6月23日(第9日目)〜24日(第10日目) Wienから帰途へ
長かったようで夢のように過ぎてしまった今回の旅行も愈々帰国する日が来た。普通ならば昼頃に飛行機は出発するのだが、今回は夕刻なのでホテル出発は午後2時。5時間位は市内観光に出掛ける余裕がある、という訳で朝食を済ませて荷物を纏めてホテルに預けて出掛けた。
バル小路は建物の谷間のような細い小路で、中世に迷い込んだ気分になる小路だ。指物師や鍵師などの工房が集まっていたところだそうで、今でもユニークな看板が出ている楽しい小路である。 昨日はデーメルでコーヒーを飲んだが、やはり伝説的なザッハー・トルテを土産話に味わって帰らなければと思い、ホテル・ザッハーのカフェ・テラスで一休みした。
昨日ナッシュマルクトで昼食を採ったノルト・ゼーNord Seeの店がケルントナー通りにもあったので、今日もそこで早めの昼食を済ませ、ホテルに帰ることにした。今朝使った24時間フリーパスは既に時間切れとなってしまったので、帰りの切符を地下鉄シュテファン・プラッツ駅で購入し、地下鉄と市電を乗り継いでホテルへ帰った。 日本への帰りの飛行機は、ウィーンから17時40分発のオーストリア航空でフランクフルトまで飛び、そこから21時発のJALに乗り継ぐ。愈々フランクフルトを離陸しようとする時、丁度夕日が地平線に沈もうとしていた。夏時間とは言え、夜9時が日没とは信じられなかった。我々一行の席は最後尾に固まっていた。全員くじ引きで席を決めたが、我々夫婦は窓際2人掛けの座席が当たり、トイレに立つとき他人に迷惑を掛けずにすみラッキーだった。 白夜の北極圏近くを飛んで行くので、窓の外はやや薄暗くなることがあっても真っ暗闇になることは無い。シベリアの上空を経てやがてロシアの大地から海の上に出た。この辺りは梅雨前線の影響が及ばないのか下界が良く見えた。やがて下界は雲に覆われて見えなくなり、新潟上空から福島、茨城を経て成田に無事着陸した。6月24日月曜日午後3時過ぎであった。 飛行機を降りて梅雨寒の陽気にびっくりした。ドイツ・オーストリアは連日30度を越す猛暑が続いていたのに、梅雨の最中とは言え何という違いだろう。梅雨が明けるにはまだ3〜4週間かかるのであろうと思うと憂鬱になった。 とは言え、10日間命の洗濯をしてきた。また、次の海外旅行を楽しみに日々頑張ろう。モーツアルトを尋ねての旅であれば、プラハやブダペストも訪れなければなるまい。ドイツは余り期待していなかったけれど、今回行ってみてやはり魅力を感じた。モーツアルトと同じくらい好きなバッハを生んだ国ドイツ(バッハは終生ドイツの外に出たことはなく、そのゆかりの地は旧東独が主であるが)を、今度はバッハのゆかりを求めて行ってみたいと思う。
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