初めは、崇高な至高体験から得た絶対的価値観であったかもしれない。だが、それは人から人へと伝わるうちに感動は薄れ単なる言葉になっていく。
宗教団体があまりに大きくなり組織化する必要が出てくると、末端のほうでは日常的な価値観を単に宗教用語に置き換えているだけになる。信者にとっては信仰は絶対だから理屈も何も無く信じるしかないのかもしれない。それが相対的、個人的価値観の否定につながるものだとしてもである。それゆえ宗教集団は、しばしば信仰の強要や恐喝、その他の社会問題を産む。このとき、宗教団体の権威者は、過激派の活動家に変容しており、布教は洗脳に転落している。
戦争に価値を認めないと非国民とされた時代があったように、現代でも人間には同じ傾向が潜んでいる。どんな価値観も絶対化し、集団化すれば凶器となる。第一に非難されるべきものは、宗教でも戦争でも当事者でさえもなく、まず、そうさせた権威者である。