夢日記 第三十夜   無人の街 Previous Menu Next
 昨夜も私は人波の中からしぼりだされるように、あの列車の着くホームの上にさまよい出た。飲食店から吐き出される臭気と、わめき続けるスピーカー、改修中を示す鉄の壁、そして雑踏。現実の横浜駅ではない。あらゆる行く先、あらゆる列車が発着するこの駅もまた無限に広く、無限に階層がある。
 既に列車は停まっており、私は当然のように乗り込むが、切符を買った覚えもない。やがて列車は昼の町に滑り込む。座席は一杯だが、立っている人は少なかった。私は扉の手すりに掴まりながら流れる町を眺める。大きくカーブを曲がると、ビルの間から洞窟のある山がちらりと見えた。緑の中に黒い穴がある。いつも見えるのだ。そしていつも思う。そこから出てきたのか。そこへ向かうのか。それとも、あれは洞窟の中の洞窟で、すでに洞窟の中にいるのではないか。
 ただ漫然と景色を眺めて過ごした。あの洞窟が見えたほかは特別変わったこともない。ガラス越しに真夏の灼けた町並みがごく平凡に流れていく。ほかの乗客と同様に行く先が決まりきっているような顔で、ただぼんやりとやり過ごしている。でもほんとうは行く先など決めていない。決まっているのは、どこか居心地の良さそうな町で降りようということだけだ。
 だが、その駅に着いたとたん突然思い出した。自分がなんのために来たのか。何を探しに来たのか。私は一人、降りていた。ほかには誰一人降りない。列車がトンネルに吸い込まれる音が次第に小さくなり、それきり他のすべての音が消えてしまう。プラットホームにいるのは私一人だ。私は興奮している。たとえようもないほど幸福な気分で、生き活きしている。
 私は空を仰いだ。まるで描かれたような綺麗な青空で雲ひとつない。太陽を探した。やっぱりない。私は知っている。そこは年号がまだ昭和だったころの石川町だ。駅員のいない改札口を通り抜けて、私は町に足を踏みいれる。
 町には誰もいない。車も走っていない。たぶん列車だけは来るだろう。だが、今日はもう来るかどうかはわからない。ともかく町は呼吸をしていない。商店は開いているが、どの店にも誰もいない。駅前の果物屋には当たり前のように果物が整然と並べてある。値札の字も今書かれたようにみずみずしい。レジには現金も入っているだろうし、果物も新鮮で食べられるだろう。誰もいないことだけが異質だ。
 最初にここに来たときは走り回ったものだ。自分ひとりしかいないという絶対的な開放感があった。
 果物屋からいくらか離れた時計屋を覗いた。ショーウィンドウを叩き壊して腕時計を盗んだことがある。持ち出したのが初めだ。あの頃は夢だと分かっていながら、まだ心臓の高鳴りをどうすることもできなかった。
 ショーウインドウは破れていない。いつも次に訪れたときには元通りになっているのだ。
 あの時、ショーケースから時計を抜き出しながら自分の息づかいを聞いた。誰もいるはずがない、たとえいたとしても不都合があろうはずもない夢の中で、私は時計を盗んだ。呼吸が静まるのにどのくらいかかっただろう。私は次にレジから札束を引き出すと、通りに飛び出た。金を空に放り投げ、大声で笑った。長く使わなかった頬の活躍筋がばりばりと音を立てた。たぶん、寝床で本当に私は笑っていたのだろう。
 同じ夢を見るたびに私の悪事は度を増した。ショーウィンドウを叩き壊し、部屋の中に糞便を垂れ流し、最後には街に火を放った。丘の上から街が燃えるのを見下ろしながら、それでも、これは夢だと、自分に言い聞かせなければならなかった。震えていた。誰かが何か特別な方法で監視しているのではないか、という不安が心に付きまとっていた。
 ある日、焼け爛れた町を抜けて丘の上の住宅街を歩いていると、見覚えのあるような家に出くわした。表札はない。洋風の二階建で、高い白壁に囲まれている。そして、この家を見つけたときから、私の暴走も止まった。