印について                             もどる
猿飛佐助など忍術使いが術を使ったり消えたりするとき、人差し指を伸ばした忍術印を結ぶ。精神集中するための動作である。
ウルトラマンなどの巨大ロボットに変身するときも印を結んで「ヘンシーン」と唱える。ロボットごとにそれぞれ違った独特の印がある。
印は本来は精神集中の動作であるが、特定の仏に対する礼拝の作法として規定されることもある。
仏によって印が決まっており、印で特定の仏を示したり、仏を識別したりすることもある。

阿弥陀印や大日印が有名。
如来は飾りや持ち物を持たないことが多く、何如来なのか識別しにくいが、阿弥陀如来と大日如来だけは印ですぐ分かる。
鎌倉大仏は明らかに阿弥陀印で、釈迦如来ではないから、与謝野晶子の  「鎌倉や 仏なれども釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな」
の句は間違いであり、言い逃れできない。 (土産物など観光の材料に使いたい地元が困っている。)
 
五大明王の印と金剛印 不動明王以外の四明王はそれぞれ独特の印を結んでいる。
金剛夜叉明王の印は金剛印で、金剛鈴と金剛杵という道具を使った特殊な印である。
   (仏典に100以上の印が掲載されているが、全部手と指だけの印。道具を使う印は金剛印だけである。)

もともとは金剛界を象徴する金剛サッタと言う仏様の印。ほかに愛染明王も金剛印を使う。
金剛夜叉明王の専用ではないから、青面金剛が金剛印を使っても全く問題がない
平安後期、日本で初めて青面金剛善神を作るとき、この金剛夜叉明王を下敷きにした。名前が似ていただけの理由である。

専門家だけしか扱えない「凶暴な悪鬼青面金剛」ではなく、女子供でも礼拝できる「穏やかな青面金剛善神」という注文に答えて、
振り上げていた剣を腰まで下ろし、鈴を鳴らして音に聞き入る穏やかな姿としたが、それがあとで物議を引き起こす。
批判が多く、日本最古の青面金剛善神であるにもかかわらず、結局、この姿を引き継いだ木像、画像、石像は作られなかった。
    
        金剛夜叉明王の金剛印        →   最古青面金剛  剣-鈴 ×              
金剛鈴と金剛杵を構えた金剛印がバラバラに壊れており、儀軌の常識に反すると言うのが理由だったのであろう。  
儀軌にうるさい人にとっては、「金剛鈴を鳴らす」などいう動作は耐えがたかった。
   
      柏の金剛印          →        印西の剣−鈴 ×
印西の石工は左の「金剛印」から右の「剣+鈴」を作ったことは証明済み。
平安の木像のときと、全く同じミスを繰り返したことになり、不都合と批判され/あるいは判断して中止したのであろう。
    平安のミスを繰り返した。「前車の轍を踏んだ」

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