雑感96 〜 常識について Previous 雑感メニュー Next
 常識というのは、世の中の40%の人が知っていることだ、と聞いて納得したことがある。友人から聞いたことで定かではないが、情報元はビジネス書などを発行しているダイヤモンド社のアンケート調査だったと思う。
 自分が認めているぐらいの常識は、世の中全員が知っていなければならないと思い込んでいる自己中心的な人が時々いて、周囲の人間が迷惑をこうむることがある。相手には相手の、地域には地域の、職場には職場の、その時その時の常識がありルールがある。それが真実かどうかはどうでもいいことで、極端に言ってしまえば、常識とは、まだ疑われていない迷信なのだ。何の根拠がなくとも、多くの人に共有されるほどまがまがしいほどの強制力を持つのが常識というものだ。
 常識だから。良識だから。マナーだから…。そういう言い方で人に注意したりして、逆恨みを買ったりすることがある。それは、噂話で人を批判することと大差がないからだ。繰り返すようだが、どちらが正しいかではない。多数決で負けた人は弾き出されるか、吸収されるしかないのである。
 たとえば、タバコを吸っている人に「煙いんだけど」と注意し、「ああ、ごめん」ぐらいで収まる場面があったとしようか。これを「人が食事してるときにタバコを吸うなんて非常識でしょう」と言ってしまうと、タバコ云々よりも、バックに多数の賛同者がいるであろうことに重きが置かれ、る。1対1の言い合いではないのである。
 このとき常識という言葉は、
@自分を棚上げにして不特定多数の中に隠してしまい、
A相手の言い分をいっさい聞かない最後通牒として放たれ、
B自分を含む世の中から相手を締め出す目的で使われる。
 これで反感を持たれないと思っているとしたら、それこそ非常識である。
 しかし、それでも常識にこだわりたいという人は、どうしたらいいか。簡単なことだ。自分の常識は、ほかの人の常識とは異なるかもしれないということを常識として覚えておけばいいのである。