メモ帳 (2010年)

出合った書籍や人の言葉から、気になったセンテンスを抜書きしたメモ帳です

日本画の精神(横山大観(大観のことば/2010年12月)
 日本画は有形の物象を籍り来たって、無形の霊性を創造し、物象とその奥に潜む無形との渾然一如の相を表現し又は象徴する。客観的事物を単に写実的に説明するのではない。
 近時の日本画は、絵を心で描く事なく、単に手を以って描いているに過ぎない。単に眼の命ずるところによって駆使される技法では、それは、事物の客観的に形象を、ただ表面的に説明するにとどまっている。物象の真実なる生命を表現することは出来ない。心の命ずるところに手が従ってこそ、始めて事物の形象との、渾然たる相を表現することが出来るのである。


「大都会」か「ディズニーランド」か(ウェブ立志編)(梅田望夫)(2010年6月28日)
 ジョブスの目指すのは、光も闇もある混沌とした大都会のようなインターネットの世界から、制限区域内を歩く分には塵一つ落ちておらず、いつでもにこやかな接客が受けられるディズニーランド的世界を切り出して利用者に提供することなのである。そこにこそ最大の価値があると信ずるジョブスは、さまざまな自由を束縛することをいとわない。
 グーグルはインターネットをインターネットたらしめている開放性と自由を信奉し、オープンなイノベーションが生まれやすい環境を用意しようとしている。ただそこには「技術の進歩を妨げる閉鎖性や不自由には徹底抗戦する」というグーグルのやや危険な技術進歩至上主義思想も垣間見える。

レヴィ・ストロー(1908年11月〜2009年10月)
 日本文化は東洋に対しても西洋に対しても独自のものであります。遠い昔、日本はアジアから多くのことを学びました。近い過去にはヨーロッパから、そして最近では米国から多くのものを取り入れました。しかし、これらの借用物はすべてまことにうまく篩いにかけられ、一番よいところだけが消化されて日本文化は現在に至るまでその独自性を失っておりません。今度は西洋の国々が日本から学ぶ番なのです。(昭和63年、来日時の言葉)

ネット社会は分断される(梅田望夫)(産経新聞/2010年1月31日)
 最近、米国政府関係者がインターネット空間を、空、海、宇宙と併置して「グローバルコモンズ(共有地)」と呼ぶことが多くなってきているように思う。
 これからのウェブ世界は、欧米の価値観やイデオロギーに強く牽引された「共有地たるグローバルウェブ」(主に英語圏)と、「政治体制や文化・言語圏に閉ざされたローカルウェブ」がせめぎあい、分断されて林立する時代を迎えるであろう。

これからの教育を考える(茂木 健一郎)(2010年1月27日)
 人間の脳の最も重要な働きに「偶有性への適応」があります。「偶有性」とは、”ある程度規則性はあるが予測はできない」ということ。
 現代においては予測しきれないことも多く、それに対してわれわれがいかに適応するか、また適応できる次世代をどう育てるかが、研究・教育のもっとも重要ではないかと思います。

作庭家の仕事(枡野 俊明)(2010年1月25日)
 日本の作庭家の仕事は、海外の場合とは異なります。海外の場合は、「こうやろう」という作者の意思が先にたちますが、日本の場合は全く逆。庭園のデザインをするよりも、まずはその場の特徴を汲み取り、その場に漂う空気を考えることからはじめます。
 その場所を、誰がどのような時に使うのか、ということを明確にする必要があります。なぜなら、作庭家の哲学や自然との向き合い方、さらには価値観や美意識、教養というものが集約され、一つの庭園空間が作る出されるからです。
 現場では「石心を読む、木心を読む」といって、一つひとつの石や樹木が持つ個性を引き出し、一つの空間造形芸術にまとめてゆきます。

幼稚な人間とは(福田和也)(2010年1月4日)
  幼稚な人間とは知能指数が低いとか、ものをよく知らないということではない。何が肝心かということを考えようとしない者のことだ。

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