とうとう故郷の直方市へ。ハンディキャブ(電動車イスで乗れる車)の高窓から見た外の景色に昔の面影は全くなく、田舎は変わってしまっていた。見慣れている遠くの山並みも昔とは違って見える。自宅は、段差や階段があり移動も大変なので、最近建設された車イスで宿泊できる公共の宿"いこいの村"に向かった。予約していたハンディーキャップルームは、ツインのベッドに和室6畳が一緒になっており部屋が広い。その部屋に、親戚11名が尋ねてきて大騒ぎ。母とは、5〜6年ぶりの再会。幼い頃に母は離婚しており、女手ひとつで私を育てた。私は、あまり話さない子供だったらしい。それが今では正反対の性格に…?!母とはテレくさく、ゆっくりと話せなかった。実際話さなくても分かり合えるという事もあるのだが…。夕食前から部屋で宴会が始まり、私の子供時代の話で大盛り上がり。話の中でマリちゃんが大受けしてたのは、幼稚園時代1つ年上の女の子とお風呂に入っていた時、突然その子に向かって『ちゃんと洗え!』と何度も言ってその子を泣かせたらしい。実はその女の子は、身体が汚れていたのではなく、肌が地黒だったので汚れて見えたのだ。覚えていないが、かなりのあばれん坊だったらしい。屋根に登って降りられなくなったとか…。
 翌日は、兄弟のように育った従弟の経営する店に行き、久しぶりの対面。髪の毛が…亡くなった父親にそっくりになっていたのでとても驚いた。彼は、フランス料理のオーナーシェフとして頑張っている。店の看板もなく小さな店と思っていたのだが、なんと森に囲まれたオシャレな店だった。高級感のある和風の建物で、全部屋が個室となっていた。素材を活かしたサッパリとした味で、食が進みなかなか美味い。その店に同じ障害を持つ友人が、電動車イスで40分もかけて会いに来てくれていた。彼は、高校生の時に交通事故で頚髄損傷になった。現在講演活動や障害者の会報の編集委員をしている。皆と最高のフランス料理を食べて、心がまた豊かになった。
 夕方は、小倉のホテルへ。ハンディキャブを運転してくれた方は、若くて気さくで優しい人であった。安い給料なのに4年間もやっているという。休日も脳性マヒの障害を持っている友人の所へボランティア活動をしに行くという。彼いわく『若い人がこういう仕事やらないといけないと思う』と。若くても人間的に素晴らしい人がたくさんいる事が分かって本当に嬉しかった。日本全国いいヤツはたくさんいるんだなァ〜。感激!
 到着後、友人から紹介して貰ったキム・チングさんに会った。彼は、40数年前に事故で頚髄損傷になり、寝たきりの状態になった。昔はリハビリもなく、そのため間接が固まってしまい車イスに座る事ができなくなってしまった。褥創(床ずれ)ができないように常にベッド上でうつ伏せの状態にさせられ続けていたのだ。以来40年間、うつ伏せの姿勢のままなのである。彼は何とか自分で移動できないものかと、いろいろな業者にも相談したが、何年も難航したのだ。諦める事のない彼の熱意と行動力で、ついにストレッチャーの下に動力を付けた特殊な電動車イスができたのだ。現在、2代目のストレッチャー式の電動車イスにうつ伏せに乗り、握力のない右手で操作しながら移動をしている。66歳の高齢とは思えないほど、毎日精力的に行動している。市役所のエレベーターが狭くて乗れないのに憤慨していた。私の電動車イスも大きいので、大いに共感した。ストレッチャーが乗れる長さのあるエレベーターの設置が望まれる。彼は、小倉駅周辺では有名人になっている。
 翌日から大分県別府に行つて地獄めぐりをして湯布院を回った。地獄めぐりは、バリアフリーになっていて、私の大きな電動車イスでも大丈夫であった。小学生の頃見た各地獄はとても大きく見えたものだが、久しぶりに見た地獄は小さく感じられた。しかし、迫力は満点。湯布院の駅舎から長いストリートが続く。石畳の歩道の両脇には、藍染のギャラリーやカゴ細工の専門店、骨董品屋、喫茶店・センスのいい店が軒を並べ、つい覗きたくなるような作りであった。如何にも女性が好みそうな温泉地である。昼食を取った店も昔の庄屋をそのまま店にした作りで、木々に囲まれた湯の里ならではのしっとりとした雰囲気が漂っていた。
 今回の旅は、パソコンのインターネットのホームページや友人からのEメールなどで情報を集め、バリアフリーのホテルやハンディキャブの予約、電車の時刻表などを調べた。各ホテルでは、私を電動車イスからベッドの移動を手伝ってくれて本当に助かった。地方に行くとまだまだバリアが多く車イスでは不便だが、人の心のバリアはなくなりつつあるように感じた。旅は、いろいろな人との出会いもあってステキであった。マリちゃんに感謝。