最近、凶悪な犯罪が日本でも多発し始めている。「治安がいい日本」で、有名だったのに…いったいどうしたことだ。罪犯す人間、人生において深い深い心の傷を負ったせいなのかー。
 先日テレビで、アメリカには犬を育てる刑務所がある事を放送していた。殺人・傷害・麻薬常習など、最も凶悪な犯罪で罪に服す女性たちの刑務所であった。ここでは、受刑者たちが身体の不自由な人の生活をサポートする犬、介助犬を育てている。捨て犬や野良犬を引き取り刑務所の中で育てるのだ。犬たちを施設から救い出すことにもなる。一度は、人間に見捨てられた行き場のなくなった犬たちを受刑者たちが訓練させている。その訓練の中で、動物たちが与えてくれる不思議な癒しの力に、怒りや憎しみに凝り固まった受刑者たちの心が開かれていくのだ。人間と同じように犬にもいろんな性格があり、マッチングが上手くいかないこともある。1年ほどに及ぶ犬の訓練で、最初の難関は人間不信と恐怖に固まっている犬の心を開かせることだという。犬が心開くまで、何度でも語りかける。繰り返し、体で覚えさせる。犬も自分の役割が見とめられることに誇りを感じるという。だから喜んで、身体の不自由な人の支えとなるのだ。介助犬育成プログラムは、犬と人間がお互いに誇りを取り戻すプロセスなのだ。介助犬の仕事は、幅広く多岐にわたる。たとえば、電気をつけたり、ドアを開けたりと様々な動作が求められる。障害者の精神的な負担を減らすことにも役立っている。一般に障害者は、一方的に介助を受ける立場になる。
 しかし、介助犬の場合には、障害者も犬の世話をしなくてはならない。頼るだけでなく、頼りにされる関係にもなるのだ。介助犬に必要なのは、主人との信頼関係。お互いの間に深い絆がなければ介助犬は命令どおりに動かない。お互いが必要とするからこそ、障害者と介助犬はパートナーと呼べるのだ。介助犬のお蔭で、積極的に外出でき、そのお陰で自信と誇りを取り戻すことができるのである。
 1990年『障害を持つアメリカ人法(ADA法)』が制定され、障害者は介助動物を連れて、ホテルやレストラン、交通機関などを利用することが権利として認められるようになった。現在、アメリカ全土で2万頭のほどの介助犬が活躍しているという。それに比べて、日本の介助犬は数十頭しかいない。また、定義付けや法的な位置付けがしっかり整備されていないためいろいろな問題がおきている。兵庫県に住む車いすの男性の介助犬(ラブラドール・レトリバー、雌)は、電車や新幹線の試乗試験を受けて許可がないと乗車できないシステムになっている。また、鉄道各社が個別に審査しているため、毎回介助犬は脚を踏まれ、騒がないかというチェックまでされているのだ。道路交通法で認められている盲導犬は、電車に同伴する場合、許可や試験は必要ない。盲導犬は、認められつつあるといこと。介助犬はこれまで、飲食店やホテルでペット視され、入店を断られることが多く、社会的認知が遅れている。日本でも一日でも早く、介助犬の公的援助と公的基準を作ってほしいものである。
 今、人と動物の関係が変化しつつある。アメリカでは、動物たちが与えてくれる不思議な力。動物の持つ癒しの力を利用したアニマルセラピーがある。精神的に障害を持った子供たちのための施設もある。親の怠慢や虐待などで、心の傷を負いながら育った悲劇的な過去を体験した子供たちにアニマルセラピーを実践している。動物との触れ合いを通して、心の回復を図るのだ。人間にとって動物の存在は、とても重要なこと。最近の医学では、動物たちと一緒にいるだけで、血圧を押さえたり、心臓発作の確率が減ることが認められている。私が入浴でお世話になっている老人施設にも、犬や猫、鳥などと共に生活し接することで、元気になられたお年寄りが多い。動物に生きる力を貰っているのである。
 わが家にも、コロンというヨークシャテリア犬がいる。伊藤家3代目の愛犬である。父がほとんどコロンの面倒をみているため、毎日の散歩で父が外に出るようになり、いい運動になっている。父が階段を上がろうとすると、コロンは先に上り、父の手助けをするのだ。階段の上で、父がコロンの足をにぎると引っ張り上げようとするのである。なんと賢い。朝マリちゃんが私を起こすように言うと、私のベットに飛び乗って、顔までかかっている布団を両手ではいで、私の顔中を舐めて起こす。我が家にコロンがいることで、会話も増え笑顔が絶えない生活が送れる。コロンは、家族にとって身体の一部のような特別な存在になっている。動物たちが与えてくれる不思議な力。動物の持つ癒しの力はすごいパワーだ。今の青少年にも、動物とふれあう機会が必要ではないだろうか。