ひとりごと
2002年(平成14年)


養老の滝(居酒屋?)(2002年7月13日)

三十数年前、勤務していた会社(大崎)の門を出たところに「養老の滝」が開店した。元スチュアデス(?)のママさんが愛嬌をふりまき、明るくにぎやかな居酒屋だった。仕事帰り、毎日の様に仲間と立ち寄った懐かしい思い出がある。まさに、サラリーマンの息抜きの場でした。
我が家の最寄駅「南万騎が原」の駅前通りに「養老の滝」が出店しています。住宅地の駅前通りには、店舗、オフィスも数えるほどしかありません。「養老の滝」の前を通るたびに、商売が成り立つのか?不思議に思っていました。
7月13日の夕食は一人で外食することになり、「養老の滝」に入ってみました。
客は、仕事帰りのグループ、中年女性のグループ、初老の男性、子供連れの二組の家族(母親は浴衣姿)…誰でも入れる居酒屋風レストランの雰囲気。揃いのユニホームを着た若い女性スタッフが、テキパキとお客のサービスにあたっていました。
居酒屋メニューに加え、日本食レストラン、ファミリーレストランメニューが用意されていました。
ビールを飲み食事をすませた時は満席状態、数人の客が外で待っていたのには驚きました。
立地環境、時代の変化、お客様のニーズに巧に対応・変身を遂げたことに感服、今後どのように変化をしていくのか興味を持ちました。

後日談:幼稚園帰りの親子連れとすれ違った時に、子供が「養老の滝に行こうよ!」と言っていたのには驚きでした


セコム訪問(2002年6月25日)

久し振りの企業訪問。セコムSCセンター(三鷹)を訪問し、見学&経営幹部の話を聞く機会がありました。
東京オリンピックの年に警備保障会社としてスタートし、着実に成長(増収・増益)を続ける秘密を垣間見ることが出来ました。
1989年には、「社会システム産業」というコンセプトを打ち出し、それまで蓄えてきた「人材・ノウハウ・ネットワーク・ソフト・その他リソース」を巧に組み合わせ、加えて新しい要素を開発し、社会ニーズを先取りした新サービスを次々に提供しています。新サービスの提供で蓄積されたリソースが次の新サービスの要素になっていく、ポジティブな関係が出来上がってます。
「成長と収益性」がビルトインされたビジネスモデルを明確に認識し、そのビジネスモデルをうまく機能させるための組織・運営を意識して実践しています。更に、ビジネスモデルの限界をわきまえ、リスクを予測し手を打っている経営幹部の話に感銘を受けました。


ブロードバンド(2002年2月吉日)

ダイアルアップ接続から、YCVケーブルインターネットYCVケーブルインターネット常時接続に切換えました。工事は2時間半程度(2人)で完了しました。
カタログ上は、ベストエフォート下り 4M/上り 512Kです。ブロードバンドのスピードテストサイトで測定したところ、3.19Mbpsでした。 ケーブルモデム+ブロードバンド・アクセス・ルーターを使い、私と妻のPCをLAN接続しています。
ADSLは、基地局から遠いので実効スピードが遅くなる可能性があるため、ケーブルインターネットを選択しました。

米国の娘から、毎日のように孫娘の写真を2〜3枚送ってきますが、あっと言う間に受信が終わり、速さを実感しています。
勉強のためにWide University/School Of Internet等の講義録(各90分)をビデオオンディマンドで聴講したり、各種ブロードバンドコンテンツをアクセスしたり、インターネットバンキングの積極利用(時間を気にしないで出来る)等々、ブロードバンドの可能性を体感しつつあります。
「インターネット/ブロードバンド」のインパクトがどのように具現化するか?興味をもって見てくと同時に、実生活にどのように生かせるか模索して見たいと思っています。


ケータイ(2002年1月6日)

いまさら!の観がありますが、ケータイを契約・購入しました。妻と検討の結果、電子メール・ウェブアクセス・バンキング等は、自宅のパソコンでやることとし、使いやすい電話機能だけがあればよいことにしました。我々の要求に合うような電話サービス・電話機を探しましたが、余分な機能・サービスが多く複雑で選択に迷いました。最終的には、電話利用だけに限定し最も安い電話会社と契約しました。電話機はなるべく簡単そうで、電池寿命が実用的なものを選びました。
電話機の取り扱い説明書が難解でした。我々にとっては不要な説明が多く、分厚い取り扱い説明書の中から必要なところを探し出し理解するのに苦労しました。
コードレス電話・子機の感覚で使えるケータイがあっても良いのでは。

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