雑感74 〜 山での一服 Previous 雑感メニュー Next
 暴風雨の中、真っ暗闇の中を谷川まで水を汲みに降りていったことがある。いっぱいに満たした水筒を友達の分と2つ抱えて、深い森に目を注いだ。微かな赤い光。帰り道の目印に、濡れた木の皮にはさんでおいた煙草の火だ。
 煙草の煙を皮膚に吹きかけておくと、蚊が寄りつきにくい。山ビルに吸い付かれたら無理に剥がしてはいけない。背に煙草を近づければくるりと剥がれる。
 山の中での一服は実に美味い。街中では排気ガスの隙間から吸っているようなものだ。知り合いに山でしか煙草を吸わない男がいる。吸殻は持って返る。持って帰れないような場合は地中に埋める。マナーとか、自然破壊とか、そんな理由ではない。ただ捨てられないのだ。それが判らないようでは山での一服の味も分かるまい。
 西洋から輸入された煙草は、最初は日本でも薬であり、紳士の嗜みであった。庶民に普及する頃には単なる嗜好品となり、現代に至って嫌煙運動のスタイルまで西洋から輸入したらしい。
 臭いからとか、汚れるからといった理由で煙草を控えてくれと言われれば仕方がない。しかし、常識だからという思考停止型の言葉で叱責されたのでは堪らない。副流煙が肺ガンの元になると言われると、どんな煙からも同じ物質が出てるのを知らんのかとつい言ってしまう。そして、たいてい本当に知らずに、煙草の数万倍の排気ガスを撒き散らしていたりするのである。