最近、マリちゃんが、私と一緒に出掛けると『疲れる』とつぶやく。『電動車イスは、座ったままで楽そうだネ!』という。介助者は、電動車イスについて歩くと、突然止まったり走ったり、速度も一定ではなく、人にぶつかるのではないかと、とても気を遣うらしい。私の電動車イスの操作を信用していないのだ。私としては、操作には自信があるのだが…。3年前、トラックに右手をひかれているからしょうがないか。私の電動車イスは、アゴで操作するので楽ではない。首や肩の筋肉がガチガチに凝り、吐き気がすることもある。そんなときは、リクライニングして休む。日本の電動車イスと比べると楽かもしれない。ちなみに、メイドイン“カナダ”である。何とか、電動車イスにマリちゃんや友人を乗せて走れないものかといつも考えていた。あるとき、何かとお世話になっている野中さんが、左膝の半月板を手術することになった。野中さんが、『この膝じゃ、キックボードかスケボーに乗って移動しなきぁ−』と言ったときにピンときた。そうか!電動車イスの後ろに、スケボーをつないで、それに乗ってもらって引っ張って走ればいいのだと思った。しかし、どうやってスケボーを取り付けたらいいかが問題であった。普段、自分の電動車イスの後ろがどうなっているのか、あまり見たことがない。野中さんにスケボーを買ってきてもらい、ふたりで東急ハンズに行って相談してみた。電動車イスの後ろの両脇には、転倒防止の金具が付いている。その両金具に、ワイヤーを張り固定する。そのワイヤーの真中に輪になった金具を取り付ける。その輪にスケボーの先に取り付けた金具をつなぐ。ワイヤーの輪とスケボーは、簡単に取り外せるようにして、スケボーを使わないときは、電動車イスに吊るせるようにしたらいいと考えた。金具類は、野中さんの助言で、簡単に取り外せるように登山用のカルミナを利用することにした。係の女性に、口で説明するのは難しかったが、野中さんの助けもあり、何とか事情が伝わった。その女性は、とても親切で、私の考えどおりにスムーズムに金具を取り付けてくれたのにはびっくりした。みごと完成となった。 早速、試運転として、桜木町のパシフィコ横浜に“横浜トリエンナーレ2001”を観に行くことにした。東急ハンズから、スケボーをつないで地下鉄エレベーターまで走ってみた。なかなかいい感じである。地下鉄で、桜木町駅に移動し、動く歩道からスケボーをつないでみた。走りは順調で、スケボーに乗った野中さんはとても眺めが良く、楽だという。ただ、急停止すると電動車イスのヘッドレストにぶつかったり、デコボコの道路ではスケボーのタイヤの音がうるさく振動も凄い。今、振動や音対策に小さなタイヤを探している。その後も、横浜駅でも走ってみたが、多少の段差は乗り越えられるし、小回りもできて、なかなかいい走りである。今度は、マリちゃんをスケボーに乗せて、どこかに行こう!きっと、ギャーギャーうるさい事だろう。 横浜トリエンナーレ2001は、現代アートの祭典で、トリエンナーレとは3年に1度に開かれる美術展のことらしい。今回が1回目で、世界38カ国109人のアーチストの作品が横浜に集まった。展示場は、パシフィコ横浜会場だけでなく、赤レンガ1号倉庫やみなとみらい地区などで展示され、横浜グランド・インターコンチネンタルホテルにバッタが吊り下がっていたのにはビックリした。この巨大バッタバルーンは、全長約50mで幅22mもあり、重量約800kgだという。開催中、突風や風圧で破れたり、強風で上がれなかったりしたらしい。私が桜木町に行ったとき、いつもバッタが見られたのは運が良かったようだ。パシフィコ横浜の会場は、アートといっても絵画や彫刻はほとんどなく、映像やビデオ作品が多く、テクノロジーもアートだという考えのようだ。一番人気があったのは、蔡國強(ツァイ・グオチャン)さんの作品であった。薄暗い場所に、大きなかやが天井から吊るされ、その中にマッサージ器が何台も置かれ、上から花火のように綺麗な光が点滅する。野中さんもマッサージ器に横たわり、気持ちよさそうにリラックスしていたが、ほとんどの方は眠っていた。私も、電動車イスの背もたれをリクライニングして光を見ていたが、リラックスするどころかなぜか心臓がドキドキしてしまった。また、フランスパンをお面のように作り、それをつけたまま各国で撮影された写真が展示されていた。人それぞれ、驚きようが違い面白かった。それを見ている人の表情もいろいろで、真剣に見つめる男性やくすくすと笑う女性などいて実に楽しかった。赤レンガの方には、オノ・ヨーコさんの作品があった。ベルリンから運ばれた1台の貨車に無数の弾丸の跡がある。戦争で明け暮れた20世紀を表現したらしい。夜、この貨車は、昼間と全く違う作品になる。貨車の中から、鳥の声や弾丸の跡からの光が射し安らぎを与えてくれる。貨車の屋根から夜空に向かって青いサーチライトが照らされていた。その他にも、いろいろなタイプの作品があり、外国人の方も多く見学に来ていた。アートは、ひとりひとり考えや表現方法は違うが、言葉が通じなくても心で分かりあえるものだと思った。私も会場で、じっとしていた時“ゴリラのロボット”の作品に見られていたのかもしれない。 |
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