに講演の時間に。
 ドアの前で深呼吸をしてから入場。前列に学長の姿を見た途端、一瞬にして緊張感がピークに。私の紹介が終わり、いよいよ講演の始まりである。私は、大先輩達の前で挨拶をしようとしたが、声が出てこない。もう一度、挨拶をすると声が出たので、そのまま話し続けた。緊張して声が出なかった事は、今まで初めての事なので自分でもビックリ。何とか話し終え、気分的に楽になっていた時、最後、学長からの言葉があった。学長の話に集中していると、学長が声を詰まらせながら話されていた。見ると涙を流しながら話されていたのだ。何か胸に迫りくるものがあったのだろう。顔を上に向けられたまま動かず、耐えられている姿を見て、私も大粒の涙が次から次と溢れだしてきた。なかなか涙が止まらず、自分の手で涙を拭く事もできずにいた時、講演中、私に付き添ってくれた同窓会の女性が涙を拭いてくれた。『ありがとうございます。』と女性の顔を見ると彼女も涙を流しながら鼻をすすっていた。会場の方を見ると、学長の涙に誘われて他の参加者の方も涙を流されていた。その会場で、皆の気持ちが一つになって、優しさが伝わってきた。ゴリラが怪我をしてから人前で、初めて泣いた日であった。『先生、ありがとうございます。』という熱い思いの涙だった。
 講演後、大学長招待の懇親会にボランティアの福田さんと参加した。私は、一番奥のテーブルに通され喜んでいたら、そこは招待者の席で、一番前のテーブルだった。食事が運ばれ、福田さんに食べさせて貰っていると、右隣の松尾雄治さんに気がついた。彼は確か、明治大学のラグビー部出身で、新日鉄釜石ラグビー部が日本一7連破を成し遂げた主将だったのである。何故、日体大の懇親会に来ているのかと思っていたら、娘さんが日体大生で、PTAからの招待らしい。左隣には、体操の滝澤先生(元オリンビック金メダリスト)がいた。滝澤先生には、学生時代大変お世話になったのを思い出した。鉄棒の蹴上がりができず、相撲部で私ひとり鉄棒の単位が取れない時、鉄棒の指導を頂いて、蹴上がりができるようになったのである。懇親会の最後のスピーチで、滝澤先生は『蹴上がりは教えてできるようになったが、前方宙返りを教えなかっからこんな大怪我をした。』と話されて、私は大笑いした。懇親会では、多くの大先輩から声をかけて戴きありがたいと思った。また、学生時代、相撲部の鬼?コーチだった先生が、『頑張っているね。』という言葉を頂いた。『頑張ってね。』と言われても、どう頑張ったら良いのか辛いが、『頑張っているね。』と励まされると、本当に嬉しい気持ちになった。ちょっとした言葉の違いだが、受け取り方は大きく変わるものである。とにもかくにも、心があったかくなり、思い出深い、いい1日だった。