論理思考型クイズ・パズルの基本として、義務教育程度までの知識で解けることは一つの大前提であろう。それは知識の有無を問うのではなく、判断力を問題とするからだ。
たとえば日能研の電車広告
「シカクいアタマをマルくする問題」などは、主に中学入試問題からの抜粋である。あの広告が気になる人は多いと思う。たまに次の駅までに解けない問題があると勉強しなおさなければと思ってしまう。ただ近頃は、ネタ切れになってきたとも思えないが、単に知識を問うだけのクイズが増えてきていて初期の頃の面白さはなくなった。これを難しくなったと言う人がいるが、知識のあるなしに難しいもへったくりもない。単に知らないだけだ。
辞書で引けば判ってしまうような、憶えなくても済むことを憶えるのは無駄なことだ。必要なのは辞書の引き方であり、理解力である。知識の蓄積よりも、何をどこでどう調べれば分かるかという検索の技術や、その知識をどう理解し、生かすかということが重要だ。数学で言えば、問題を何問解いて何問正解したかにさほど意味はなく、その公式や解法をどれだけ身に着けているかに意味がある。
毎朝通勤電車で乗り合わせる男がいる。いつも数独パズルをやっている。たぶん30代後半ぐらいだと思うが、大の男が消しゴムと鉛筆を持ってパズルに熱中している姿は無気味だ。しかもいつまで経っても解くのが速くならない。馬鹿の一つ覚えを地で行く男。知識も解法も知ってはいるが、身になっていないということはありうるのだ。