雑感67 〜 万物の霊長 Previous 雑感メニュー Next
 生命の連続性を認められなければ死滅となり、生命の連続性を知っていても動物を退けていれば慢性病となるようだ。人間の「万物の霊長」としての認識は、科学や産業を生み、バベルの塔はどんどん高くなっていった。しかし、大地から崩れはじめた。バベルの塔がいっぺんに崩壊する前に、注意深く取り去らなければならない。
 万物の霊長とは、人間の部分的な面を全体と思い込むことである。それと同時に生命の連続性を忘れさり、日常性に留まるための言葉でもある。そもそも自然と人間を切り離すように、綿々と子供に教えているのは我々大人である。
「醜い・美しい」の判定は、すべて俗物的常識にしたがったアンデルセンの基準にほかなりません。アヒルやモグラやカエルは醜くて、ツバメや白鳥やチョウチョは美しく、したがって心の美醜もその通りなのです。最も許せないのは、アヒルは生涯アヒルであることの悲しみを、一かけらも理解していないことであります。アヒルの中の変種だと思ったら白鳥だった、乞食だと思ったら王子だった、といった正に「おめでたい」話が充満している。現実に乞食である人、現実に醜い者、とうてい回復しえない身障者の心を、この男は考えたことがあるのでしょうか。かれらに「あきらめろ、夢でも見ておれ」と残酷に叫んでいるのが、このたくさんの作品群なのであります。 (本田勝一『殺す側の論理』〜「アンデルセンの不安と恐怖」)