雑感97 〜 自己紹介について Previous 雑感メニュー Next
「自己紹介はされないのですか?」というメールをいただいた。もちろん、HPに自己紹介を載せないのかという意味だ。

 実生活では、他人に興味を持つことはあるが、直接本人に「あなたはどういう人なのですか」とはなかなか訊けない。面接や見合いなど特殊なケースを除いては、訊く機会も訊かれる機会もそうそう発生しない。ごく一般的には、相手のプロフィールは付き合っていくうちにだんだんと分かってくるもので、どちらかというとその種のことは、ある程度打ち解けるまで互いに触れないようにしたりする。
 アルバイトの入れ替わりが激しい今の職場も例外ではない。馬鹿話までしているくせに、互いに名前を知らなかったりする。責任者的立場でないかぎり、相手に名前を尋ねるということがなんともやりにくい。といって、たとえばアメリカのように初対面では introduce し合うことが当たり前になったらいいとも思わない。それはそれで、相手の名前を忘れないように工夫することが必要になってくるし、うっかり忘れてしまうと何ともばつが悪いことになる。
 うっかり忘れてしまうのは、呼びかけなくてもたいていの話が通ってしまうからでもあり、またもちろん興味があまり持てない人だったり、興味は持ててもあまり接する機会がなかったりするからである。

 このHPには、私が書いた雑文がたくさん載っていて、これで自己紹介にならなければどう自己紹介していいかわからない。私の多面性そのままであり、得意の屁理屈もあり、誤解されて当然の文章もあり、そういったさまざまなことを含めて自分だと思っている。職業や生い立ちは、いくら詳しく書いても私とは思えない。仮に詳しく書くとすると、ではどうしてそれが今こうなっているのだろうなどと、新たな問題が出てくるのは必定だ。面白い履歴書は少なく、その点、私のは職歴もたくさんあるので他人には面白い可能性はあるが、このHPには自分が面白いと思うことを自己都合のみで載せている。悪しからず。

 美人の基準の話とか、心理学的知能テストとか、お叱りを受けるようなことを普段から平気で言っている。言い訳するのも面白いし、相手の反応はもっと面白いと思う性質である。要はどう思われても仕方が無いほど雑然とした人間であり、定まらぬ人間であり、それでいいとも悪いとも決めない人間である。HP上ぐらいは、やろうと思えば筋が通せるのだからやればいいのだが、それもやらない。
 美人かどうかでだけで女性が判断できるものなら、もっとうまく世渡りが出来ただろうと思うし、あるいは、美人かどうかだけで女性を判断していれば色々面倒なこともなかっただろうと思ったりもする。あるいはまた、そんなことどうでもいいことなのである。

「正解」が一つしかないクイズとは違って、世の中は自分なりの解答を出すしかない問題で満ちている。ある問題に反対意見、賛成意見、中立意見、パラドックスや無意味論、さまざまな捉え方を発見して、ようやくその問題が理解できたと言える。ところが、その頃にはたいてい問題を超越しているか、興味をなくしているものである。そういう意味で、1+1=2について膨大な文章を書くのと、「それがどうした?」と一蹴することは、等価値である。

 略歴1つだけのHPと、自己紹介ナシのこのHPとどちらが私を多く語っているか。私の写真を一枚お見せするのと、電話で話をするのと、どちらが私を知ることになるのか。私と一緒に生活すれば、私を理解することになるのか。

 このHPに載っていることは、たとえそれが他人のものであろうと、自己紹介の一部だと思ってもらえれば、それで構わないし、自己紹介がないと思っても、それも構わない。私はいまだ自己紹介できるほど自分が理解できていないのである。

 なお、スクロールバーが余り好きではないので最初は雑文その他を字数制限して書いていたが、読み返してみて、カットがうまく行っておらず、論理的飛躍がかなり見られるので字数制限しないことにした。修正したいものもあるが、それよりは、新たに書き下ろす姿勢で突き進むつもりである。