私は待っている、誰かを。 待つ。 キュイイイ・・・ン・・・。プシュウゥ。 少年はすすだらけの顔で笑った。 「よしっ。」 彼は重たげに鈍く光を放つレバーを引き上げ、目の前に横たわるガラスケースを覗き込んだ。 ガシャン。キュイイイイイ・・・ピッ、ピッ、ピッ・・・キュウンン。 数秒間響いた機械音に続き、蒸気の排気音が部屋を包んだ。 パシュゥッ。 そしてやや間をおいて、ガラスケースの蓋がゆっくりと開き、中から少女の裸体が体を起こすのを見て少年は叫んだ。 「ティマ!あぁ、ティマ!僕だよ、ケンイチだよ!」 「ティマ・・・。ケンイチ・・・?」 少年は自分をケンイチと呼び、彼女をティマと呼んだ。 彼等はお互いに共通の過去を持っていた。 「バベルの悲劇」を生き抜いてきた人物だった。 被災者は多々いたが、彼等は特別だった。 . 「ティマ・・・。ケンイチ・・・?」 ケンイチは私のことをティマと呼んだ。 「そうだよ、僕はケンイチ。君は、ティマ。」 「私はティマ。」 「そうだよ。」 ケンイチはそっと優しく微笑んでくれた。 . 「あれからずい分と時間がたってしまったけれど、僕、またティマに会えて嬉しいよ。」 「あれから?」 言っていることの理解できない少女を前に、少年は少し悲しそうな顔をしながら言った。 「廃工場で僕たち会ったろ?その後ずーっと僕たち一緒にいたじゃないか。」 「ずっと?」 「そう、ずっとさ。」 首をかしげる少女の首筋に金髪がさらりと零れた。 . 「ケンイチ・・・?」 「おじさんとか、ペロさんとか、フィフィだっていたろ?ジグラットにも登ったじゃないか。」 「・・・ジグラット。」 . 突然鮮明な色彩が脳裏をよぎる。 . 「!」 「どうしたの、ティマ?大丈夫?」 「ダイジョブ・・・。」 「そんな無理して思い出さなくてもいいんだ。ゆっくり、少しずつ思い出していけばいいんだよ。」 . 誰か忘れている。 鮮明な色彩となってワタシの脳に焼き付いている。 何も思い出せなくてもそれだけは何故か。 深い青。 ただそれだけだ。 ワタシが確かに存在したという事実。 ワタシの過去。 . ワタシは誰かを忘れている。 . 「ケンイチ・・・。」 「何、ティマ?」 「ワタシ、ずっとケンイチと一緒だった・・・?」 「そうだよ、ずっと、ずっと一緒だったよ。」 「他の誰でもなく?」 「そうさ。」 . ケンイチはウソをついている。 ワタシにはケンイチの記憶なんてないもの。 ワタシには他の誰かがいる。 この色彩の持ち主が。 . 「ティマ?ティマ、外でずっと何してるの?」 「待ってるの。」 「誰を?」 「誰かを。」 . 来るかもしれない。 来ないかもしれない。 でも来てくれる気がする。いつか、必ず。 ここで待っていれば、必ず見つけてくれる、そんな気がする。 . 「ティマ、もう夜だよ。いつまでもそんなところにいたら、体が冷えちゃうよ。」 「ううん、まだ入らない。」 「そう・・・。」 . 「ティマ?どうしたの?いつもよりずっと早く起きて外で待ってるんだね。」 「ウン。もしかしたら早く来ちゃうかもしれないもの。」 「そうかもしれないね。ティマは優しいね。」 「アリガトウ・・・。」 . 「ティマ、今日は雨だよ、濡れちゃうよ。」 「イイノ・・・。」 「じゃあ、僕が壁に傘、つけてあげるよ。」 「アリガトウ・・・。」 「これでもう濡れないよ。早く来るといいね、その人。」 「ウン。」 . ケンイチが優しくワタシに接してくれたので、ワタシはいつでもその人を待つことができた。 いつからだろう、その人の代名詞が『彼』であることに気がついたのは。 性別がどちらであろうと、向こうがワタシに気がつかない限り、永遠に会えないことが分かると、辛かった。 ワタシには、彼の色彩があの深い青である以外、なにを知ってるというわけでもなかったから。 . ケンイチは少しずつワタシに干渉しなくなった。 自分で生計を立てなくてはならないからだ。 ロボットカンパニーは繁盛しているとはいえなかったけれど、それなりに売れてはいた。 ワタシが働く必要はない、とケンイチはいってくれた。 それは優しさからなのか、足手まといになるからやめろという意味なのか。 . 「ケンイチ。」 「ユメコちゃん。」 . ケンイチに友だちができた。 二人は週末になると時々どこかへ遊びに行く。 ケンイチはワタシに一言告げて行くが、微動だにしないワタシを彼女は少し気味の悪そうな目で見る。 それはそうかもしれない。 少しでも視線をケンイチに預けているうちに、あの人が行ってしまうかもしれない。 そう思うと、いくらケンイチとはいえ視線を預けている余裕などないからだ。 . 「ケンイチ。」 「ユメコちゃん。」 . ケンイチに同棲する女の人ができた。 二人は平日に二人でここで働く。 昼食も一緒にとっているようだ。 建物の中から笑い声もよく聞こえる。 ケンイチが笑っている。 それはとてもいいことだ。 なのにワタシはいつまでたっても笑えない。 彼が迎えに来てくれないからだ。 . 「ケンイチ。」 「ユメコちゃん。」 . ケンイチに奥さんができた。 この間ふたりで車の後ろにガラガラとうるさいものをつけて帰ってきた。 彼がワタシを呼ぶのが聞こえなかったかもしれないじゃない。 彼女は真っ白な美しい布を身にまとっていた。 美しいと感じられるのは布だけだ。 視界内に彼等が入ってきたとしても、それに視線を合わせて美しいと感じようと思うことはほぼないからだ。 . 「ケンイチ。」 「ユメコちゃん。ツバサ。」 . ケンイチに子供ができた。 ツバサという名だ。 鳩の翼のことらしい。 平和の象徴。 純真無垢な純白の鳩。 そんな生き物は見たことがない。 いたとしてもワタシの視界には入ってこないからだ。 . 「ティマ、サヨナラ。」 . ケンイチに新しい家ができた。 メトロポリスを出るのだと言った。 ワタシに一緒に来るかと尋ねたが、まさか一緒に行くはずもなく。 とうとうワタシはひとりぼっちになった。 さみしい それはこういうことをいうのかもしれない。 まわりには誰もいない。 彼はまだ来ない。 . 時間を計る術を無くしたワタシはもうどれくらいの間ここにこうしているのだろう。 もう手の樹皮はすっかり椅子代わりにつかっているドラム缶と一体になってしまった。 ケンイチがつけてくれた傘はもうずい分と昔に錆びて、ボロボロと崩れ落ちて、風にのってどこかへ行ってしまった。 この辺の町の風景は区画整理で前とは打って変わって状況を異にしている。 . 全てワタシの推測だ。 ワタシは真実を見ていない。 見ている暇がないからだ。 彼が来てしまうかもしれない。 . だから。 . ワタシは前を見ていなくてはならない。 彼がワタシの顔を見て一目でワタシと分かるように。 . 「ワタシハ、ダレ?」 ワタシは、ティマ。 時が経ってもワタシはワタシだ。 彼ならきっと分ってくれる。 . 「見てくれよ、このピストル。」 「ふぅん。」 「これだから!これだから素人はダメだなぁ。」 「何だよ、お前だって素人みたいなモンじゃないか。 グレード7の時スクール・フェスティバルでアメリカセイブゲキとかなんとかやってからだろ?お前が銃に目覚めたの。」 「そうさ。だからあの後すぐに射的愛好同盟にまで入ったんだ。」 「もういいよ、銃の話は。俺、飽きた。」 「まぁ、聞いてくれよ。すごいんだって。」 「確かに汚れがすごいよ。」 「違う!このピストルはな、MET-01型っていってな、この都市ができて初の国産モノなんだぞ。」 「レアなのか?」 「いや・・・それはないんじゃないか?やっぱり大量生産されてただろうし。」 「それ、ちゃんと動くのか?」 「動くだろ、やっぱり。」 「今でもちゃんと動くんだったら絶対価値あるぜ、それ。」 「そうかもしれない。」 「な、ちょっとやってみろって。」 「え、ここでか?」 「大丈夫、ここなんて区画整理中だから人間はいないし、やっても絶対バレないから。」 「それならちょっとやってみたいかも・・・。」 「ほら、あれ!あれ狙って撃ってみろって。あたったら昼飯おごってやる。」 「あたるわけねーだろ?」 「いいから、ほら!さっさとやってみろって。」 「よーし・・・。」 . 久しぶりに人間がそばに来た気がする。 もう視力も落ちて、色彩も捕らえられなくなってしまった。 モノトーンの世界だ。 こうやってワタシはずっと待っているのに彼はまだ来ない。 彼はまだ・・・。 . パキュゥンッ・・・。 . この音、どこかで。 . そうだ。『彼の音』だ。 いつか、ワタシの前で、彼が。 彼の名残‐カケラ‐が、聞こえた。 . チュインッ。 . 刹那、ワタシの額に衝撃が走った。 世界の全て眩しく感じられた。 色彩感覚が戻ったのだ。 この懐かしい色は。 . あぁ、『彼の色』だ・・・。 . そこに彼がいるのか? 彼が、来てくれたのか、やっと、やっと・・・。 . ワタシには彼が見えない。 あるのは色彩と明暗の感覚だけだ。 . 「やった、あたった。」 「あたった・・・。」 「昼飯、お前のおごりな。」 「ちぇっ、損した。」 「ふざけんな、お前がいいだしたことだろ?ほら、さっさといくぞ。」 . 耳にきつく残るあの音と、この包まれるような深い青と、彼の名残‐カケラ‐をワタシは2つ抱えている。 . 彼は、まだ来ない。 ―おわり― |