雑感62 〜 日本と西洋の自然観 Previous 雑感メニュー Next
 世界の昔話を調べた小沢俊夫によれば、キリスト教世界には動物と結婚する話はない。『美女と野獣』では、結末で野獣の魔法が解けて人間に戻る。パプアニューギニアやエスキモーなどでは人間と動物がまったく違和感なく家庭を作っていく話がある。日本では動物と人間は同等だが、一緒には住めない。『鶴の恩返し』では、正体がばれるとツルは立ち去らねばならない。
 中国の老荘思想に見られるように、「自然」は万物と自己とが根源的に一つであることを指す言葉で、人間は自然の一部であった。日本には世界でもまれに見る自然の豊かさがあり、独特の自然観があった。"Nature"を「自然」と翻訳したころから、混乱がはじまったようだ。
 杉浦日向子は江戸時代の怪異や不思議を『百物語』というマンガにしているが、このあたりの感覚をうまく表現している。人が日常的に感じ取り何の不思議も感じなかったことが、明治になって自然の意味が変わってくると、怪異や不思議は急速に消えていき、忘れられていった。
 当時アメリカの新聞社から日本に取材に来たラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、この変化を書き留めておくことが自分の義務と考えた。ハーンは英語教師として職を得、日本人と結婚して永住した。「真実なものは古い日本でした。わたしは新しい日本を好むことができません」と言い残している。彼は日本人が忘れようとしている怪談話や不思議話を熱心に拾い集め、また日本の変化を書き続けていったのである。