真実とうそのあいだはどのくらい隔たっているかとたずねられたとき、ミレトウスの哲人ターレスは答えた。目と耳のあいだほど、と。(伝ストペウス)
1789年7月14日、バスティーユ襲撃事件はフランス革命の引き金となった事件であり、この日は現在でもフランスの国祭日となっている。しかし、この事件がほとんど伝説によって脚色されたものだという事実は、あまり知られていない。
民衆が解放したのは、政治犯や思想犯でなく、ニセ札偽造犯4名、放蕩者ソラージュ伯爵、てんかん病者2名の合計7名。民衆が拷問道具と思ったのは、印刷機や中世の鎧。民衆が戦ったのは、退役軍人と傷痍軍人84名で、これにスイス人傭兵30名が加わったにすぎない。囚人は冷遇されていたわけではなく、王の客として、自らの家具と調度類の持ち込みも、自分の従僕を連れ込むことさえ許されていた。
池田理代子の『ヴェルサイユのバラ』もまったく事実とは異なる戦闘場面を描いているが、フランスでは実写版として映画化された。日本人にとってはもともと虚構であるし、事実関係は物語に遜色を与えない。しかし、この日を革命記念日として祝ってきたフランス人にとっては格別の意味がある。革命を美しい想い出にしたいというフランス人の心情が、伝説を事実に変える。