私のおすすめの詩人と詩


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  • 私のおすすめの詩人と詩を紹介します 詩人の詩の言葉は、ある時、心の奥深い所に突き刺さります。

    忘れたつもりでいても、長い時間を経た後のある時、心の上に浮上してきて
    魂をゆさぶります。

    そうだったのかと、視界がパッと開けます。
    やっと今までの人生の意味が理解できたりします。
    なつかしさに心がやすらいだりします。

    詩人の詩の言葉は、とてもすごいパワーを持っています。
    太古の昔から、時空を超えて、人間の心に飛来します。

    田村隆一の詩と、黒田三郎の詩と、谷郁雄の詩と俵万智の短歌と伊藤比呂美の詩と長田弘と吉野弘と清岡卓行と鮎川信夫とまどみちおと北村太郎と蜂飼耳と大岡信と吉岡実の詩を紹介します。



    NO.1田村隆一詩集 田村隆一  思潮社


    田村隆一は、その言葉に力がある事と、独特のリズムを持っていることでは、
    他の人の追随を許さない詩人と言って良いと思います。

    その詩の言葉は、太古の昔からやってきて、心に深く突き刺さります。


    「帰途」 田村隆一

    言葉なんかおぼえるんじゃなかった
    言葉のない世界
    言葉が意味にならない世界に生きてたら
    どんなによかったか

    あなたが美しい言葉に復讐されても
    そいつは ぼくとは無関係だ
    きみが静かな意味に血を流したところで
    そいつも無関係だ

    あなたのやさしい眼のなかにある涙
    きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
    ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
    ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

    あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
    きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
    ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

    言葉なんかおぼえるんじゃなかった
    日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
    ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
    ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる



    「見えない木」  田村隆一

    雪のうえに足跡があった
    足跡を見て はじめてぼくは
    小動物の 小鳥の 森のけものたちの
    支配する世界を見た
    たとえば一匹のりすである
    その足跡は老いたにれの木からおりて
    小径を横断し
    もみの林のなかに消えている
    瞬時のためらいも 不安も 気のきいた疑問符も そこにはなかった
    また 一匹の狐である
    彼の足跡は村の北側の谷づたいの道を
    直線上にどこまでもつづいている
    ぼくの知っている飢餓は
    このような直線を描くことはけっしてなかった
    この足跡のような弾力的な 盲目的な 肯定的なリズムは
    ぼくの心にはなかった
    たとえば一羽の小鳥である
    その声よりも透明な足跡
    その生よりもするどい爪の跡
    雪の斜面にきざまれた彼女の羽
    ぼくの知っている恐怖は
    このような単一な模様を描くことはけっしてなかった
    この羽跡のような 肉感的な 異端的な 肯定的なリズムは
    ぼくの心にはなかったものだ

    突然 浅間山の頂点に大きな日没がくる
    なにものかが森をつくり
    谷の口をおしひろげ
    寒冷な空気をひき裂く
    ぼくは小屋にかえる
    ぼくはストーブをたく
    ぼくは
    見えない木
    見えない鳥
    見えない小動物
    ぼくは
    見えないリズムのことばかり考える



    NO.2 黒田三郎詩集  思潮社     
    黒田三郎は、平易な言葉で、日常のさりげない出来事を詩で書いた詩人です。
    しかし、私はその詩に深い共感を覚えます。
    「そうだよな」って、声をかけたくなるような詩です。


    「もはやそれ以上」  黒田三郎

    もはやそれ以上何を失おうと
    僕には失うものとてはなかったのだ
    河に舞い落ちた一枚の木の葉のように
    流れてゆくばかりであった

    かつて僕は死の海をゆく船上で
    ぼんやりと空を眺めていたことがある
    熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
    じっと座っていたことがある

    今は今で
    たとえ白いビルディングの窓から
    インフレの町を見下ろしているにしても
    そこにどんなちがった運命があることか

    運命は
    屋上から身を投げる少女のように
    僕の頭上に
    落ちてきたのである

    もんどりうって
    死にもしないで
    一体だれが僕を起こしてくれたのか
    少女よ

    そのとき
    あなたがささやいたのだ
    失うものを
    私があなたに差上げると



    「夕方の三十分」  黒田三郎

    コンロから御飯をおろす
    卵を割ってかきまぜる
    合間にウイスキーをひと口飲む
    折り紙で赤い鶴を折る
    ネギを切る
    一畳に足りない台所につっ立ったままで
    夕方の三十分
    僕は腕のいいコックで
    酒飲みで
    オトーチャマ
    小さなユリのご機嫌とりまで
    いっぺんにやらなきゃならん
    半日他人の家で暮らしたので
    小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

    「ホンヨンデ オヨーチャマ」
    「コノヒモホドイテヨ オトーチャマ」
    「ココハサミデキッテ オトーチャマ」
    卵焼きをかえそうと
    一心不乱のところに
    あわててユリが駆けこんでくる
    「オシッコデルノー オトーチャマ」
    だんだん僕は不機嫌になってくる

    化学調味料をひとさじ
    フライパンをひとゆすり
    ウイスキーをがぶりとひと口
    だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
    「ハヤクココキッテヨ オトー」
    「ハヤクー」

    かんしゃくもちのおやじが怒鳴る
    「自分でしなさい 自分で」
    かんしゃくもちの娘がやりかえす
    「ヨッパライ グズ ジジイ」
    おやじが怒って娘のお尻をたたく
    小さなユリが泣く
    大きな大きな声でなく

    それから
    やがて
    しずかで美しい時間が
    やってくる
    おやじは素直にやさしくなる
    小さなユリも素直にやさしくなる
    食卓に向かい合ってふたり座る


    NO.3 愛の詩集 谷郁雄  飛鳥新社     
    本屋で、たまたま谷郁雄の詩集を手にとって読んだら、素晴らしさに感動しました。
    平易な言葉で語られる愛の詩が、心の奥深い所に入っていきます。



    「祝福」 谷郁雄

    百年前
    あなたはいなかった
    百年後
    あなたはもういない
    木が葉っぱを
    茂らせたり
    散らせたり
    するのと同じように
    あなたは
    嘘をついたり
    恋をしたり
    いろいろと忙しい
    幸せとは
    ただそこにいること
    よろこびで
    顔をしわくちゃにして


    「来世」 谷郁雄

    もしも
    生まれ変れるなら
    もう一度
    ぼくになる
    君が
    ぼくの目の前を
    通り過ぎたとき
    それが
    君だと
    思い出せるように


    「片想い」 谷郁雄

    勉強に
    身が入らないのは
    あなたのせいです
    ため息ばかり
    出るのも
    眠れない夜が
    続くのも
    何もかも
    あなたのせいです
    とは
    あなたに
    言えずに
    隣の席で
    居眠りしている
    あなたのことを
    横目でにらむ
    片想いの私


    NO.4サラダ記念日 俵万智  河出文庫


    作者の言葉と想念が、読者の心に突き刺さるのを詩と定義するなら、現代短歌も詩の範疇に入ると思います。
    詩人の吉岡実は、短歌も作っていました。
    俵万智の「サラダ記念日」を、好きな詩として、数点、紹介します。
    「サラダ記念日」の短歌って、女が詠んだ、妻有る男への不倫の愛の歌に思えるのだけど、違うのでしょうか?

    また電話しろよと言って受話器置く君に今すぐ電話をしたい

    君を待つ土曜日なりき待つという時間を食べて女は生きる

    それならば五年待とうと君でない男に言わせている喫茶店

    愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う

    12という数字やさしき真夜中に君の声聴くために生きてる

    1週間会わざりければ煮返して味しみすぎた大根となる

    いい男と結婚しろよと言っといて我を娶らぬヤツの口づけ

    ため息をどうするわけでもないけれど少し厚めにハム切ってみる

    「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

    トンカツにソースをじゃぶとかけている運命線の深き右手で

    金曜の六時に君と会うために始まっている月曜の朝

    我が友はクリームコロッケ揚げておりなんてったって新婚家庭

    私は俵万智の現代短歌(すなわち現代詩)が好きです。
    感性が躍動していると思います。
    女の人しか書けない詩だと思いました。(H.P作者)


    NO.5 伊藤比呂美詩集  思潮社     
    伊藤比呂美の詩は、はげしい熱と毒を持っています。
    乳房や子宮や性器や胎児や中絶がよく登場します。
    女の子のカノコを殺すカノコ殺しもよく登場します。
    実験的な詩が多いです。
    でも、そのリズムの良い、実験的な詩は、詩を読む人の心に
    まっすぐに刺さってきます。
    わりとおとなしめな詩の、「歪ませないように」を紹介します。


    歪ませないように    伊藤比呂美

    白玉をつくってわたしの男に
    持っていく
    砂糖を煮て蜜をつくり
    茹でた白玉を漬けて
    ひやす
    密閉して
    持っていく
    白玉はいれものの底にぺっとりと付着する
    白玉のへりが剥がれて
    まるい
    かたちが歪む
    さじですくう

    ホラ
    歪ませないように
    すくってよ、
    しらたまがいちばんすき
    とわたしの男は白玉をくちにはこぶ
    (オイシイ)と目をつぶってみせてくれる
    おまえよりもすき、と
    わたしは男の
    白玉をのみくだすのを見ている
    男はゆるくなった蜜まで啜りこんでしまう

    密閉の容器を宙に振って布巾につつみ
    これからわたしたち
    おつゆいっぱいにくちをあわせ
    てのひらをすべらせて
    いとおしさをかたちにうごくのである
    けれども
    ねえ、
    歪みたくない
    歪んでいるままいたくない
    あたしはそうおもうのおとこよわたしの男よ

    わたしはまるめて
    白玉を茹でる蜜を煮つめるそしてひやす
    とてもせつない
    のぞみふくませて
    とろとろの蜜
    つるつるの白玉
    わたしの男がそれをのみこむ
    唾のようなとろとろ
    尻のようなつるつる
    そのあじわいはどうか?

    歪ませたくないと
    せつなく男もおもったのである
    およんだな
    わたしの分泌するわたしの食物
    いとしい男に
    ふかくふかく

    NO.6 世界はうつくしいと 長田弘  みすず書房     
    長田弘は、静かで美しい詩を書く詩人です。
    探していたなつかしいものに出会ったような、
    幼いころ見て、忘れていたものにまた出会ったような、
    そんな感じのする詩です。

    長田弘の詩を2編、紹介します。


    人の一日に必要なもの    長田弘

    どうしても思いだせない
    確かにわかっていて、はっきりと
    感じられていて、思いだせない。
    思いだせないのは、どうしても
    ことばで言えないためだ。
    細部まで覚えている。
    感触までよみがえってくる。

    ことばで言えなければ、
    ないのではない。
    それはそこにある。
    ちゃんとわかっている。
    だが、それが何か
    そこがどこか言うことができない。
    言うことのできないおおくのもので
    できているのが、人の
    人生という小さな時間なのだと思う。
    思いだすことのできない空白を
    埋めているものは、
    たとえば、
    静かな夏の昼下がり、
    日の光のなかに降ってくる
    黄金の埃のようにうつくしいもの。
    音のない音楽のように、
    手につかむことのできないもの。
    けれども、あざやかに感覚されるもの。
    アンタレスのように、確かなもの。
    人の一日に必要なものは、
    意義であって、
    意味ではない。



    人生の午後のある日 長田弘

    話のための話はよそう。
    それより黙っていよう。
    最初に、静けさを集めるのだ。
    それから、テーブルの上に、
    花と、焼酎を置く。氷を詰めた
    切子ガラスに、透明な焼酎を滴らし、
    目の高さにかかげて、
    日の光を称え、すこしずつ
    溶けてゆく氷の音に耳を澄ます。
    そうやって、失くしたことばを探す。
    フリードリヒ・グルダのバッハを聴く。
    じっと俯いているようなバッハ。
    求めるべきは、鋭さではないのか。
    グルダのバッハには激しさが欠けている。
    そう思っていた。そうではなかった。
    グルダのバッハには何か大切なものがある。
    激情でなく、抑制が。憤りでなく、
    目には見えないものへの感謝が。
    わたしたちは、何ほどの者なのか。
    感謝することを忘れてしまった存在なのか。

    おおきく息を吐いて、目を閉じる。
    どこへもゆけず、何もできずとも、
    ただ、透明に、一日を充たして過ごす。
    木を見る。
    空の遠くを見つめる。
    焼酎を啜り、平均律クラヴィーア曲集を聴く。
    世界はわたしたちのものではない。
    あなたのものでもなければ、他の
    誰かのものでもない。バッハのねがった
    よい一日以上のものを、わたしはのぞまない。

    NO.7 二人が睦まじくいるためには 吉野弘  童話屋     
    吉野弘は、わかりやすくほのぼのした詩も書けば、
    搾取される労働者の怒りを訴えるような激しい詩も書きます。
    わかりやすく、ほのぼのとした気持ちにさせてくれる詩集「二人が睦まじくいるためには」から
    吉野弘の詩を一篇、紹介します。


    「夕焼け」   吉野弘

    いつものことだが
    電車は満員だった。
    そして
    いつものことだが
    若者と娘が腰をおろし
    としよりが立っていた。
    うつむいていた娘が立って
    としよりに席をゆずった。
    そそくさととしよりが座った。
    礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
    娘は座った。
    別のとしよりが娘の前に
    横あいから押されてきた。
    娘はうつむいた。
    しかし
    又立って
    席を
    そのとしよりにゆずった。
    としよりは次の駅で礼を言って降りた。
    娘は座った。
    二度あることは と言う通り
    別のとしよりが娘の前に
    押し出された。
    可哀想に
    娘はうつむいて
    そして今度は席を立たなかった。
    次の駅も
    次の駅も
    下唇をキュッと噛んで
    身体をこわばらせて・・・・・。
    僕は電車を降りた。
    固くなってうつむいて
    娘はどこまで行ったろう。
    やさしい心の持主は
    いつでもどこでも
    われにもあらず受難者となる。
    何故って
    やさしい心の持主は
    他人のつらさを自分のつらさのように
    感じるから。
    やさしい心に責められながら
    娘はどこまでゆけるだろう。
    下唇を噛んで
    つらい気持ちで
    美しい夕焼けも見ないで。


    NO.8 現代の詩人6 清岡 卓行  中央公論社     
    清岡 卓行は、イメージ豊かな抒情詩を書く詩人です。
    清岡 卓行の詩を三篇、紹介します。

    ある老碩学  清岡 卓行

    美酒を酌み 懐かしのユマニストは答えた。
    また生まれてくる? それはもう御免です。
    幸福? いつも自分の所の風呂に入れたこと。
    遊びに来てください。 まだお邪魔してますから。



    禁煙  清岡 卓行

    煙草をやめてから ときどき夢の中で
    胸いっぱいに紫煙を吸うふしぎなうまさ。
    ああ禁を破った という深い悲しみの中で
    眼がさめると 朝の光の澄みきった匂い。



    ありふれた奇跡  清岡 卓行

    嬰児には 思いがけない一瞬
    完璧な美貌がある
    と 日光が満ち溢れてくる午前のひととき
    彼女の憩いに
    ふとひらめく宝石のような言葉。
    誰が 手をのばして
    彼女の髪の毛を吹きぬける
    ゆるやかな風の背中に
    透かし彫りのように書き込んだのか。
    それら 求めたこともなかった文字の組み合わせが
    いたずらっぽく
    あるいは 優しく
    彼女の微かな疲労に そして思い出に
    そっと問いかける。

    嬰児とは 遠い陣痛
    人間らしい夢をそっくり かなぐり捨てた
    はかなく 弱々しげな母体の
    ひとつの呟きから
    飛び降りた動物
    泣きはじめた生物
    ではなかったか?
    (手と足の指が 五本ずつあればよい)
    (不具でさえ なければよい)
    反芻された多くの
    きらびやかな希望ののちに
    母体は そのことだけを
    ひたむきに 祈ってはいなかったか?


    NO.9 続・鮎川 信夫詩集  鮎川 信夫  思潮社     
    鮎川 信夫の詩は、難しい詩が多いというイメージで、嫌いでした。
    しかし、「小さいマリの歌」に出会い、これは素敵な詩だと思いました。
    特に3.歌が好きです。
    この詩に出会えて、幸せです。

    家族やその他の人達と感情的にぶつかり、心が怒りで爆発しそうな時、
    私は初心に返るため、「小さいマリの歌」の3.歌を読み返します。

    私が生まれてきた理由は、小さいマリとキスをして、ともに歩いていく事だったのを
    思い出すために。
    すると怒りが静まります。



    小さいマリよ
    どんなに悲しいことがあっても
    ぼくたちの物語を
    はじめからやり直し
    なんべんもなんべんもやり直して
    気むずかしい人たちに聞かせてあげよう
    小さいマリよ
    さあキスしよう
    おまえを高く抱きあげて
    どんな恋人たちよりも甘いキスをしよう
    まあお髭がいたいわと
    おまえが言い
    そんならもっと痛くしてやろうと
    ぼくが言って
    ふたりの運命を
    始めからやり直せばいいのだよ



    「小さいマリ」というのは象徴で、自分が愛するものなら、なんでもいいです。
    自分の子供でも、妻でも夫でも、友人でも、恋人でも、ペットでもいいです。



    長い詩なので、1.微笑は省略して、2.夢と3.歌のみ紹介します。

    小さいマリの歌     鮎川 信夫


    2.夢
    おまえは小さな手で
    ぼくのものでない夢を
    たえずぼくの心のなかに組みたてる
    これはお山 これは川
    それから指で大きな輪をえがいて
    ここには海があるの
    これはお家 これはお庭 これは樹
    ここには犬がつないであるの
    そうしておまえは自分のまわりに
    ひとつずつ自然を呼びよせて
    ぼくと一緒に住もうというのだ
    あどけないマリの夢よ
    おまえの世界には
    沈黙に聴きいる石もなければ
    歌わぬ梢
    物言わぬ空というものがない
    これはお茶碗 これはお皿
    大きいフライパンをあやつる小さいマリは
    ぼくと一緒に暮らそうという


    3.歌
    小さいマリよ
    どんなに悲しいことがあっても
    ぼくたちの物語を
    はじめからやり直し
    なんべんもなんべんもやり直して
    気むずかしい人たちに聞かせてあげよう
    小さいマリよ
    さあキスしよう
    おまえを高く抱きあげて
    どんな恋人たちよりも甘いキスをしよう
    まあお髭がいたいわと
    おまえが言い
    そんならもっと痛くしてやろうと
    ぼくが言って
    ふたりの運命を
    始めからやり直せばいいのだよ

    さあゆこう
    小さいマリよ
    おまえと歩むこの道は
    とおくまで草木や花のやさしい言葉で
    ぼくたちに語りかけてくるよ
    どんなに暗い日がやってきても
    太陽の涙から生まれてきたぼくたちの
    どこまでもつづく愛の歌で
    この道を歩いてゆこう
    小さいマリよ
    さあ歌ってゆこう
    よく舌のまわらぬおまえの節廻しにあわせて
    大きな声でうたうぼくたちの歌に
    みんなじっと耳をすましているのだから
    ずっと空に近い野原の
    高い梢で一緒に歌っている人たちが
    心から喜んでくれるから
    さあ歌ってゆこう
    小さいマリよ


    NO.10逃げの一手 まど みちお  小学館


    「ぞうさん」の童謡で有名なまど みちおさんの詩集を紹介します。
    「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね そうよ かあさんも長いのよ」の歌詞は、
    人と違っていても構わずに、卑下せずに生きていく世界ですね。
    頭が良くなくても、卑下せず 毎日を楽しく生きている「くまのプーさん」と近い世界だと
    思います。

    詩集「逃げの一手」は、100才の時に書かれた詩集です。
    驚くべき長距離ランナーです。
    「天のほうそく」と「あかちゃん」を紹介します。

    天のほうそく  まど みちお

    天のほうそくはむげんにある
    このよは天のほうそくのほうこだ
    ほうこを あけるカギは
    このよでなにをするか なのだろう
    あけて でてきたものが
    かつてこのよになかったものであるとき
    天はほほえまれる
    いまのこの一しゅんに
    このほしにいきる一つぶのわれらが
    そのものをどのようにつかいこなすかを
    みまもっていてくださりながらに



    あかちゃん  まど みちお

    なんで こんなにうれしいのか
    テレビのコマーシャルにでる
    一しゅんの あかちゃんが
    かわいい! とこえあげさせるが
    一しゅんとはいえ なんどかみてると
    なじんできて きやすいはずなのに
    どうも まぶしい
    とおもって ハットきがついた
    だっこされてるんだ かみさまに!
    あかちゃんは どんなあかちゃんでも
    なんのあかちゃんでも
    ママにだっこされてても そのまま
    かみさまに だっこされてるんだ!
    どうながめても としよりとは
    せいはんたいのあかちゃんだが
    だからこそ としよりのわたしに
    はっきりとわかって
    あんなにかわいくてまぶしいのだ


    NO.11 北村太郎詩集  北村太郎  思潮社     
    北村 太郎は、好きな詩人です。
    荒地に田村隆一や鮎川信夫らとともに参加して、詩作をしました。
    朝日新聞で校閲の仕事をしていたので、作った詩の数は
    少ないのでした。
    田村隆一の妻と不倫の恋をして、会社をやめ、妻子を捨てて家を出てから
    たくさんの詩作を行います。
    平穏な日々には詩作は少なく、荒れ狂った日々に多くの詩作をしました。
    ここらへんの事については、荒地の恋を参照ください。

    思潮社の「北村太郎詩集」から「朝の鏡」を紹介します。
    思潮社の「すてきな人生」から「八月の林」を紹介します。

    「朝の鏡」は、とても好きな詩です。
    「八月の林」は、悪性リンパ腫にかかった北村太郎が、死の2か月前に作った詩です。北村太郎が長い旅路の末に
    たどり着いた詩の境地がわかる詩だと、私は思っています。


    「朝の鏡」  北村太郎

    朝の水が一滴、ほそい剃刀の
    刃のうえに光って、落ちる−それが
    一生というものか。不思議だ。
    なぜ、ぼくは生きていられるのか。曇り日の
    海を一日中、見つめているような
    眼をして、人生の半ばを過ぎた。

    「一個の死体となること、それは
     常に生けるイマージュであるべきだ。
     ひどい死にざまを勘定に入れて、
     迫りくる時を待ちかまえていること」
    かつて、それがぼくの慰めであった。
    おお、なんとウェファースを噛むような

    考え!おごりと空しさ!ぼくの
    小帝国はほろびた。だが、だれも
    ぼくを罰しはしなかった。まったくぼくが
    まちがっていたのに。アフリカの
    すさまじい景色が、強い光のなかに
    白々と、ひろがっていた。そして

    まだ、同じながめを窓に見る。(おはよう
    女よ、くちなしの匂いよ)積極的な人生観も
    シガーの灰のように無力だ。おはよう
    臨終の悪臭よ、よく働く陽気な男たちよ。
    ぼくは歯をみがき、ていねいに石鹸で
    手を洗い、鏡をのぞきこむ。

    朝の水が一滴、ほそい剃刀の
    刃のうえに光って、落ちる−それが
    一生というものか。残酷だ。
    なぜ、ぼくは生きていられるのか。嵐の
    海を一日中、見つめているような
    眼をして、人生の半ばを過ぎた。



    「八月の林」  北村太郎

    うらみごとを いわせぬ速さで
    風は来たり、風は去り
    林は、もとのままに静まって
    大いなる感情を、しっかり守っている
    下生えは、倒れ伏し
    みどり色を、みずからの乱れに逆らって
    整えなおそうとし、しかし
    ホタルブクロなどは、かしいだまま
    花を垂らして、揺れに耐えている
    あまりの暑さに、物のにおいも
    においのなかに、こもってしまい
    ヘビやチョウのたぐいが、林の
    神経のように、かろうじて
    働いているようだけど、見えない

    麦藁帽子を、ひざに置き
    下の、池のほとりのベンチに座る男を
    林ぜんたいが、気づいていて
    知らぬふりのまま、遠ざけており
    男は、うなだれて動こうとしない
    足もとにミョウガが、踏まれてあり
    池はアオミドロの顔で、男を
    しげしげと見つめながら、泡ひとつ
    立てるでもなく、重さを保っている
    ひどい暑さが、水面を緊張させて
    虫いっぴきの飛び出しも、けっして
    許そうとはせず、男の
    眠りを、眠りの手でゆっくりかきまわし
    ずれているひざの帽子を、落とさせない

    けさ、ヒグラシが鳴いていて
    夜なかの風は林の追憶を、いっそう
    ゆたかにし、いじわるにもした
    真昼、おびただしい葉は力いっぱい広がり
    真上の日輪よりつよく、影を消している
    NO.12 蜂飼耳詩集  蜂飼耳  思潮社     
    蜂飼耳(はちかい・みみ)さんは、1974年生まれの女性の詩人です。
    少し前衛的で、イメージ豊かな詩を書きます。
    詩集<今にもうるおってい陣地>から、「染色体」と「転身」を紹介します。

    「染色体」   蜂飼耳

    草木密生
    五穀成熟

    おとこはすべておんなから出てくるのに
    おんなを踏みつけるおとこがいて
    (彼は おとこをあいするおとこ だったが)
    ある日 はなやかな喧嘩になった
    いっぱつかましてやんなきゃわかんないんだよ
    このあま

    と叫び 彼はほとんどすべてのおんなを
    がっかりさせた
    子宮感覚、などというものは幻想に
    過ぎない としても わたしたちは
    おんななので 配管のようすなども
    気に掛かる
    してみると

    おんなははたと気が付きしっぽのように
    からだを切り離しからだを棄てて
    おとこが食べるのを見届ける

    その間 まだ咲かぬ米の花のことや
    新発売の入浴剤の安売りが
    どこのドラッグストアだったとか
    など  考えたり

    XでありYである わたしたちの
    その先に何が あるのか あるべき なのか
    闘いの果てのハンモック
    おとこが寝静まると おんなたちは
    秘密の唄を皮膚の下から無事飛び立たせる
    交わらない線を拒んで
    わたしたちのための数式をひらいていく
    そこにいつも
    草木密生
    五穀成熟 




    「転身」   蜂飼耳

    守ろう としてさしのべたつばさの
    目にしみる そらとの界
    西のひかりに背中を衝かれ そのはずみで
    たら たり たる たれ たれ たれ
    なみだに にたものを 腋のしたから
    したたる アマ ミズ
    したたる ユキ ドケ ミズ

    いつまでも変わることのない
    しかし ゆっくりと うつりつつある
    おびただしい相似形がそらを
    空のかたまりを 砕く
    まばたきをせずにみている
    あのなかに
    あたしと

    おもいの矛先をひたと揃え
    よびかわしたものがいて、
    でもな
    いまや
    見分けることが できない
    みらいにつなぐためには記憶を
    洗い流さなければならなかったひとよ
    腋のした そこへ きつく抱いた
    はじめてのたまごの ふたつはかえり
    残るひとつは だめで つぎに

    わたしはその中にいて、
    ひいていく体温を
    きょうだいたちのあかいあかい心拍に
    捧げ

    これで なん度目か
    世界から こぼれ落ちるるる
    「むすばれること」それさえ知らず
    流れるあなたあたしあたしたち
    すべての
    守ろう としてさしのべられたつばさの
    尖端に あつまり
    無数の目が
    みている
    つぎの
    巣の中


    NO.13 大岡信詩集 自選 大岡信 岩波書店     
    大岡信は、抒情的でイメージ豊かな詩を書く詩人です。
    大岡信詩集 自選から「はじめてからだを」と「人生論」を紹介します。


    「はじめてからだを」 大岡信

    舌にのせて異国のことばをはじめて発するときのやうに
    きみがはじめて美しいと自分のからだをみつめたとき

    港湾ではひらいた鯵にいつもと同じ蠅がうなり
    妹たちは父親への傾きのなかでまどろんでいた

    きみがはじめて美しいと自分のからだをみつめたとき
    きみの器官に五百年保たれてきた液は騒ぎ

    千年むかしの原形質がきみの肉を虚空へひらく
    子守唄さへおそろしい飛翔の予感

    妹たちは父親への傾きのなかでまどろんでいる
    地平には水かき棒を狭い苔のなかに通してゆるゆるまはし

    満ち足りて低音でうたふ道化があらはれ
    ふさいでもきみの耳にはきこえてくるのだその唄が

    「かなたの世界も満タン こなたの世界も満タン
     満タンのタンクより満タンのタンクは生ず

     満タンのタンクより満タンのタンクをお減きよ
     剰るものやはり満タン 一切空の大千世界よ ぬんるぬる」
    (あま)

    ああこんな子守唄さへおそろしい飛翔の予感
    きみがはじめて美しいと自分のからだをみつめたとき

    きみはひとりの孤児になった  女になった
    きみはすべての器官でみつめた 花のひらくかすかな声を

    こひびとよ きみのからだはふるへながらかたどっていた
    大いなる声によってとらへられた肉だけがもつ

    花のかすかな声のかたちを


    「人生論」  大岡信

    おれは思はない、一篇の詩に
    完成がありうるとは。

    ただ達しえぬものに挑む、そのときだけ
    人はたしかに持てると思う、ゆとりと笑ひを。

    成功も悪くはない。悪いのはただ、
    飲めば飲むほど渇きを産む塩水なのだ、成功は。

    血液に成り変わる前に
    こいつは咽喉をばりばりに荒してしまふ。

    おれは思わない、一個の死体に
    過不足なく完成された終わりがあるとは。


    NO.14 吉岡実 戦後名詩選 思潮社     
    おすすめの詩人から、戦後を代表する詩人の吉岡実をはずすことはできません。
    その詩は暗喩に満ちたイメージ豊かな詩です。戦後名詩選から「静物」と「過去」を紹介します。


    「静物」 吉岡実

    夜の器の硬い面の内で
    あざやかさを増してくる
    秋のくだもの
    りんごや梨やぶどうの類
    それぞれは
    かさなったままの姿勢で
    眠りへ
    ひとつの諧調へ
    大いなる音楽へと沿うてゆく
    めいめいの最も深いところへ至り
    核はおもむろによこたわる
    そのまわりを
    めぐる豊かな腐爛の時間
    いま死者の歯のまえで
    石のように発しない
    それらのくだものの類は
    いよいよ重みを加える
    深い器のなかで
    この夜の仮象の裡で
    ときに
    大きくかたむく



    「過去」  吉岡実

    その男はまずほそいくびから料理衣を垂らす
    その男には意志がないように過去もない
    鋭利な刃物を片手にさげて歩き出す
    その男のみひらかれた眼の隅へ走りすぎる蟻の一列
    刃物の両面で照らされては床の塵の類はざわざわしはじめる
    もし料理されるのが
    一個の便器であっても恐らく
    その物体は絶叫するだろう
    ただちに窓から太陽へ血をながすだろう
    いまその男をしずかに待受けるもの
    その男に欠けた
    過去を与えるもの
    台のうえにうごかぬ赤えいが置かれて在る
    斑のある大きなぬるぬるの背中
    尾は深く地階へまで垂れているようだ
    その向こうは冬の雨の屋根ばかり
    その男はすばやく料理衣のうでをまくり
    赤えいの生身の腹へ刃物を突き入れる
    手応えがない
    殺戮において
    反応のないことは
    手がよごれないということは恐ろしいことなのだ
    だがその男は少しずつ力を入れて膜のような空間をひき裂いてゆく
    吐きだされるもののない暗い深度
    ときどき現れてはうすれてゆく星
    仕事が終わるとその男はかべから帽子をはずし
    戸口から出る
    今まで帽子でかくされた部分
    恐怖からまもられた釘の個所
    そこから充分な時の重さと円みをもった血がおもむろにながれだす