1 大先生のあきれた発言  ―古代史文献学に「論理」は必要ないのか―
 
 これはシンポジウム「謎の四世紀とその前後」における水野祐氏の講演「倭国における王朝の交替」から抜粋したものである。少し古い資料だが、先生の考え方を示す好例と思われるので引用しておきます。

(『謎の四世紀』/水野祐・北村文治編/毎日新聞社/昭和49年)


 引用文(講演の前後は省く)

●【中国の史料が非常に貴重なものとされているが、それがあまりに中途半端なのでかえって混乱が起きる。書くのならもっときちんと書いておいてくれれば問題がないわけです。中国の史料が生半可に残っているためにかえって『日本書紀』以来1200年以上もの長い間、邪馬台国は日本のここだ、あそこだと、実際とりとめのない、ばかばかしい論議に花を咲かせて、大和だ、九州だ、どこだここだと言って、がやがや騒いでいるわけです。

● 中国史料がなければどうなったかと考えますと、これは全然邪馬台国も卑弥呼も、日本の古代史に姿を現さないわけですから、そうなれば邪馬台国論争など生じないわけです。仕方がないから、人類学なり、考古学なり、いまの未開社会や未開民族―文字なき民族―の場合のように、記録なき民族の歴史を、そういう科学の力で再構成するという方法でやりますから、これはかえって簡単に、ある解決ができあがってしまっているのではないかと思われます。

● 日本の起源という問題は、考古学か、人類学か、民族学が、そういうものできちっとこうだといわれれば、これは文句を言えません。たまたま生半可な文字の史料があるから、そんなこといったってこうだ、このところはこう解釈できるじゃないか、などと異論百出して、議論ばかりしている次第なのです。

● 結局は第三の証拠力を持つ史料が出てきませんから、その文字の解釈上の問題になり、議論が尽きず、いまだに邪馬台国はどこだということすら決定できないでいるわけです。

● 中国の正史に記載がなければ決定する必要がないわけですから、史料というものは、あるなら徹底してきちんとした史料が残っていないと困るわけです。(史料が)現実に残されているものですから、抹殺するわけにもいきませんので、それについてわれわれはなんだかんだと言わざるを得ないのです。

● 重要な四世紀という時代であるにもかかわらず、本当の史料の意味を決定的にこうだと断定することがなかなか出来ないわけです。一番日本の歴史として重要な問題点を含んでいるこの世紀に、決定的なことを言えないために、実は日本の古代史は、何年経っても霧のベールに包まれた密室の中に一人閉じこめられたように、全然何も分からない、はっきり見えない、といったのが現在の実情だと思います。】

 館主の意見

● この発言は身内が多いシンポジウムでの講演で、いささか口が滑ったのかも知れないが、古代史学会の現状を率直に述べたものと言えよう。邪馬台国論争に関して言うなら、30年経った今も状況は変わっていない。学会の状況もここに述べられたのからまったく変わっていないだろう。

● この発言を読んだ第一印象だが、これが古代史学会をリードする立場にある人の発言かと思うと、驚くだけでなくぞっとする。

● 当時氏は既に学会の重鎮である。【とりとめのない、ばかばかしい論議に花を咲かせて】いると、傍観者的な発言をしていられる立場ではない。氏が唱える「王朝交替説」も【ばかばかしい論議】のひとつではなかったのだろうか。

●【考古学か、人類学か、民族学が、そういうものできちっとこうだといわれれば、これは文句を言えません。】ということは、古代史学会は自らの専門分野のことを自分たちで結論を出すことが出来ないというのだろうか。他の学会の言うことなら何でも「そうですか」といって受け入れるのだろうか。古代史学会で論議しているのは一体何のためなのか。議論のための議論であって、結論を出すためではないとでもいうのだろうか。

● 他の学会は【科学の力で再構成するという方法】だから受け入れるとも聞こえる。この発言は、古代史学会は科学的でないということを自ら白状しているに等しい。「科学的」というところを「論理的」と置き換えてみれば、氏の言うことが恐ろしいことだと理解できよう。

●【記録なき民族の歴史を、科学の力で再構成する】ことが可能であるなら、記録が全くないより、中途半端にせよ記録が存在すれば、再構成したものの精度を格段に高めることが出来ることは言うまでもない。中途半端な記録ならいっそ無い方が良いというのは、学者として信じられない発想だと言えよう。

●【生半可な史料しか残っていない】とか【第三の証拠力を持つ史料が出てこない】から決定できないということだが、そもそもきちんとした史料があれば学者・研究者は必要ないのである。
 氏自身、『記紀』には何も記述がないところから王朝交替論を生み出しているのだが、古代史は【第三の証拠力を持つ史料が出てこない】から、何を言っても良いと言うことなのだろうか。

● 古代史学会が邪馬台国の所在地について結論を出せないのは、【第三の証拠力を持つ史料】が【徹底してきちんと】残されていないからではない。結論を出すための【科学的(論理的)な方法】を持っていないためである。論理によって学会としての統一した結論を出すのでなく、声が大きいか、「権威」を持っているかという、論理以前のことで決められる学会の体質に拠るのである。学会としての統一した答えを出せない体質であれば、他の学会から出された結論―たとえそれが「科学的手法」による結論であっても、受け入れることはないだろう。

● 史料は少なく、不完全なものであるのは当然のこととして、それをどのように論理的に推定して結論を導き出すかが学者・研究者の務めではないのか。古代史学会の発言を見ていると、およそ論理とはほど遠い、思い込みが多い。古代史文献学の世界においては「無理が通れば道理が引っ込む」のである。

● このような現在の史学会のあり方をわたしは信用しない。また外国文献あるいは考古学などによる立証を重視しない。『記紀』によって、文献学としての結論を導き出さねばならない。古代史においては史実か否かをモノによって立証できることが稀なのであるから、「モノ」によらず「論理」の力によって立証する方法を確立しなければならない。この方法は既に理論物理学などで大きな成果を収めている。立証を「モノ」に頼る考えから脱却しない限り、古代史の復権はあり得ないだろう。

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