母校である日本体育大学の同窓会で、講演をした時に知り合った同期の先生から電子メールがきた。『私が担当している授業で、今年度からスタートした、「障害者スポーツ論」の授業にゲストスピーカーとして来ていただけないでしょうか。』との内容。思わずビックリ。社会体育学科の1年生を対象とした科目らしい。私のワンパターンの話でよければという事で了解。それに、横浜市青葉区にある健志台キャンパスで行こなうと聞いたので懐かしくなったのだ。22年前の健志台キャンパスは、まだ校舎もなくグランドだけであった。どのように変わったか一度見たくなったのである。 当日、2時限目の授業に間に合うように早めに、横浜市のハンディキャブで出掛けた。旭区の自宅からから健志台キャンパスまで、1時間もかからず到着。予定より早く着いたにもかかわらず、先生と事務の2人の女性が出迎えてくれた。エレベーターに乗って控え室に案内して貰いながら、授業する教室を見学させて貰った。しかし、教室は、机と机の間が狭く、机と椅子が固定されているので、私の電動車イスでは教壇まで通れない。急きょ、先生が教室の変更をしてくれた。授業の時間まで控え室でのんびりする間もなく、さぁー授業開始。変更された教室は小さく、見る見るうちに学生で一杯に。先生が私の紹介をしている間、私は学生ひとりひとりを見ていた。今の学生は、顔が良く金髪にピアス、服装もなかなかオシャレでカッコイ。私たち学生の時とは比べ物にならない。未だに、マリちゃんは、『武道科は、汚いカッコウをして、真冬でもビーチサンダルを履いていた。』と言っている。 私の話が始まると急に静かになり、学生の真剣な眼差しが突き刺さってくる。話の前半で、私が怪我をして入院していた状態や辛さを話し終えた時、突然一番前にいた学生が立ち上がったのでビックリした。何事かなとその学生を見ると顔は真っ青で今にも倒れそうで立つのがやっとの状態。先生が『どうしたのか』と尋ねると、学生はかすかな声で『気分が…』と言いフラつきながら教室を出て行った。その時ふっと、昔私が首の骨を脱臼骨折して入院していた時に、大学の相撲部の後輩が2人面会に来てくれた時の事を思い出してしまった。後輩は、『こんにちは!』と部屋に入ってきて私の顔を見た途端、突然崩れるように倒れてしまったのである。直ぐに看護婦さんを呼んだが全く意識がなく、別室に運ぶ事になった。 しかし、その倒れた後輩の体重が約130kgもあったので、簡単にストレッチャーに乗せることができず、他の看護婦さん4〜5人に来てもらって、皆で抱えてやっとストレッチャーに乗せて別室に運ばれて行った。意識を取り戻した後輩は、あまりにも私が重症だったので貧血を起こしたらしく、私に逢わずに帰っていったのである。話を聞いていた学生も、怪我当時の『頭蓋骨に穴をあけ、ワイヤーで頭をひっぱられ…』という話できっと想像して気分が悪くなったのに違いない。今になるとおかしいのだが…。そんな事を思っていると自分がどこまで話したのか分からなくなってしまった。 質問にも答え授業が終わると、男子学生2人が健志台校舎を案内してくれる事になった。学生は、サッカー部とカヌー部に在籍し、私のために段差がないか走り回ってくれて、私が楽に移動しやすいように誘導してくれた。ふたりの優しい心遣いが嬉しい。広くて立派な施設を見学し、学食に案内された。ちょうどお昼とあって、学食は混んで賑やか。私も食事をしたいと思い、メニューを見に行くと種類の多さにびっくり。広い学食のテーブルが満席の中、先ほど授業をしたクラスの女子学生の席で、食事を食べさせて貰った。女子学生を近くで見ると、さすが日体大生!腕や足の筋肉がムキムキ発達していた。久しぶりに学生気分に浸り、昔を思い出してしまった。私は学生時代、怖いもの知らずで肩で風をきって歩いていたもんだ。そんな私が今では、顔や性格も丸くなって…。すっかりまんまる二重アゴ…!! 我が母校の後輩は、昔と服装や髪型はまったく違うが、皆いい子で、優しさと思いやりがあって安心した。今の若者達の良い所が発見できて、自分も学生に戻ったようで楽しい一時であった。今回、ゲストスピーカーとして依頼してくれた先生、介助してくれた後輩ありがとう!後輩諸君、ボランティア活動もよろしく! |
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