今度は、夢の電動車イスに希望を膨らませながら福祉車両のコーナーに向かった。今年も国際福祉機器展には、日本の自動車会社からいろいろな車が展示されていた。毎年、新しいハンディキャブを見るのも楽しみ。以前から、私の電動車イスで乗れるコンパクトな車を捜しているからである。電動車イスの移動は、公共の交通機関の利用が一番であるが、どの交通機関も完璧なバリアフリーではない。今の日本では、車でしか出掛けられない所が多いのだ。私が乗れる車は、大型車しかない。本当に望んでいるのは、コンパクトで床が低く、天井の高い車を希望しているのだ。しかし、どの車も普通の車イスを対象に作られているせいか、室内高の低い車ばかりでガッカリ。私が大きすぎるのか…。天井が低いと圧迫感があり、介助もしづらいのだ。何処のメーカーも最初から障害者用の車を作ろうという設計思想からではなく、既存の車をベースにして作られているので、床がどうしても高すぎる。床が高いのは、後輪のタイヤの出っ張りを隠し、床が平らに見栄えをよくするだけのものでしかないのだ。床が低くいと、リフトを付けない分コストを押さえる事ができ、天井も高くなる。そうすれば、窓から外の景色が見えるようになるのだ。安全に移動できる事は当たり前の事だが、車から外の景色が見えるという事が一番大切な事だと思う。外の景色を見る事で、ドライブを楽しんだり爽快感と季節感も感じる事ができるのだ、福祉車両の普及と開発の促進のため、ユーザーの直接の声や要望が、開発・製造にあたるメーカーに伝わっているのだろうか。
 そんな中、ジョイスティックカーでアメリカ大陸を横断した車が展示されいた。ジョイスティッカーとは、電動車イスに乗ったままジョイスティック1本で運転できるように改造された車の事である。エンジン点火は、スイッチを押すだけ。ジョイスティックは、1本棒のようなもので、その棒1本でハンドル、アクセル、ブレーキなど車の運転が必要な基本的な操作ができる。ジョイスティックを左右に傾けるとハンドルとしての役割があり、手前に弾くとアクセル、前に倒すとブレーキが利くようになっている。私のアゴで操作する電動車イスと同じ操作の仕方である。
 その車はアメリカ製のダイムラークライスラー、ダッジグランドキャラバンの99年型で、コンパクトで床が低くくてリフトがない。電動車イスからのリモコンで、車の横のドアを開閉し、車に設置してあるスロープを下ろし、そのままジョイスティックが設置してある運転席に電動車イスのまま固定する。この車で、進行性筋ジフトロフィという障害を持った男性がわずかばかり動く手で、運転をしながらアメリカ大陸を一周してきたのだ。進行性筋ジストロフィとは、体が成長するにしたがって筋肉が衰えて行く難病の事。彼がこの旅を挑むことになったのは、6年間のアメリカ留学中に重度の障害者がジョイスティックカーを運転していることを知ったからである。
 カリフォルニア州バークレから出発してフロリダ州キーウエストまでアメリカ大陸を横断して、そこからルートを変えバークレまで戻った。前半の横断の様子はテレビで見たが、長時間の運転で過酷にもかかわらず、彼は眼がイキイキとして実に楽しそうなのである。旅の途中には、障害者の自立生活センターや障害者の施設に立ち寄ったり、テレビ出演やグランドキャニオンでの野外キャンプ、障害者の詩人に会ったり、スキューバーダイビングにもチャレンジしながら旅を楽しんでいた。長時間の運転で手が疲れて運転操作を誤った時は、隣の人がハンドルで修正できるようになっているので安全対策は万全。54日間におよぶ長い距離を運転した彼は、人と社会の応援があれば重度の障害者でも運転ができること。そして障害者の持つ可能性を世の中に訴えた。ちなみに、ジョイスティックカーの購入費は、改造費を含めておよそ1000万円。そのうち改造費が700万円。アメリカでは、障害者の程度に応じて改造費は国や州から補助金が出るのだ。現在彼は、日本バリアフリー協会を立上げ、障害者や高齢者の社会的地位、および生活水準の向上に寄与することを目的に頑張っている。
 以前にも、日本で初めてジョイスティックカーを米国から持ちこんで、全国にキャンペーンをしたジョイプロジェクトというのがあった。その時、米国では重度の障害があっても自分で車を運転している事に驚かされた。規制の厳しい日本では、ジョイスティックカーで公道を走れるのは難しいと思っていたが、多くの方の支援や協力、当事者の頑張りで2人の頚髄損傷者が1998年8月、日本初ジョイスティックでの運転免許取得した。最初に日本の国を動かた仲間を誇りに思った。私が車を運転できる日がいつの日かやって来るのかもしれない。夢が膨らむ…。