日本以外の諸国の代表は、「人間と生物(バクテリア、植物、動物)との間に根本的な違いがあること」を絶対的な前提として話をすすめてゆこうとするのに対して、日本人としてはどうしても納得がいかないという点があった。つまり、日本以外の諸国はすべてキリスト教国であるので、聖書の教えにしたがってこのように考えるのは当然のことなのである。(河合隼雄『宗教と科学の接点』)
人間と自然の絶対的な相違を前提としてきた西欧の挑戦に対して、日本は和洋折衷式に応戦した。たとえば結婚式にはキリスト教式を取り入れて日常化し、葬式は仏式で非日常的に扱かうことにして脇に押しやった。このようにすることで日常的な"Nature"と非日常的な「自然」の矛盾をまともに考えないで済んできた。だからこそ、下のような話に接すると不思議な感動に打たれることになる。
この間、ぼくの知り合いで亡くなったジャズの女性歌手から転居通知が来たんです。その引っ越し先が富士霊園というところでして、実は急に思いたって引っ越しをしたと書いてある。そして、もう人を教えるのもめんどうくさくなったし、こちらは空気もきれいでとてもいいところだから、旦那にも来いと言ったんだけれども、旦那はまだいろいろ仕事があるから家のほうに残っている、電話は当分引けないけれども、よかったらお遊びにおいでくださいと。要するにお葬式のお礼状ですよね。(河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない』谷川俊太郎の発言から)