1977年、KV−1375 サイテーションを発売しました。大賀さんが推進したプロジェクトです。 最初のETチューナー・電子選局モデルKV−2070を発売直後だと思いますが、藤本さんと二人、吉田さんに呼ばれ事業部長室に伺うと、ETチューナー・電子選局を1万5千円アップで実現するようにとの指示がありました。部品及び回路ブロック別の目標原価にブレイクダウンし、担当部門にお願いしコストダウンを推進しました。 半導体は厚木に、ETチューナーは宇都宮さん・ソーワに、選局ボリュームはアルプス電気に協力要請し、選局、リモコンシステムは自部門内で対応し、目標に近いコストを達成することが出来ました。 当初、生産歩留まりに悪戦苦闘していたETチューナーは、宇都宮さん・関係者の努力により、量産体制が徐々に整い、1976年の20型・16型ジェットセンサーシリーズの大ヒット、20型ET・リモコンモデル発売へと電子選局の導入を着実に進めることが出来ました。 選局プリセットボリュームを製造しているアルプス相馬工場を訪問した時は、アルプス本社役員の清水さんが対応していただき、協力を約してくれました。 テレビデザインは、前面の大面積を占める「ブラウン管」と、操作性・温度条件等で配置場所が規定される「メカ式ロータリーチューナー」の制約を受けていました。テレビを見ている時は邪魔にならず、スイッチがOFFの時は、周囲の家庭財との調和が要求されるため、木を意識にしデザインとならざるをえず、自由度が少ない、とデザイン担当の苦悩をよく聞かされていました。大型カラーTVはまだ家庭の中心で木製キャビでした。、当初は13型でも高額で木箱が採用されていました。 ETチューナー・電子選局の採用で、選局部のデザイン自由度がふえたジェットセンサーでも従来の呪縛から逃れられないデザインでした。後ろから見ても様になるデザインをしてみたら・・・と、無責任な提案をしたことを覚えています。 余談ですが、米国の市場調査の時、電気製品売り場で、客がKV−1210Uの木箱を叩き、本物の木製か店員に質問している場面に出会いビックリしたことを覚えています。 ソニーの白黒TVは、個人用途の8インチ(金属ケース)からスタートし、大ヒットした5インチ(マイクロTV:金属ケース)、続いて発売した9インチ、12インチはプラスチックケースでした。 TV−120は、スッキリしたデザイン(後ろから見ても様になる)で、大賀さんが、ネーミングして売り出そうと提案され、似ているネーミングの商品を出している会社に挨拶が必要だと言われたことを覚えています。結果的にどうなったか思い出せません? テレビのデザインに新風を吹き込む意図か? 大賀さんが、イタリアのデザイナーGiorgetto Giugiaroにデザインを依頼したこともありました。 私自身は、真四角の黒基調デザインの若者向けテレビを企画して発売しましたが、話題にもならず、売れなかった苦い経験をしました! 低価格が要求されている13型トリニトロンカラーテレビの企画をどうするか、具体案がないまま、1976年の中期計画審議会に臨みました。13型は、若者でも購入できる価格になりつつあり、若者向けデザインモデルの企画があり得るのではと思い、考え方として提案しました。 その直後、大賀さんがデザイン室グループで13型テレビのデザインコンペを行い、大矢さんの案を採用し、サイテーションと命名し、10万円を切る価格で出すことが決定されました! 大賀さんの感性として、サイテーションを契機にカラーテレビのデザインに新しい流れを仕掛けるタイミングだと決心したのだ思います。 サイテーションデザインで10万円を切る価格は、設計部隊にとっては無謀な企画の様に思われました。価格重視であれば、一部の人しか使わないであろうロッドアンテナ、音声出力端子等は不要だとの意見がありました。 沖さんが設計担当を集め長時間ディスカッションをした結果、発売までの時間も少ないこともあり、地道なコストダウンを積み上げて、企画どおりのモデルを設計することになりました。大賀さんの意図を汲み、沖さん流のやり方で設計者を納得させたのだと思います。 サイテーションは、結果として、カラーテレビのプラスチックケース・デザインに新しい可能性を示し、プロフィール・デザインへの道を開いたと思っています。 カラーテレビ・デザイナーの呪縛を解き放った意義も大きかったのではないでしょうか。 |
2015年10月23日 |