トリニトロンプロジェクトに参加して感じたこと
(テレビセット開発期、〜係長〜課長職初期) 
  ☆ほとんど制約を感じずに仕事に専念できたのは、思い出すと夢のようです

@プロジェクト関係者に浸透していたソニースピリット
 「誰もやらないこと・新しいことに果敢にチャレンジする、あくなき品質の追求、魅力ある商品開発」(ソニースピリット)は、プロジェクト参加者だけでなく、関連部門、関連会社に浸透していたと感じました。組織の壁は感じませんでした。
 ほとんどの協力会社(部品メーカー、その他資材提供会社等)も良き理解者として積極的に協力してくれました.。
  • ソニー社内の関連部門の方々とは、組織の壁を感じることなく、方向性での行き違いに苦労することなく、有効な連係プレーが出来ました。
  • 社外の部品メーカーも、我々の開発・改善ニーズに積極的にチャレンジしてくれました。セットでの実働評価をフィードバックし、連携して使える部品に仕上げました。
    量産開始後も、製造ライン、市場で発生した不良に関して、積極的に改善に取り組んでくれました。
    KV−1310では、GE社の高圧整流管使っていましたが、製造ラインで発生した不良品を返品し改善を要請したところ、契約品質AQL0.65を満足しているので対応出来ないとの回答!企業の品質に対する取り組み姿勢の差異を実感しました。
Aトリニトロンプロジェクトに対し、社内リソースの優先配置が行われたました
 社内の他部門の方々には耐えていただき、申し訳ない思いをしました。
  • ジェットセンサー用LSI(選局・リモコン)開発のせいで、オーディオ用LSIは優先順位を下げられたと、中島さんから一寸した嫌味を言われ、早く完成するように頑張れと激励されたこともありました。。
  • 自分のグループの不足人材(社内に居ない専門家、経験者)は、人事がニーズを聞いて外部人材を募集し、私自身が面接をし即決で採用してくれました。

Bセット部門の役割は明確でした
 開発されたトリニトロンブラウン管を使い、高品質で魅力的な商品に仕上げ、ビジネスとして立ち上げることが、セット部門の役割と認識していました。その観点からは、セット部門のやるべきことは明確でした。
 13型に続き、トリニトロンでは不可能と言われた18型、他社がチャレンジしない超広角(114度、120度、122度)、・・・・、セットとしては使い込むのに苦労はしましが、18型114度では、底面積がKV−1310と同じのKV−1813を発売することが出来ました。

C半導体が、的確な時期に厚木から提供・供給され商品開発の強力な武器になりました
 厚木の開発・商品化戦略と偶然に同期が取れたのか、ソニーとしての総合戦略があったのか?
 パワートランジスタ、GTO素子、GaAs高周波トランジスタ、ノンボラタイル・メモリー、バリキャップダイオード、赤外線発光・受光素子、フォトカプラー・・・・
 ユーザーである我々セット部門との濃密な対話を通じて、ユーザーニーズ・動向を把握すると同時に、半導体の技術トレンドを見通し、厚木内部で開発戦略を立案・実行していたと思います。


Dトリニトロンカラーテレビ開発期は、会社トップ の存在を身近に感じました
 職場巡回に度々来られて、状況把握をされたり、困っていることを質問されました。私のトリニトロン物語」に具体的な記述しましたが、井深さん、盛田さんには即刻具体的な対応をしていただいた事があります。

 たまたま岩間さんにお会いすると「どうだね」と同じ質問をされ、状況をお話しました。ある時、「やるべき事が多くプライオリティーをつけるのに悩みます」と話したところ、「悩むんだったら、必要な事は全部やることを考えなさい」と言われました。以後、必要な事を明確にしたら全部やる工夫をすることにチャレンジしました。今も私のネイチャーになっています。

 吉田さんは、肩をもみながらニコニコ顔でいろいろと話掛けられ、技術的な目標設定に含蓄あるアドバイスを頂きました。私にとっては謎の言葉「何でも忠さん(私のニックネーム)では駄目ですよ」と何度も言われ悩みました?

 時々、盛田さんから「盛田だがね・・」で始まる電話を頂きました。状況説明を求められたり、自分の見解を話されたこともありました。加えて、何度か特命事項を頂きました。
*英国のマーガレット王女来日直前に、「英国大使館と話がついたので、直ぐ大使館に行き、マーガレット王女が滞在される部屋(寝室)にトリニトロンカラーテレビを設置するように」との指示がありました。アンテナ設置のことを考え、ソニーサービスの方を同道しました。大使館では、日本の職員が着物姿で忙しく動き回っているのに一寸異様な感じがしました。お堀に面した2階の部屋に通され、指定された場所にテレビを設置しましたが、想定どおりアンテナの引き込みはありませんでした。屋外にアンテナを設置し、ケーブルを引き込みたい旨申し入れましたが、建造物に手を加えること罷りならぬ、とのこと。一瞬途方にくれましたが、銀座ソニービルにテレビ用ループアンテナ(卓上用小型アンテナ)が展示してあるのを思いつき、急ぎ取り寄せました。東京タワーから近いこともあり、良好な受信状態でホットしました。
*ご本人は遠慮しておっしゃらないが、井深さんのお宅のトリニトロンカラーテレビが古くなったので、最新モデルと交換するように指示があり、三田の井深さん宅を訪問し新しいテレビを設置したこともあります。奥様に美味しいお茶とお菓子をご馳走になりました。
*盛田さんの言葉で、「仕事は自分でやれ」の意味がある程度理解できたのは、だいぶ後のソニー幸田時代でした。フランス政府の視察団受け入れで、盛田さんと直接一緒に対応した時でした。(この件は、別掲の予定)

 井深さんは、本田宗一郎さんから、自らチューンアップした「本田1300 99S」を贈られたので、お返しの一つにチューンアップしたトリニトロンカラーTVを贈りたい、との話があり、青山のご自宅に届け・設置しました。

 大賀さんには具体的プロダクトプランニング会議で指導を頂きました。大賀さんの意に沿わない製品を企画・発売し、部課長会同で槍玉に挙げられたことがありますが、それ以上の責任追及はありませんでした。例えば、セット本体の操作ボタンを無くし、全てリモコンのコマンダーで操作するテレビ、音声多重アダプター・・・。
前者からは「あまり先走った企画は受け入れられない」、「ユーザーの使い勝手を犠牲にしたプロダクトプランニングはあってはならない」ことを教えられました。後者は、音声多重本放送に間に合わせるため、グループの総力を挙げた商品でしたが、「ソニーとして中途半端な製品はあってはならぬ」ことを教えられました。オーディオグループに協力を要請してでも、音響製品としての完成度の高い製品を企画設計すべきでした。
厳しい指摘をされる一方、大賀さんとたまたまお会いすると「忠くん」と話し掛けられ雑談をさせていただきました。厳しかったですが憎めない方でした。

 20インチ・テレテキスト内臓モデルを、ベルリンショーに出展しました。出張中の宮坂さんからドイツTV局(ZDF)から取材申し入れがあった、受けて良いかとの連絡がありました。私の上司は全員不在!、社長室に事情を伝え社長了解をお願いしました。折り返し電話があり、現地にOKの連絡をしました。社長室の迅速な対応に感激したことを覚えています。

☆トップの方々が、自ら現場状況を把握するのと同時に、現場のモチベーションアップに心を砕かれていたのではないかと思います。忙しい現場の人間に上記の様な特命事項を依頼することも、その一環ではなかったのかではないでしょうか?


E組織、上司、仕事
 組織があってテーマが決まるのでは無く、プロジェクト・仕事をやり易くするために組織があると解釈していました。組織変更、人事異動が頻繁に行われましたが、戸惑い混乱無く仕事が出来ました。組織としての論理、組織・上司への忠誠は意識の外でした。
仕事上必要な場合は、直接他組織の担当者、大きな問題は直接責任者に申し入れ相談を行いましたが、上司経由で言って来いと言われたことはありませんでした。
 後になって思い起こすと、組織ポリティクスに煩わせられることなく仕事に取り組めたのは夢のようです。
 

Fマネジメントスタイル
 ソニー入社〜トリノトロン時代には、明確な目標設定に基づいた「誘導・説得→納得」して仕事に取り組みました。説得も力によるのでなく、気付き・自覚を促す説得だと感じました。「指示・命令・強制→服従による納得」は全くありませんでした。
 課長時代に、ある会合で、井深さんを囲んで数人で雑談をした時、井深さんから「君たちは、部下をだまくらかすのがうまいから・・・」と話をされました。「だまくらかす」とは部下にその気になって仕事をしてもらう、その重要さを話題にされたのだと理解しました。
  私も、気付き・自覚により納得して仕事をしてくれた関係者が、円滑に素晴らしい仕事をしてくれた経験を何度も経験しました。]

こんなことがありました。
 最初の13型トリニトロンカラーテレビ(Aシャシ)の量産が軌道に乗り、セット設計部門では、コストパフォーマンスを改善したBシャシを企画・設計し量産準備を整えました。 円滑な製造立ち上げをするため、製造部門でBシャシ導入会議(出席者は課長・係長さん十数名)が開催されました。上司の沖さんの指示で、私が設計部門代表として会議に出席しました。
会議が始まるや、Aシャシ(KV-1310)の製造立ち上げ、設計変更への対応等の苦労話、設計部門へのクレームが私に浴びせられました。1時間以上経過した時、沢田係長が、「設計の問題は忠さんに持ち帰ってもらうこととし、製造部門としてやるべきことを議論しょよう」との提案がありました。これが切っ掛けとなり、製造部門としてやるべきこと、設計部門へ要請、連携して取り組むことが整理され、大変に有意義な会議となりました。ザックバランな突っ込んだ議論をすることにより出席者全員の一体感が生まれたと感じました。私にとっては、製造に携わっている方々の苦労、気持ちを理解する良い機会でした。結果として、関係者の連携により、Bシャシの量産はスムーズに開始されました。沖さんの仕掛け・読みを感じました。

G製番管理、ECN、PCN
 生産管理は、製番管理方式で運用されていました。
設計変更の必要が生じた場合、設計担当者は変更適用ロットを指定したECN(設計変更連絡書)を起票し、関連部門の承認を得て、実施することになります。製造情報についてはPCN(製造変更連絡書)がありました。
 目標品質が保証できることを確認して生産を開始しますが、想定出来なかった問題への緊急対応は当然として、より良くしたい・より完成度を高めたいと言うエンジニアの使命感・本能を、設計主導で具現化し易いシステムだったと思います。トリニトロンカラーテレビの比較的スーズな急拡大を可能にした一因だと思います。購買部門、製造部門、サービス部門、その他サポート部門の理解・協力なくして達成できませんでした。購買部門の課長さんが、設計部門に常駐した時期がありました。

H人を育てろ
 トリニトロンプロジェクトが急拡大するなかある時、上司の沖さんから、君のグループで居なくなったら一番困るメンバー2人の名前を挙げろと言われ、名前を告げたところ、召し上げられてしまいました! 2人にとってはステップアップの機会であり、上が居なくなれば次の人が出てくる、育てろと説得されました。
君が居なくても仕事が回るようにしておけ、人を育てろとは常々言われていました。その後も沖さんからは度々、人材供出の要請がありました!
 鹿井さんがアイワから戻りオーディオ部門を担当された時、同じ様な説得をされて機構設計の課長さんがオーディオ部門に転籍となりました。

 前に触れましたが、吉田さんが、「何でも忠さんでは駄目ですよ」と言われたことは、人に任せろ、人を育てろとの意味だったと思っています。

 加藤さんからは、人に任せ、人を育てるには、ベストを条件にするのでなくベターで良しとするする寛容が必要だ、と教わりました。加藤さんから受けた数々の指摘は、加藤語録としてメモしていました。

 私が主催した会議で、いつの間にか最後部の席で上司が会議の様子をただ見聞て居られることが度々ありました。上司にとってはいろいろな意味で状況把握をしていたと思いますが、私にとっては大変なプレッシャーで、無言の教育をさていると感じました。

I機構設計CAD:TVグループはCATIAを提案、本社方針でCADAM導入!
 機構設計CADを導入する環境が整ってきたとの判断で、機構背計グループの中堅・若手5名?のチームで、機構設計CAD導入が得策であること、最適システムはCATIAであるとの提案をまとめ提出しました。
 暫くして上司から、全社統一システムとしてCADAMを導入することが決定した、との通告がありました!理由説明はありませんでした。
 決定には従うこと受け入れざるを得ないとしてしても、検討チームの努力を思うと、そのままにしておくことは忍びなく、しかるべき立場の方に彼らのプレゼンテーションを聞いて貰う様に働きかけました。チームメンバーと「ご苦労さん会」の席上で、誰ともなく、盛田さんがIBMの社外重役だからやむを得ないのかな・・。
 カラーテレビグフープのCADM導入時には彼らが主導的役割を果たしました。彼らの潔さに心を打たれました


JPhilips社が、トリニトロンカラーテレビのオペレーションを研究?
 
ある時、ソニー訪問中のPhilips社の経営幹部がトリニトロンの話を聞きたいのことで、本社に来るようにとの要請が役員室からあり、役員応接で2人と面談しました。彼らの言葉によれば、フィリップス社は、上流から下流まで全てを自社で行うことを原則としているとの説明の後、トリニトロンのやり方について質問を受けました。彼らはソニーのやり方を良く研究・知っているのに驚きました。
カラーテレビでは後発&独自に開発したトリニトロンブラウン管を使い、比較的順調にビジネスを急拡大している謎を知りたかった様です。

 別の所で触れましたが、米国のカラーテレビ大手Zenith Electronics社も、トリニトロンそのものに対する興味と、比較的順調にビジネスを拡大している技術面でのオペレーションに興味を示していました。

 吉田さんから、ソビエト製の携帯用小型白黒テレビを渡され、評価レポートを提出するように指示がありました。ソビエトのある機関から、評価・アドバイスをして欲しいとの要請を受けたとのことでした。

2016年2月5日 2016年6月24日一部加筆・修正