メモ帳

出合った書籍や人の言葉から、気になったセンテンスを抜書きしたメモ帳です


日本の底力はある(塩川正十郎)(08/09/18/産経新聞)
  • 最近、官僚の守備範囲強化につながる「禁止」や「規制」がやたらと増えている。「べからず社会」の再現である。自己責任での競争を認めず規制で活力を制限するため、社会が閉塞状態になっている。
  • 自民党総裁選挙に望むのは、政治家が行政の責任を過大に権力化する弊害を除去し、信賞必罰のメリハリをはっきりさせて寛容でおおらかな社会にしてもらうことだ。
  • 法と権力による支配よりも、人間の自然な感情を尊重する社会の実現である。日本の底力はある。縮まないで伸ばそうではないか。

佐藤康棋王(08/09)
  • コンピュータはしらみつぶしに次の一手をさがしますが、人間には読まない強さというのか、大局観というのがあります。人間の感性の素晴らしさというものですかね。コンピュータにはまだないものです。

それでも脳はたくらむ(茂木健一郎)より(08/07)
  • 身体が速く動くということは、すなわち、出力の制御を担当している大脳皮質の運動野の神経細胞がそれに対応する素早い活動をしているということを意味する。運動制御関係の脳活動に即して言えば、確かに効率よく活性化しているということになる。
     しかし、脳の活動は様様な領域のバランスから成っている。身体の動きを体制感覚として受け止め、ある美意識の下に評価し、必要があれば修正する。そのような脳活動は、身体を素早く動かしているだけでは、むしろ低下する。身体をゆっく動かして、その動きを評価し、修正を試みるような脳の働かせ方をしなければ、美しい動きを生み出せないのである。
  • そもそも脳というのは、のんべんだらりんと続く快楽より、メリハリの利いた刺激を好むものである。脳の中で嬉しいことがあった時に放出されるドーパミンは、「サプライズ」を好む。最大の放出が見られるのは、長い不在の後に価値あるものが与えられた時である。突き詰めれば、脳が反応するのは、感応そのものよりも、その中に含まれている「情報」である。私たちの脳は一生学び続ける。学ぶために最も適したし劇は、意外なことに、目新しいことである。あらかじめ「織り込み済み」のことは、脳の学習における情報量が少ない。
  • 苦しいこと、迷いが生じることがあったら、今目の前にある課題に逃げ込んでしまえばよい。
     迷っている自分から逃れようと思ったら、没我の境地に達するしかない。取り組んでいることと自分との間に壁があるうちは、人はなかなか向上することが出来ない。自分と対象が一体となって、「我」を忘れるくらいでないと、本当の意味での変化を経験することは出来ないのである。

商業民族との対峙:石油、計算ずくに徹せよ(会田雄次 昭和49年1月7日/産経新聞掲載)
  • 世界には5大商業民族というのがある。東からいうと、まず華僑。その西に位するのがインド人商人、アラビア人、ギリシャ人、ユダヤ商人。
    これらの五大商業民族は、いずれも遊牧民族ないしは海洋民族、漁撈民であって農民的生産者的性格には乏しいい。遊牧民、海洋民は誇り高く、団結心が強い支配者型民族で、世界史の上では征服大王朝の建設者として現れる。あるいは世界をまたにかけた遠距離通商商人として活躍する。対照的に農耕民族は定着民であり、民族国家は作れるが支配者としての適格性に乏しいい。足の引っ張り合いをやり、責任転嫁する癖を持つ。
  • この両者の反撥は激しい。
    うまく相互補完しあう時もあるが、商業民が遠い外部を指向する雄大さを失い、居住地の内部の流通組織の支配へ食い込んでくると、その対立はどうにもならなくなる。
    日本人は典型的な農耕民族である。家畜をほとんど利用せず、人間の、しかも極度に良質な、つまり真心を込めた仕事を”米作り”にあたうかぎりぶちこんで、増産につとめてきた私たちのような民族は世界でも珍しい。こういうこめ作りの歴史三千年から、無比な勤勉性を誇る民族性が作られたのだけど、その半面、私たちは農耕民の弱点も完璧といってよいほど身につけている。被支配民族に適合した特性というやつだ。足のひっぱり合い、過当競争、責任転嫁、情緒過剰、泣き言と不安過度、計算力と決断力の欠如、物真似的雷同性、自信とプライドの欠如、等々がそれである。何れも商業民には絶対通用せず、軽蔑を招くだけの特性だ。
    こういう私たちは、この五大商業民族と正面から対決競合するような運命に直面しないで来た。華僑が日本で支配を持たなかったのは、徳川幕府の鎖国せいだろう。
  • かっての栄光を思えば、至ってパッとしないと思われていたのがアラブ人であった。中世末、世界をリードしていた文化の高さもない。その知的能力で築きあげてきた帝国も消滅したままだ。
    各国が石油を効果で買いつけるため、アラビア諸国の人々が石油の異常な価値に目を開き出した。それにアラビア国民が裕福になり、先進国へ留学したりして指導者層の知識と知略は急速に高まっていった。その彼らがいまや最大の武器である石油を独占していることを知り、見事な作戦計略を練って世界を相手の”賭”にのりだしたのである。
  • ところで日本である。完全な売り手市場となった今日、私たちに弱みだけあって強みが全くない。
    アラブ人が本来所有し、いまや急速に、そしてたくましく再び身に戻しつつある商人性に対さねばならないことだ商人の能力とは徹底的な計算と賭けの精神だ。かっての知恵の回復である。
    石油危機は贅沢と倨傲になれ、崩壊と破滅に向かっている日本人を鍛え直すための髪の鞭だという意見も或る。私たちが本当の商業及び商業民族に今度はじめて正面からぶつかったということも、或る意味では神の鞭である。

危機に強いライフスタイル(2008年7月19日 宮家邦彦/産経新聞)
  • 日本エネルギー経済研究所によれば、2030年の世界のエネルギー消費量は石油換算で165億トンとなり05年水準より6割増える。主要国では日本だけが消費を減少させるという。
  • 人口が減少するからだけではない。日本人のまじめさ、組織への忠誠、ルールの遵守といった特性がエネルギーの効率的利用を可能にしているのだ。
  • 狭い国土に1億人以上がひしめき合って生きる日本では、組織が優先され、個人の自由は制約されがちだった。それは日本社会の欠点であるかのように語られてきたが、地球温暖化という人類全体の危機が避けられないとしたら、この日本人のライフスタイルこそが実はこれからのグローバルスタンダードになる可能性もある。発想を少し変えてみる必要がありそうだ。

最も美しい数学 ゲーム理論(TOM SIEGFRIED) より(2008年6月)
  • ここ数年で発見された驚くべきことの一つに、脳には変化に備える回路がある、という事実がある」
    脳には、いくつかの傾向が遺伝的に組み込まれている。同時に、経験を受けて変わってゆく能力が遺伝的に組み込まれている。
    現実世界での経験によって、脳の構造や化学や遺伝詩的表現が、深いところで、しかも生涯にわたって変わることが多い
  • 物理学も生命体も、つまるところ安定や均衡を求めている。均衡を計算する方法さえ分かれば、化学反応がどう進むか、人々がどう振舞うか、未来がどうなるか予測できる。ゲーム理論を使えば、均衡点に達するためになぜ混合戦略が必要なのかを示すことができ、混合戦略が必要だったたがために複雑さが生まれていった様子を示すことができる。つまり進化の過程が説明できるのだ。異なる種が混じりあい、異なるタイプの人々混じりあい、人々の使う戦略が多様化し、この惑星上にさまざまな環境ができ、そこで多様な文化が生まれてきた、それらの過程を説明できる。
  • ゲーム理論を使えば、進化の過程でどのようにして複雑なネットワークが生まれてくるのか説明できる。いくつもある戦略の選択肢から一つを選び出す脳そのものが、神経細胞のネットワークであって、さまざまな文化が混じり合った社会は、これらの脳からなるネットワークだ。これらを全て統合してはじめて、真の意味で「万物」を含む自然を数値で表すために枠組み・・・生活や社会科学に関するゲーム理論と物質世界について述べる統計力学とを融合する枠組み・・・ができあがるのだ。

ウェブ時代をゆく(梅田望夫)より
  • 二十一世紀の最初の何十年かをかけて、ネット空間は「知と情報」に関して「リアルの地球」と同じくらい大きな「もう一つの地球」とも言うべき存在へと発展していくだろう。
  • いったん言語化された知がネットを介して容易に共有されるこれからの時代は、ある分野を極めたいという意志さえ持てば、あたかも高速道路を疾走するかのようなスピードで、効率よく過去の叡智を吸収できる。そんな「高速道路」が、あらゆる分野に敷かれようとしている。
     しかし「学習の高速道路」も、高速道路を走りきったなと思ったあたり(「その道のプロ」寸前)で大渋滞が起こるのだと羽生は言う。「その道のプロ」として飯を食い続けていけるかどうかは、大渋滞に差し掛かったあとにどう生きるかの創造性にかかる。これが羽生の問題提起であった。
  • 仮に大渋滞に差し掛かったら、その専門性を更に突き詰めて渋滞を抜けようとするか(高く険しい道)、そこで高速道路を下りて、身に着けた専門性を生かしつつも個としての総合力をもっと生かした柔軟な生き方をするか(道標も無く人道がついていない山中を行くという意味で「けものみち」と呼ぶ)、その時に選べばいいじゃないか。
  • これまでの日本社会は「頭のいい人」対「悪い人」、「記憶力のいい人」対「悪い人」という軸で社会が動いてきた面が強いが、「けものみち」では「働き者」対「怠け者」が軸となる。
  • 徹底的な情報共有がドライブする新しいい組織とは、自発性の発露によるこの没頭を引き起こし、それにより大きな達成をした人たちが自然に浮上してくる世界なのである。
  • オープンソースの世界は、現在ここにあるプロジェクトで結果を出しているか否か、そこだけで研ぎ澄まされて評価され、その一事によってプロジェクトにおける権限が付与される。それがオープンソースの世界を貫く結果指向型実力主義である。


同行二人 松下幸之助と歩む旅 より(2008年2月27日)
  • 価格は消費者が決定すべきだとする中内の考え方と、企業と消費者は共存共栄すべきだとする幸之助の考え方。好対照に見える二つの思想だが、中内がいみじくも語っているように結局目指すものは同じで、国民が幸せで豊かに暮らせる社会であったはずだ。
  • 両雄が理屈ではなく経験の中から掴みとったこの二つの考え方と彼らの生き様の中に、二人から社会のバトンを渡されたわれわれの玩味すべき滋養が実り豊かに含まれている。


篠山 紀信(写真家)(Canon Photo Circle No.568 より)
  • 写真を撮る上で大切なことは、「何をどんなふうに見るか」でしょうね。この世の中の現実なり、目の前の女の子なり、富士山なりを、「私はこういうふうに見たんだよ」と、その証として写真を撮る。それが他の人と違う感覚で写っていたり、その人特有の美意識がそこに写っていたら、素晴らしいことじゃないですか。



Carbon DemocracyLondon's mayor in June 2007
  • 'Carbon democracy' is a term coined by London's mayor in June 2007 to mean that all persons, cities and nations should be entitled to certain rights to carbon emissions, however their respective carbon budgets should be dictated by a global carbon emissions cap, or limit, that is agreed on by everyone. 

バラク・オバマ(アメリカ上院議員)(2004年民主党大会で)
  • リベラルのアメリカも、保守のアメリカもなく、ただ「アメリカ合衆国」がある。黒人のアメリカも、白人のアメリカも、アジア人のアメリカも、ラティーノのアメリカもなく、「アメリカ合衆国」がある。

中年症候群”再び(08/01/21竹中平蔵/ 産経新聞
  • 10年ほど前のダボス会議。ソニーのCEOだった出井伸之氏は「ミドルエイジ・シンドローム(中年症候群)」という言葉を用いて、当時の停滞した日本経済を説明した。
  • 中年になると不安感が先にたって、新たに挑戦しようとしない。何も挑戦しないからこそますます不安になって、落ち込んでゆく。
  • まさに「失われた10年」の日本経済はそうだった。
    変化の必要性は頭で理解しつつも不安にかられて改革を先送りし、その結果、ますます不安が高まり経済が悪化するという悪循環に陥ったのだ。
  • 昨年来の日本経済そして政策の姿は、再び中年症候群が映る。
  • 各国の政府や企業は競って新たな政策と経営に挑戦している。しかし日本では、改革に対する熱意が官民ともに低下している。

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