ひとりごと
2006年(平成18年)

孫娘と遊ぶ(2006年11月25日)

 孫娘(5歳)と二人で子供自然公園に散歩に出た。万騎が原ちびっ子動物園・ふれあい広場でハムスターと鶏&ヒナと遊ぶ。初めて自分で捕まえ椅子の上に置けたので彼女は大満足。
 次のお目当ての「とりでの森(大型木製遊具・巨大なアスレチック遊具)」で時間の経つのも忘れ遊ぶ。今までは介添えが必要だったが、今日は全遊具を一人で征服し彼女は興奮気味。
 帰路、丈夫な柵(高さ約50cm、全長約20m)を平均台に見立て、介添え無しに渡りきる。
更に、もっと冒険をしたいとの希望で、道なき道、教育水田のあぜ道を歩き、予定時間を1時間オーバーし薄暗がりの中を帰宅。

孫娘と遊ぶ時に心得ていること
・集中し、誠意をもって遊ぶ。何かやりながら、中途半端な遊びはしない。
・私のした約束は守る。彼女がした約束は原則守らせるが、状況により変更を認める。
・彼女の希望は原則かなえるが、駄目な場合ははっきりと分かるように説明する。
・原則として先回りした手助け、注意はしない。
・彼女の話は真剣に聞き、質問には誠意をもって答える。

或る時は高い所から落っこちたり、両足を植物の棘で刺し・引っかいたり・・・私と遊んでいる時、いろいろな事件がおきます。

訪ねてくると先ず「オジイチャマ遊ぼう」と言ってくれますが、遠くない将来に巣立ってゆく孫娘、今という時を大切にしたいと思っています。


国会議員の有給休暇は?(2006年11月18日)

国政に対する意見募集で次のような質問・提案をしてみました。どのような返事があるか?無いか?

 一般企業では、私用で会社業務に就けない時のために「有給休暇」という制度があります。有給休暇を使い切ったあとで、更に私用で休暇をとる時は賃金がカットされます。
国会議員の場合はどのような制度がありますか?
 国会審議を欠席、審議拒否等、公務以外の理由で議員としての職責を果たしていない場合の取り扱いは、一般企業並みかのそれ以上の厳しさがあって然るべきと思います。国民の税金を使っているのですから・・・

首相官邸宛てに上記内容を質問・意見として提言したところ下記メールを受け取りました。
首相官邸より(2006年11月21日 9:05)
 ご意見等を拝見しました。
いただきました国政へのご意見・ご要望は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただきます。
  首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当


最近の不祥事について:老人の戯言(2006年11月16日)

 最近は不祥事が多い。「あるべき姿」と言われていることから逸脱した出来事は不祥事(「いじめ」も含む)として採り上げられる。起こった出来事は現実として直視しなくてはならない。否定だけしても、「あるべき姿」を叫んでも何の解決にもならない。
不祥事は或る前提条件(「原因」)の下に発生する。当然、「原因」は追求され対応策がとられるが、これで充分なのだろうか。

 この前提条件を作り出す要因は何か?「原因」の原因は何か?
戦後教育の中で、自由権利、多様性を許容しない平等、過度の弱者保護が強調されてきた結果ではないか。美しい言葉であるが・・・
 人間が社会生活を営んで行く原則(民主主義の原則)、「自由には規律、権利・権限には責務・責任が伴うこと及び自己責任原則」をパッケージで学ぶ機会がほとんど無かったのではないか。
「大人」とは、これらの原則を知識としてだけでなく、経験を積み身に着けた人のことを言うと思う。
最近はこの意味での大人が少ない。反面教師ばかりがメディアで話題になり、教師役をしてしまっている可能性がある。

私自身の経験から個人的な見解として、考え方を整理してみました。老人の戯言として・・・。
機会を見て具体的な事例を考察してみたいと思っています。

首相官邸へ「教育改革で留意すべきこと」として提言したところ下記メールを受け取りました。
首相官邸より(2006年11月20日 8:58)
 ご意見等をお送りいただきましてありがとうございました。
 いただきました国政へのご意見・ご要望は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただくとともに、関係する省庁へも送付させていただきます。
  首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当


亡母一周忌(2006年10月29日)

 菩提寺である常照寺(沼津市)で法事を済ませることが出来ました。
残念なことに、参列してくださる予定だった義理の叔父(亡母が大変にお世話になった)27日に急逝されました。亡母の法事の後、三島市の斎場で行われた通夜に、翌日の告別式に参列しご冥福を祈りました。
 今年は親戚・知人の訃報が多く、無念で寂しい想いをしています。同時に、私自身にとって、死は現実の問題として考えておかなければならないと強く感じる昨今です。


友人の死(2006年5月18日)

 九州に単身赴任し、現役で活躍していたT君の突然の訃報を受けたのは5月15日でした。自宅のある横浜の妙蓮寺で行われた通夜・告別式に参列し彼の冥福を祈りました。昨年末に癌が見つかり療養中でしたが脳梗塞に見舞われ急逝したとのことです。
 共通の友人達と、彼が九州に居る間に遊びに行こうと話していたのに・・・同年代のあまりにも突然の死に強烈な衝撃をうけました。
 「何時何が起こるか分からない」「やろうと思ったことは先延ばしにしない」ことを彼は最後に教えてくれました。
合掌


「京浜急行・六浦駅」(2006年4月21日)

 六浦駅員の長谷川さんは一人で何役もこなしていました。自動化されているとは言え出札・改札、乗降客の相談相手、駅事務所と一体化した「京急ステーションストア(ミニコンビニ)」の店長兼販売員・・・を一人で担当していました。店の在庫管理から仕入れもやっているんですよ、勤務時間が短く感じますよ・・・と元気に話してくれました。仕事に誇りとやりがいを感じているようでした。
 9時半、歩き仲間全員集まりましたので、爽やかな気持ちで「六浦駅」あとにしました。


利用したい人に不親切な「特急踊り子」(2006年4月16日)

 親戚の法事に参列するため、余裕を持って家を出たのですが、途中の乗り換えに手間取り、予定時間の電車に乗り遅れてしまいました。
 少しでも早く熱海に行きたいとあせりながら、小田原駅で電車待ちをしていました。幸いなことにがら空きの「特急踊り子181号」が停車しましたので、乗車しようとしました。ところが乗車できるのは「事前に特急券を購入した人のみ」のとことで、乗車を拒否されました、幼児を連れた母親も同様に乗車できず困った様子でした。
これだけで済みませんでした!
 大きな旅行カバンを持った外国人(女性ジャーナリスト)がパニック状態で話しかけてきました。「特急踊り子181号」乗車券に指定されている「8号車」の前で待っていたが、ドアが開かないのに発車してしまった。下田で重要な約束があるのに!何故だ!私はどうしたらよいのか!
彼女と一緒に駅員に事情説明を求めたところ、乗車の際に特急乗車券を確認するため一部のドアしか開けない。このことは日本語で表示してあり、アナウンス(日本語のみ)で知らせているとのこと。日本語を解せない外国人旅行者のことは全く考えられていない!
「彼女が早く・確実に下田に行けるように」 駅員に念を押して、私と妻は普通電車に乗り目的地に向かいました。


叔父の死(2006年3月)

告別式の親族代表挨拶を依頼されました。挨拶の中で故人について下記の言葉を贈りました。

 叔父は「岡の宮S家・略記縁起本」を残しました。
岡の宮の地に、約200年前から足跡を残した初代からの系図と記事がしるされています。この縁起本で書かれていること、また、日頃の話を通じて、叔父は「血縁」(血のつながった親族との縁)、「地縁」(その土地の人達との縁)、「知縁」(人世の道すがら知り合った人との縁)を大切にしてました。
 故人の安らかな「死に顔」に別れをしていた時、「S家にとって所縁の地である「岡の宮」にしっかりと根を張り、「血縁」「地縁」「知縁」に助けられ・大切にして、俺は悔いの無い人世を送ることが出来幸せだった」という声が聞こえたように思いました。
 貴重な教えと、多くの思い出を残してくれた故人に感謝しています。


第一級アマチュア無線技士免許

平成18年1月23日付けで、無線従事者免許証(資格:第一級アマチュア無線技士)を受領しました。
いろいろな意味で嬉しかったです。
現役時代は忙しくて国家試験に挑戦する機会がありませんでした。年齢的に人世最後の機会と思い、昨年12月10日受験(無線工学・法規)し、合格することが出来ました。

受験申請を提出した頃から、同居している母の調子が悪くなり、ついに10月29日に帰らぬ人となりました。
母のサポートのため目の回る様な忙しさでした。最初の入院日(9月21日)から、回復を祈って禁酒を始めましが、結果的には、通夜を除き、七七忌明けまで続けました。

今思えば、現実からの逃避であったのか、禁酒によって空いた時間は受験勉強に集中していました。
記憶力・集中力・注意力・問題処理スピードの衰えを痛感しましたが、合格することが出来たのは、亡母の加護があったのではと思っています。

これも何かの啓示だと思い、趣味としてのアマチュア無線を続けて行くことにしました。


ホームへホームページへ戻る