ガッタン、ゴトン!ガッタン、ゴ・ゴトン!オーと…怖えー!横揺れで、電動車イスが横倒しにー。横にいた日高さんが電動車イスを支えてくれて一安心。先日、全国頚髄損傷者連絡会・岐阜大会に友人の日高さんと参加。彼女は、昨年結婚した美人妻。以前、老人施設で知り合って、今回初めて私の付添いをしてくれた。名古屋からJR岐阜間の快速電車は、凄い横揺れであった。
 新横浜駅からJR岐阜駅まで、新幹線・JRすべてエレベーターが設置されており、ホームへの移動がとても楽であった。やはり、エレベーターがないと電動車イスの移動は不可能。エレベーターで思い出したが、今相模鉄道の"希望ヶ丘駅"が改装工事中。エレベーターを付けるスペースがないらしくエスカレーターが設置された。車イス対応のエスカレーターで、3段のステップが真っ平らになり、車イスで移動できると言う。しかし、真っ平らになる所の奥行を計ってもらうと115cm。その大きさでは、私の電動車イスは乗れないのである。なぜ、その大きさになったのかと尋ねるとJIS規格だからと言われた。私の身体はjIS規格にあわないのか…。電動車イスは、ひとりひとり身体に合わせて作るので、身体の大きい人は安全性面から前後の長さが長くなる。何を基準にJIS規格が決まったのか疑問。このままだと私と同じような人は、エスカレーターには乗る事ができないのである。
 JR岐阜駅に着くと雨。そこからは県のバスで移動。小型のリフト付き観光バスで車イス4台が乗れる。長良川そばにある"岐阜ルネッサンスホテル"に到着。リフトから降りる途中、雨で濡れないようにボランティアさん2人が左右から傘をさしてくれた。しかし、2つの傘の間から雨が流れ、リフトで下りた時には顔までびっしょり。そのまま誘導しているボランティアの女性について行こうとした時、突然その女性が自分のハンカチを出して、私のデカイ顔を拭いてくれたのである。驚きとテレくささがあったがその優しさが嬉しかった。チェックインして、ホテルとつながっている隣の長良川国際会議場の会議室に向かった。ホテルも会議場も素晴らしい建物で、有名な方の設計らしい。会議室まで行くのに迷路のようで迷子になりそうである。機能性も大切なのでは…。
 会議室に行くと講演が終わり、現在就労している4人のパネラーが登場して、「重度障害者の就労を考える」シンポジウムが始まった。その中のひとり、全国頚髄損傷者連絡会の会長が、「私が仕事をしているのは、チャレンジではない!自分が仕事をやりたいからやっているだけで、人から言われた事でない。」と話していた。そして、「仕事をするのには、通勤や尿・便漏れなどいろんなリスクがある。たとえ便が漏れて着替える事ができず皆に迷惑がかかっても、それでも仕事は辞めない。仕事が楽しい!」と話していたのに感動した。会長は、コンピューター情報処理センターでシステムエンジニアとしてソフトウエアの開発に携わり、現在大手の旅行会社に勤め、電動車イスに乗り自らも国内、海外の下見を行い、障害者の視点からハード、ソフト両面の検証を行いツアーに反映させている。旅行のバリアフリー化の先人を切った人である。会長の話を聞いていると引きこまれる魅力があった。
 2人目の女性は、現在公務員として就労。その女性は、横浜博覧会が開催される前に、コンパニオンの募集があった。「車イスではダメと書かれていなかったので応募したら採用された。」すごいパワーを感じた。その時の経験が就労するきっかけになったらしい。
 3人目の男性は、交通事故で頚髄損傷。入院中に友人からパソコンを勧められ、退院後も自宅でパソコンをマスター。パソコンでアルバイトをしながら、編集企画の仕事ができるようになり、昨年から重度障害者就労支援事業やバーチャルメディア工房事業で活躍中。
 4人目の男性は、体育の教師を目指していた男性で、小さい頃から体育の教師になるのが夢で、念願の体育大学に合格した。しかし、在学中に交通事故に逢い頚髄損傷に。現在、会社でパソコンを利用して管理部長として活躍中。4人のパネラーは、私より障害の状態が良く手を動かせるが、手が動かせると言っても物を掴む握力はない。そんな状態でも、本人のやる気と情熱があれば就労ができるという事である。
 交流会で、宝塚から友人と一緒に参加しているボランティアさんを紹介して貰った。その方は、私が話し出すと急に手に持った小さな箱を私の口の前に突き出した。何なのかと見てみるとそれは補聴器であった。自分で作ったという補聴器は、調子が悪いので直接私の声を聴こうとしていたのである。ある日、朝起きると全く耳が聞こえなくなったと言う。突発性難聴らしい。片方の耳は全く聞えず、今補聴器を使っている耳も聞えずらくなっていると明るく話してくれた。
 交流会後、部屋でいつもの飲み会が始まった。電動車イスが5台と車イスが1台、全員で10名が入る。それは、部屋の椅子やテーブルは積み重ね、ベットも移動させて電動車イスが入れるスペースを作るからである。もう、ボランティアさんも慣れたもの。近くのコンビニで、ビールやチューハイ、おつまみを沢山仕入れて皆で夜明け近くまで盛り上がった。関西の人は、話も上手く笑わせ方も上手いので、時間が経つのを忘れてしまうほどである。関東の笑いと関西の笑いは違うようだ。関東は人の欠点を笑い、関西は自分を笑ってもらう。そんな違いがあるように思った。今回の総会で、いろんな方の話が聞けた。障害があろうとなかろうと自分のやりたい事をやるのは、大変なリスクがあるが、それを乗り越えて進んで行く所に、人生の楽しみがあるような気がした。瞳が輝き、自信に満ちあふれた仲間たちに会って、またエネルギーをもらってしまった。