小倉〜小倉〜"と懐かしいアナウンスが響く。急に心臓の鼓動がドキドキと早く打ち始めた。マット運動の失敗で、首の骨を脱臼骨折してから、22年ぶりに初めて故郷に帰省した。新幹線のぞみからホームに降りると、ムーとする熱気に迎えられ、前方に小倉の街が見えた。全体を見渡すと駅前に"そごうのビル"が建ち、新しい街に変わってしまったのを目の当たりにして時の流れを感じた。時の流れと共に、私も大きく変わってしまった。昔は、胸を張ってでかい身体とでかい態度でよく歩いた町並みだった。
 エレベーターまで、駅員さんの案内について行くと、突然マリちゃんが『あー!先生!』と叫んだ。前方を見ると高校時代の恩師がホームまで、迎えに来てくれていたのだ。ビックリして慌てて挨拶すると先生は、『太ったな〜』と私のデカイ顔を触りながら、笑顔で出迎えてくれた。奥様も一緒に来てくれて、26年ぶりの再会となった。先生夫妻を見たら目頭が熱くなってしまった。
 駅ビルにあるホテルにチェックイン後、部屋でゆっくり昔話に盛り上がった。高校の3年間、寮生活をしていた私は、時々先生宅に招かれては奥様の手料理をご馳走になったものだ。なんとなく家庭の温かさを味わせて貰っていたのかも知れない。私が寮にいたのは、母が学校に頼み込んで寮に入れたからである。実は、中学時代担任の先生から『良い方に進むといいが、悪い方の道に進むととことん悪くなるだろう』と言われていたからである。通学できる距離なのに、『これ以上、悪くならないように』と無理やりに…。そのお陰で、本当にいい経験ができた。ただ、寮長の説教の正座は一番辛かったが…懐かしい。学生時代の話に花が咲いた。
 夜になって、高校の先輩でもあり、日体大相撲部の先輩でもあった山本さんがホテルまで会いに来てくれた。懐かしい。大学時代は、毎晩のように深夜まで麻雀をしたり、よく食事をご馳走になったりした。学生の頃は、本当によく食っていた。話の中で、今回初めて分かった事があった。実は、先輩と奥様との出会いを私がキューピット役をしていたのだ。話によると、当時私が大学4年の時、教育実習のため故郷に帰省していた。自宅から母校の高校まで電車で通うため、同じ電車に途中から先輩も同乗していた。毎日、同じ電車の同じ車両で待ち合わせていた。ある日、先輩が乗る駅からかわいい女子大生が乗ってきた。先輩は、以前からその女性に興味があったが、声をかけられないでいたらしい。私がその事を知って、その女性に声をかけて話すきっかけを作ったのだ。その日の帰りの電車に、先輩とその女性が偶然にも同じ車両に乗ったので、ふたりで私の事をネタにして盛り上がったらしいのだ。駅から先輩が彼女を家まで送った所、なんと先輩の自宅のそばであったのだ。それから、ふたりの付き合いが始まり、結婚となったのである。そんな事を先輩から初めて聞かされてびっくりした。私は、その女性に声をかけた事も全く覚えていなかった。今では3人の子供さんに囲まれ夫婦仲良く幸せに暮らしている。嬉しい事だ。先輩には、高校と大学時代、本当にお世話になった。先輩から大学へ誘われなかったら、マリちゃんとは絶対に出会えなかったはずである。そう考えると、この世の中は本当に不思議な縁でつながっているのだと思った。
 翌日の午前中、ハンディキャブ(電動車イスで乗れる車)で故郷の直方市に帰る途中に、同じ障害を持つ友人宅に寄った。今回、帰省するための情報や仲間を紹介してくれた方で、頚髄損傷歴40年以上の大ベテラン。海のそばに家を建て、ヘルパーさんの介助を受けながら、ひとりで生活を続けている。アジアなどにもひとりで出掛け、現地でヘルパーを探し旅行もする。その話を初めて聞いた時は、とんでもない事をする人だと思ったものだ。今では、私の尊敬する人であり、友人でもある。久しぶりに会い近くの浜辺に行って潮風に吹かれながら語り合った。マリちゃんは、2人の写真を撮ろうと一生懸命。昼食にお寿司とお刺身までご馳走になってしまった。これがまた美味しくて感激。3時間の滞在であったがとても楽しい一時であった。
《つづく》