白黒トランジスタテレビ時代 (開発・設計担当) | 1962年〜1967年 |
トリニトロンカラーテレビ時代 ☆開発・設計・製造技術 担当 ☆企画・開発・商品設計 担当 ☆テレビ事業担当 (次長、副事業部長) ☆テレビ事業のスタッフ部門担当(生産設計推進部、 品質管理部、企画部、プロジェクト担当) ☆ソニー電子(株)出向 取締役 第3製造部長 |
1967年〜1987年 1972年〜1974年 1974年〜1980年 1980年〜1983年 1983年〜1984年 1984年〜1988年 1986年(11ヶ月) |
ビデオ時代 ☆品質管理担当 ☆業務用8mmビデオ、8mmビデオ周辺機器・アクセサリ、 8mmデッキコンポーネント事業担当 ☆ソニー幸田(株)出向 常務取締役 品質管理・第4製造、生産技術、 ISO−9001取得等 担当 |
1987年〜1992年 1987年〜1988年 1988年〜1990年 1990年〜1992年 |
リチウムイオン電池時代 リチウムイオン二次電池ビジネス立ち上げ担当 (企画・設計・営業) (事業部長、 RMEカンパニー) |
1992年〜1996年 |
本社勤務 電気・電子機器用プレス部品事業 担当 (取締役) PEC of America Corp 勤務 (EVP & CFO) 電気・電子機器用プレス部品、自動車用ヒューズ事業 (製造・販売) (メキシコ工場設立、用地購入) 401k導入 本社勤務 情報システム 担当 (取締役) 監査役 |
1996年〜1997年 1997年〜1999年 1999年〜2001年 |
ソニー勤務時代 | ||
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1960年 | 9月10日 | カラーテレビ 本放送開始 |
1962年 |
4月 |
マイクロテレビ TV5−303発売 ソニー(株)入社・技術部第2課配属(安田課長→沖課長) TV5−303回路改良検討担当(村井係長) |
1963年 | 9インチ白黒テレビ偏向・電源回路設計担当 | |
1964年 | 12インチ白黒テレビ設計担当 | |
10月 | 東京オリンピック開催 | |
1965年 | 17インチ白黒テレビ設計担当(全ソリッドステート実現) (高圧セレン整流器・中圧整流シリコンダイオード) |
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(ブラウン管の放電現象を仲田電子で勉強:沖課長指示) | ||
1966年 | 7インチ白黒テレビ担当:信頼性設計手法導入 | |
1967年 | (6月) | 電波科学(雑誌)に「TV偏向用トランジスタの使い方」投稿 |
1967年 |
11月 |
第1開発部第4課(トリニトロンカラーテレビ開発) 発足 白黒テレビ部隊から移籍、電源・偏向・高圧・コンバージェンス等の回路・部品設計を担当。 (沖課長 金岡課長 大西課長) |
1968年 | 2月 | 大崎工場35号館完成 |
4月15日 | 13型トリニトロンカラーテレビ発表(ソニービル) | |
5〜6月 |
米国出張:12VトリニトロンカラーTV発表、フィールドテスト(大西課長同行) (羽田 → New York→Los Angels → San Francisco → Denber → Chicago → New York → Miami → Hawai → 羽田)(5月15日〜6月14日) |
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米国向けKV-1210U機種設計担当 | ||
10月3日 | 神 敦子と結婚 (ホテル ニュー・オータニ) 新婚旅行(4泊5日) | |
10月 | 13型トリニトロンカラーテレビ:KV-1310国内販売開始 |
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(秋葉原の電気店でKV-1310を販売し客の生の声を聞く) | ||
11月〜 |
第1製造部第4課配属(金岡次長、末次課長) 18型トリニトロンカラーテレビ機種設計担当(山田さんと) |
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12月 |
大崎工場・第1製造部第3課配属 (上原工場長、大西課長) | |
1969年 |
(5月) |
ラジオ技術(雑誌)に「ソニー KV-1310 トリニトロンカラーテレビの特徴」執筆(森尾さんと共著) |
8月 | 米国向け KV-1210U 発売 | |
9月 | マーガレット王女来日 | |
12月 | 稲沢工場開設(トリニトロンブラウン管製造) | |
1970年 |
4月 |
大崎工場 受像機製造 技術2係(大西課長):製造技術担当 |
5月 | 一宮工場開設(トリニトロンカラーテレビセット製造) | |
大崎工場 受像機製造 5係(瀬谷課長)配属:製造担当 | ||
7月 | 18型トリニトロンカラーテレビ KV-1810U発表 | |
10月 | 大崎工場 受像機製造 技術2係・機動部隊担当(沖副長直属) | |
電波科学10月号「今までの13形トリニトロンとどこが違うか!回路解説から調整・修理までソニー18形トリニトロンカラーテレビのあらまし」投稿 森尾さんと共著 | ||
1971年 |
電波科学・臨時増刊号:トランジ スタカラー受像機「トリニトロン受像機の設置調整とB管の調整」執筆 | |
3月〜 | テレビ事業部(吉田事業部長):技術(金岡次長)に配属 | |
8月 | 18型広角(114度)トリニトロンカラーテレビ機種担当 | |
11月 | KV-1610発売 | |
昭和46年度 発明考案実施特別表彰 賞状 | ||
1972年 | 2月〜 | テレビ事業部技術 企画設計2担当 |
? |
18型広角(114度) KV-1813 発表 広角(120度)18型、超広角(122度)20型トリニトロン発表 |
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? | KV-1813 、KV-6010 発売 | |
電波科学7月号 「世界初の114度偏向トリニトロンカラーTVソニーKV-1813の詳細 」投稿:宮岡さんと共著 | ||
8月 | 米国サンディエゴ・カラーテレビ工場稼動 | |
1973年 | 1月〜 | テレビ事業部 技術 企画設計担当 (加藤次長) |
2月 | KV-2020発売 | |
昭和48年度 発明考案実施特別表彰 賞状 メダル表・裏 | ||
1974年 | 4月〜 | テレビ事業部 技術 量産設計担当 |
6月 | 英国ブリジエンド・カラーテレビ工場稼動 | |
11月 | KV-2070 (ETモデル) 発売 | |
1975年 | 3月〜 | テレビ事業部 技術 量産設計担当(塩田技術部長) |
4月 | ベータマックスVTR SL−6300 発売 | |
7月 | KV-2720 KV-2727 発売 | |
? | LV-1801 発売 (SL-6300を収納し一体化したトリニトロンカラーテレビ) |
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9月 | ヨーロッパ出張(ベルリンショウ、市場調査) | |
テレビ事業部 技術 商品設計統括担当 | ||
昭和50年度 発明考案実施特別表彰 | ||
1976年 |
? |
32型トリニトロンカラーTV発表 KV-2070R(ETリモコンモデル)発売 (20型、16型 ジェットセンサーモデル 大ヒット) |
12月 | アメリカ出張(市場調査) | |
1977年 |
5〜6月 |
アメリカ、カナダ出張(ソニーアメリカ 及び ソニーカナダのラインアップミーティン出席 、市場調査)) |
? | KV-1375 サイテーション発売 | |
10月〜 | テレビ事業部 商品技術担当 | |
1978年 | 8月〜 | テレビ・ビデオ事業本部 第一事業部 開発部(石垣開発部長) 商品技術担 |
昭和53年度 発明考案実施特別表彰 賞状 | ||
9月 | 日本テレビが音声多重実験放送 開始 | |
1979年 | 1月〜 |
テレビ・ビデオ事業本部 テレビ事業部(芝田事業部長) 商品技術担当 |
5月 | アメリカ出張(IEEEに論文発表、石川富一さん同行) | |
11月 | アメリカ出張 | |
1980年 | 1月〜 |
テレビ・ビデオ事業本部 テレビ事業部(石垣事業部長) 技術企画担当 |
5月〜 | テレビ・ビデオ事業本部 テレビ事業部 次長 | |
プロフィール KX−27HF1 発売 | ||
1981年 | 2月〜 | 日本電信電話公社 CAPTAINプロジェクト |
4月 |
ソニー大崎アマチュア無線局JG1ZFK開局(社団の代表者拝命) | |
5月 |
アメリカ出張(ソニーアメリカコンベンション 参加、サンディエゴ工場訪問) | |
8月3日 | 父・鈴木平吾 永眠(76歳) | |
9月〜 |
テレビ・ビデオ事業本部 次長、技術企画課長、技術3課長、技術5課長、QR担当課長を兼務! | |
昭和56年度 発明考案実施特別表彰 賞状 | ||
1982年 | 1月〜 |
コンスーマプロダクトグループ・ テレビ・カメラ事業本部 テレビ事業部 次長 |
2月 |
ヨーロッパ出張:ビデオフェア/Baden Baden、Sony Wega、Sony UK、ブリジエンド工場、Sony France 訪問 | |
5月〜 | テレビ・カメラ事業本部 テレビ事業部 副事業部長 | |
10月〜 |
商品事業本部 テレビ事業部 テレビ部 副部長 (組織名変更:組織デノミ) | |
1983年 |
5月 |
イギリス(QAマネージャーミーティング/ブリジエンド工場、SONY UK)、ドイツ出張 |
10月〜 | TV事業本部 TV事業部 設計推進部 部長 | |
1984年 | 5月〜 | TV事業本部 生産設計推進部 部長 |
9月 | アメリカ出張(サンディエゴ工場 Operation Committee) | |
11月〜 | TV事業本部 品質管理部 部長(兼務) | |
12月 | アメリカ出張(サンディエゴ工場 Operation Committee) | |
12月〜 | ソニー一ノ宮(株) 及び ソニー電子(株)取締役(非常勤)就任 | |
1985年 |
2月 |
ヨーロッパ出張(バルセロナ工場オープン式典、ブリジエンド工場訪問) |
4月 | 中国・北京出張(品質クレーム処理) | |
4〜5月 |
ヨーロッパ出張(ソニーベガ訪問、ブリジエンド工場Operation Committee | |
7月 | 中国・上海出張(技術交流会団長) |
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11月 | TV事業本部 企画部 統括部長 | |
1986年 | 1月 | ソニー電子(株) 取締役に就任 第3製造部長(委嘱) |
12月 |
ソニー(株) TV事業本部・本部長付 (河野本部長) ティファナ工場建設プロジェクト担当 |
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1987年 | 1月 | アメリカ出張(CEショー、Larade訪問・調査) |
アメリカ出張(SDP新社長ミーティング) | ||
4月〜 | TV事業本部 企画部長(マッキンゼープロジェクト担当) | |
6月〜 |
ビデオ事業本部(鹿井専務) 品質管理部長 (8mmビデオ、ベータマックスの品質管理担当) |
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11月〜12月 | ヨーロッパ出張 :品質ミーティング |
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1988年 |
5月〜 |
パーソナル事業本部(森尾本部長) 第1事業部長 (兼)関連技術部長 (業務用8mmビデオ、ビデオデッキ・コンポーネント、 アクセサリ担当) |
6〜7月 | アメリカ出張(8mmForum/Washigton) | |
8月 | ヨーロッパ出張 | |
9月〜 | パーソナル事業本部 第1事業部長 | |
1989年 | 4月 | アメリカ出張(NAB/Las Vegas、Security Show) |
7月 | アメリカ出張(SONY EXPO/Washigton) | |
8月〜 | パーソナル事業本部 (新)第1事業部長 (兼)第2部長 | |
11〜12月 |
ヨーロッパ・アメリカ出張 (業務用ビデオ・ストラテジーミーティング) |
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1990年 | 3月 | (兼)ソニー幸田(株)非常勤取締役 |
7月 |
アメリカ出張(Sony Transcom/L.A.、Video Expo/ Chicago、Exabyte/Denver) |
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10月 | ヨーロッパ出張(イギリス、ドイツ、フランス) | |
1990年 | 11月〜 | ソニー幸田(株)(芝田社長) 常務取締役 |
1991年 | 1月〜 | 品質管理担当・第4製造部長(委嘱) |
1992年 | 1月〜 | 品質管理担当・生産技術部長(委嘱) |
4月〜 | 品質管理担当・技術部長(委嘱) | |
5月〜 | (ISO−9001取得活動推進、12月取得) | |
1991年度・社長賞受賞 受賞対象:リチウムイオン蓄電池の開発 (株)ソニーエナジーテック ソニー中央研究所/生産技術開発本部/バッテリバッテリー事業本部 |
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1992年 |
11月〜 |
ソニー(株) バッテリー事業本部 イオンエナジー事業部長・(兼)企画設計部長 (リチウムイオン二次電池ビジネス立ち上げ担当) |
1993年 | 7月〜 | イオンエナジー事業部長 |
1994年 | 4月〜 | RMEカンパニー・エナジー部門・リチウムイオン統括部長 |
5月 |
米国出張(営業活動) (AST/L..A, SUN & APPLE/S.J, MOTOROLA/D.L訪問) |
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8月 |
ヨーロッパ・米国出張(営業活動) (NOKIA/Helshinki、MOTOROLA/ATLANTA、 APPLE/SAN JOSE) |
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12月 |
米国出張(営業活動等) (MOTOROLA/CHICAGO,APPLE/SAN JOSE, INTESYS/PHOENIX) |
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1995年 |
5月〜 |
エナジー部門・技術営業担当 (UK AEA との特許交渉) |
9月 | 米国出張(PCC95/Boston) | |
? |
リチウムイオン二次電池:材料と応用 (日刊工業新聞社) 「15.1 ソニーのリチウムイオン二次電池の開発とその応用」 執筆 (1996年3月29日 初版発行) |
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11・12月 | フランス出張(WG3・IEC/Paris)(日本代表) | |
1996年 | 2月末 | ソニー(株)退社 |
太平洋精工(株)勤務時代の記事 | ||
1996年 | 3月〜 | 太平洋精工(株) 理事・電気部品部統括部長 |
5月〜 | 取締役・電気部品部統括部長 | |
10月 | シンガポール出張 | |
1997年 | 7月〜 | PEC of America Corp. E.V.P.&C.F.Oに就任 |
1999年 | 6月〜 | 本社 取締役:情報システム室 統括室長 |
本社 監査役 | ||
2001年 | 5月 | 太平洋精工(株)を退職 |