雑感105 レミングの群れ Previous 雑感メニュー Next

 八年前のことだ。私は、或る事情から、或る宗教法人支部を訪れた。仏教系だが、その宗教団体の名前は伏せておきたい。その活動を直接批判するつもりはない。強引な勧誘でニュースになったことはあったが、似たような宗教団体は五万とあるだろうし、最近ではまったく耳にすることもない。
 私はその頃Mという女性と付き合っており、互いの実家を行き来するほど親しくしていた。しかし、付き合いも三年目となった夏の終わり、私は別れの手紙を書き送った。
 一つだけ、彼女についてどうにも我慢できなかった。それは、彼女が次第に宗教にどっぷりとのめり込むようになったことだ。私は無宗教だが、宗教そのものを否定するほど反宗教的というわけではない。だから付き合い始めに彼女に信仰のことを打ち明けられた時も反対はしなかった。相手の趣味に口出ししないという感覚で、自分でやるのは構わないけれど誘っても無駄だと言っただけだった。  彼女は次第に考え方も行動も変わっていった。自分が特別な人間という意識を持ち始め、お互いの付き合いも、私がそこに参加しない限り、その下位で起きていることであるかのように扱い始めた。つまりは最優先すべきは彼女の都合で、私の都合に仕方なく合わせるというふうになる。そうなると、ちょっとした会話にさえ緊張感が差し挟まれるようになった。私にしてみれば、常に浮気相手に遠慮しなければならないような理不尽な感覚だった。

 当時は山崎浩子の統一協会脱会騒ぎや、オウム真理教に関わる一連の事件で、マインドコントロールという言葉が一般に知られるようになっていた。私は懐疑的だった。いったいどうして信者たちがあれほど教団に囚われてしまうのか。オウムにしても、あれだけ幹部たちが社会的な制裁を受けていながら信徒たちはなぜ脱会しないのか。どうして親兄弟や恋人でさえ彼らを引き留められないのか。
 いざとなれば彼女を取り戻せるだけの力はあると自惚れていたかも知れない。彼女は単なる無知や迷妄から新興宗教に走っているように見えたし、教義をそのまま信じてしまうのも人として未熟だからだと思っていた。でも、そんな単純なことではないと今では気づいている。
 彼女は、というよりほとんどの人は、信じられるかどうかで物事を判断している。たとえば、先生が言ったから、教科書に載っているから、あるいはニュースになったから、そのまま受け止めて疑問にも思わない。それが事実か否か疑ったり自ら判断できる人は恐ろしいほど少数派だ。
 人のほとんどは、行く先も知らぬまま大行進に加わって、次々と海に身を投じるレミングだ。
 彼女は、やっぱりレミングだった。宗教のことだけではない。たとえば彼女はアムウェイの製品はすべて完璧なものだと思い込んでいて、サイドビジネスとしていた。もちろん、その商品が実際に良いか悪いかという問題ではなく、完璧な商品で完璧なビジネスだと盲目的に信じている。信用というレベルではない。理屈は二の次で、良いから良いのだと思い込んでいる。そんなに完璧な商品なら商品改良をしているのはおかしいと言っても、もちろん無駄だ。ただ信じているのだ。
 彼女に論理性を求めたいわけではない。何も信じるなと言いたいわけでもない。ただ一緒にいる条件が彼女の群に加わることなら、それは無理なことだ。私は群れに入ることはできるが、信じることはできない。
 私は、ほんの小さな諍いが原因で大きな亀裂が生じてしまうのを恐れもしたし、それまでに積み重なってきた引っかかりを増やしたくないとも思っていた。もっとも、ただ腫れ物に触るように放って置いたわけではない。月に一度か二度は折り合いをみて自分の考えを明らかにし、また彼女の考えも改めてもらおうと思ってやんわりと話し合いは続けていた。
 しかし、いろいろと試み、考えたうえで、別れる以外にないと思った時にはもう手紙を書き始めており、その日のうちに何のためらいもなくポストに投函してしまった。
 別れの手紙には、次に遊びに行こうと決めていたところへ行くか、それとも何か別のことをするか決めて欲しいというようなことを書き添えた。そして、手紙がついた翌日か翌々日だったと思う。彼女は新横浜の駅で待ち合わせしようと電話してきた。彼女は封を開ける前に何事なのかが分かったと言う。覚悟だけはしていたらしいが、それでもずいぶん泣いたようだ。
 会う前夜に夢を見た。
 改札口に行くと、Mは一人ではなく、同じ信者仲間を連れてきている。その女性を交えて、三人でしばらく立ち話をしているうちに、彼女と二人きりになれそうにもなく次第に憤りを感じ始める。夢はただそれだけで、あまりに現実的すぎたために夜中に目覚めてしまった。その女性の顔が同じであれば予知夢ということにもなるが、残念ながらそこまで鮮やかには憶えていなかった。ともかく再び眠りに就くまで長く考え込んだ。
 新横浜の改札口で、Mに友達を紹介された。そんなことは初めてだった。電話では誰かを連れてくるようなことは一言も言っていなかったが、わざと知らせなかったのかもしれないし、電話した後で一人では心細いと思ったのかもしれない。前夜の夢が現実になった。
 喫茶店に行き三人で長いあいだ話をした。Mは、今日は自分が先に話を進めてもいいかどうか、また、質問に答えられないといけないからKに同席してもらうということの了解を求めた。やけにビジネス的な口調だった。友達の前でどう喋ればいいか分からなかったのだろう。私は承知した。最後ぐらい彼女の望みどおりにしようと思っていた。
 まず、Kがその宗教の基本的なプレゼンテーションをし、それからMに交代した。四時間のあいだ、私はほとんど聞き役だった。初めのうちは私は質問や異論を差し挟んだりしていたが、三十分ほどで無駄な努力だと諦め、ともかく気が済むまで話してもらったた。
 彼女は、その宗教の概要をテープレコーダーのように一字一句も違ってはいけないかのように再生しつづけた。私は聞き疲れていて、「よく覚えたね」とか、「すごいな」とか皮肉混じりの言葉しか出なっていた。
 彼女が特定の宗教団体に属しているということは付き合いのかなり初期から知っていた。彼女の方から「私は信仰を持っているが、それでもいいか」と打ち明けたのだ。私は、「自分の連れ合いになる人がどんな宗教に入っていようとも構わない」という意味の話をした。彼女の口にした宗教団体の名前がいまだにどんな書物にも書かれていないようなマイナーな団体であり、別に社会的害悪になってもおらず、寄付金なども強要しないということも、すんなりと認められた理由だった。
 その頃の私は、女性と本気で理解し合おうとすることは馬鹿げた結果を生むだけだと考えていた。それ以前の恋愛は、理解してもらおうと思ったり相手を理解しようとしすぎたりしたために曲折することが多かった。実際、それをしなかったために彼女との付き合いは、これまでと比べて一番長くなっていた。
 Mは宗教にのめり込むにつれて、宗教的な部分の自分と、私を含めた外部の人に対しての自分とを使い分けるようになっていった。いわゆる「本音と建て前」というレベルではなく、信仰で説かれていること以外のことは全て否定するという態度が表れだした。それは黙っていても強ばった表情として見え、まして口に出すときにはどこかからリモコン操作されているのではないかと思えるほどロボットさながらの無表情になり、確信的な口調で言うのだった。言っていることが正しいか間違っているかということよりも、それを彼女自身が語っているように見えないことに私は嫌悪感を覚えた。それは群れの声であり、個の声ではない。遅かれ早かれ、いずれ宗教は彼女の個性を殺していくだろう。そして彼女にはそれがアイデンティティなのだ。
 人をそんなふうに変える宗教に魅力を感じるはずもなく、いずれは信仰を辞めさせるか、あるいは別れるしかなかった。そして私は、信仰を辞めさせようという努力はほとんどしなかった。それは彼女自身が自分の判断で決めるべきことだと思ったし、無理矢理辞めさせても、たぶん他を求めるだけだろうと思われた。それに正直言って、そのために自分の時間が奪われる恐れというものが常に付きまとっていた。
 考えてみれば、私はそれほど彼女を愛してはいなかったのではないか。あるいは、彼女に、言わば別の恋人として信仰があったからこそ、それほど負担に感じず付き合えたのかもしれない。いずれにせよ、彼女が自分と私の間に宗教という他人を置いていたのと同じように、私は一歩下がったところで彼女と付き合いを続けていた。そういった意味では似た者同士だったわけだ。
 互いに深く理解し合うことの放棄は結局のところ、他へ理解を求めさせることになり、一緒にいる意味さえうやむやにしてしまったのかもしれない。けれども人間性の深みに触れあわずとも、長い時間一緒にいれば互いに見えてくるものがあるはずだ。私も私なりに彼女には一緒にいるべき人間的な価値を見いだしていた。しかし、それこそが失われかけているものだった。本当にその宗教がそうさせているのかどうか、あるいは彼女の信仰の仕方がそうなのかどうか。それとももっと別の原因があるのか。なんにしても、彼女の変容は感情をも冷まさせるに十分だったし、彼女に辞めさせるように努力するだけの情熱も枯れるばかりだった。そんな気持ちを懐いたまま付き合いを続ける意味があろうはずもなく、私は別れの手紙を書いたのだ。
 彼女にしても、私を同じ信仰の道に引き込むか、別れるかという選択しかなく、自分が信仰を辞めるという選択肢は考えていなかっただろう。彼女は自分の力が足りず、私を信仰に導けなかったとため別れることになったのだと思ったのに違いないし、むしろそのために泣いたのかもしれない。
 喫茶店は広かったが、客の入りは二割程度で森閑としていた。四時間近くも話は続き、私はコーヒーばかり三杯は頼んだ。私に語り続けている人は確かにMであるはずだったが、表情も口調も私の知らない人だった。私は面白くもない台本読みに付き合わされている付き人のように退屈で、ただ義務感だけでそこに座っていた。
 参考のためにと広げられている解説書も読むに耐えないものだった。しかし、ただ彼女の話を黙って聞いている退屈を紛らわせるために、ずっとページをめくっていた。他の宗教の否定や他の事物の否定に大部分のページが費やされている。それは背理法による自己証明のつもりなのだろうか。例えば神道は動物を崇拝するから間違いだと書かれている。肝心の自己の証明の叙述は正しいから正しいのであってことさら説明を要しないとでもいう感じで、ろくに筋も通さないまま次々に飛躍していく。この本を読んで入信しようとする者がいるのだろうか。
 退屈しきっていることが顔に出ないように気をつける必要もなかった。彼女たちは私から目を離しはしなかったが、まるで漏れ聞くだけでも有り難い話だと信じきっているかのように私がただ逃げないでそこにいれば安心という感じだった。
 私は解説書をぱらぱらめくったりしているうちに、奇妙な奥付に気づいた。それは自分達の教団で編集発行しているものだったが、年に二三回も改版していた。増刷のつもりで版≠フ字を使う出版社もあるが、文字どおりの改版だとすれば悪くない収益になる。信者ならば必ず買い換えるだろう。
 Mたちは、私が知識欲の虜になっているという意味のことを宗教用語でしきりと言っていた。彼女たちは、普通の言葉で言えばいいことを宗教用語で置き換え、道具以上に重視している。それこそ知識の虜と呼ぶに相応しい。要は教義にない知識は邪道だと言いたいらしい。完全な閉鎖集団であって、何を言っても無駄なわけだ。ともかく暇に任せて解説書にほとんど目を通してしまうと、Mの話は単にその繰り返しにしか見えなくなった。
 結局のところ、彼女たちは、信じないと地獄に堕ち、信じれば御利益があり救われるのだという強迫観念に縛られている。もちろん集会ではそれ相応のカタルシスもあるには違いない。
 隣のテーブルにいた三人の青年の様子を今もありありと思い出す。みんなせいぜい二十歳前後ぐらいだろう。私たちが話しているあいだ彼らは何一つ話すでもなく、本を読むでもなく眠るでもなく、ぼおっと宙を見ていた。死んだ魚の目だ。彼らのテーブル上には、何時間も前から空になったままのグラスと並んで、同じ解説書が置いてあった。
 Mは説明をだいたい終えると、感極まったように「信心と同じくらいに」私が好きだと言って泣いた。Kは「分からないでしょうけども、こんなふうにMに思われてるっていうことは大変なことなのよ」と説明した。うんざりだった。私はこんな下らない宗教と天秤にかけられているのかと思った。もっとも、もうそれが宗教だとは思っていなかった。それは一種の絶対主義思想だった。
 実際、私はアーサー・ケストラーの「人間はたまたま属した集団のために戦争する」という言葉を思い浮かべたり、『サウンド・オブ・ミュージック』のナチス隊員となった男と娘の恋愛を思い出したり、その他さまざまな理不尽なイメージと格闘していたのだ。
 ともかくこれでやっと他人とか宗教とか言うものに邪魔されずに、本来のMと話をすることができると思った。ところが、Mは私が試しにでも入信しなければ、このまま別れると言い出した。そんなふうに別れてしまって平気なのかと問いたかったが、私はまた話が何時間も延びる方が堪らないだろうと考え直して、入信の書類にサインした。Mは用意してきていた書類をバッグから出しながら「一緒に信心することが夢だったの」と言って笑った。その笑顔は本当に嬉しそうだったが、やっぱり他人にしか見えなかった。
 支部は喫茶店からそれほど離れていないテナントビルの中にあった。真新しいビルだった。入口にカウンターで囲まれた受け付けがあり、若い事務員が三四人ばかり座って仕事をしている。Mはそこで数珠と教典、解説書を買って私に手渡すと、すぐに申請手続きを始めた。そのあいだに、私はKと一緒に中の一室に入った。
 そこはコンクリートの上に畳が敷かれているだけの一室で、壁も白一色だった。待合い室のように使われているらしい。三十人ばかりの人たちがめいめい思い思いの場所に坐っていたが、案の定、まだ三十歳そこそこの自分が一番年上のように見えた。誰も声高に話している者はおらず、すぐ隣の部屋からは薄いスチールパーティションを隔てて読経が聞こえてくる。待ったのはほんの十分ほどだった。そのあいだに私は儀式の段取りをKから聞いた。
 やがて本尊がある部屋に全員が移った。やはり同じ様な部屋で、目立つのは掛け軸が掛かっていることとと簡略な仏具が畳に置いてあることぐらいだろうか。リーダーらしき人が入ってきた。ノーネクタイに白いワイシャツ、黒縁の眼鏡。仕事帰りのサラリーマンという感じで、しかも年齢も三十代だろうと思われた。
 私は名を呼ばれて前に並び、型どおり頭を下げるだけで良かった。一緒に並んで坐ったのは他に二人いた。二人ともやはり二十歳そこそこぐらいの年齢で、他の信者と区別がつくような印象は何もなかった。これがもっと別種の集まりだったら、私はたぶん好奇の視線を浴びていたところだったろう。ともかくそう思うほど、私は自分が浮き上がっていると感じていた。
 それから皆に混じって読経に参加した。独特の抑揚はあるものの、リーダーを初めとして全員が唱和する様は機械的であり、ただいかに速く正しくテキストを読み上げるかに集中しているようにも見えた。それも二十分か三十分ぐらいだったろうか。それですべて終わりだった。あまりに呆気なく、そして味気なかった。
 読経のあいだ、リーダーが一人で読む箇所がかなりあったので、周囲を見回す余裕があった。前の方の入口に近いところだったので、後ろの奥の方まで視界に入った。その中でたった一人だけ他の人とは違って熱が入っているように見える女の子がいた。二十五六ぐらいだろうか。眼鏡をかけ、ぼさぼさの髪を後ろで束ねているちょっと風采の上がらない子だった。何度も畳に頭を擦り付けるような礼をし、教典も丸暗記しているらしかった。他のみんなも同じような造作はするのだが、そんなには極端ではなかった。Mを見ると、彼女は微笑んでくれ、この時は、私にはMだけが同じ人間に見えた。
 ビルを出てから「おめでとう」と二人に言われた。まったくめでたいことだ。Mの友達は先に帰り、ようやく私たちは二人きりになれた。
 私は三ヶ月間は試みに信者になるという約束をさせられた。二人きりになるのを待って、私は用意していた引き替え条件をMに告げた。「三ヶ月間はお互いに会わないようにしよう。三ヶ月経って会いたければまた会おう」と言った。Mは「それでは何も教えられない」と言って悔やんだが、友達のKが代わりを務めるということで納得させた。
 実はこれは交換条件とは呼べない。本当は私が信者になって勉強しているあいだ、Mは信仰を辞めて私にとって宗教に当たるものが何なのか考えてもらわなければ対等にはならない。しかし、Mがそんなことを承知するはずはなく、万が一承知したとしても、もう私には一緒に生きていこうという意思がなかった。もちろん、私は信仰の真似事を続けるつもりはなかった。約束をしてみせたのは、三ヶ月間ぐらいはこうなった原因をゆっくり考えて欲しいと願ったからだ。もちろん、自分もそうするつもりだった。そしてそれで終わりだ。
 そのあと、近くのホテルに部屋を借りてまでほとんど二十四時間彼女と話をした。私は開放感も手伝って興奮気味だったし、彼女も同様だった。それほど長く深く彼女と話をしたのは初めてだったし、私はこれで十分に納得して彼女と別れられると思った。彼女が幸福だと思っているのならば無理して連れ出すこともない。そして、できれば彼女にもそう考えてもらいたいものだと思った。
 別れてからたっぷり三ヶ月は、私はMのくれた解説書や冊子をときどき手にとっては様々に思いを巡らせていた。三ヶ月間は信者としてではなかったが、分厚いルーズリーフをびっしり文字の詰まったレポート用紙で一杯にするぐらいには考えてみた。もっとも、私が主に関心を持ったのはその宗教自体のことよりも、どうして人間がそうなってしまうか、なぜ自分はそれを望まないのかということだった。
 Kからは何度も電話がかかってきて集会に誘われたが、一度も行かなかった。もともとどうしてMがそうなったのかは知りたかったが、自分がそうなりたいと思っているわけでもない。集会に出れば却って嫌気がさすだけだろう。解説書や数冊貰った機関誌に書いてあることを読むだけでたくさんだった。
 機関誌には、誰それが間違ったことを言ったとか、信仰していない人がどうなったとか、他の宗教はこんなに間違っているとか、そういった記事でほとんど全部埋まっている。教祖の講演記事の中には(笑)とか(爆笑)とか週刊誌の対談記事のような括弧書きが随所に入っている。どんなにその宗教が素晴らしいかということを言いたいらしい体験記事もいくつかあった。たとえば、酒乱の父親が地獄に堕ちて当然だと考え自分だけ幸せになって喜んでいる娘の記事などがある。部外者が読めば誤解されるものばかりである。
 要するに、それは閉じた系なのだ。
 そんなふうに考えて過ごしているのだということは、別れてからさほど経たずに短い手紙にしてMに書き送った。直接的には書かずにわざと謎かけのような形で書いた。Mの友達はそれを一緒に読んだらしく「全然意味が分からない」と言ってきた。。それを聞いて、私は自分が相手にわかってもらおうとはしていないことに気づいた。それはもう恋愛ではなかった。
 それでも、できるだけKとは話をしたつもりだ。別に新しい話題があるわけでもない。既に聞いた話を繰り返されるだけだ。Kは私がときどき挟む質問には答えにくそうだった。いつも電話の向こうに別な誰かがいて相談しながら話しているようなのだが、それでも答えは曖昧だ。
 私は別に困らすような質問をするつもりもなく、むしろその宗教が正しいものとして話を進めた。反対しても話が長くなるだけだ。それにある程度の人数が参加しているならば、間違ったことばかりで成り立つはずもない。しかし、彼女は反対された場合の対処には或る程度馴れているらしかったが、賛成するようなことは自分達の中以外ではあってはならないことらしく、答えが非常に不透明になってしまう。結局は信心に勤めないと何も分からないですよと繰り返すばかりだ。
 何回目かの電話で「同じぐらいの年齢の男の人を紹介します」と言ってきた。「自分で勝手に集会に行って話しやすそうな人を捕まえた方がいいのではないか」と言ってみると、しばらく考えて「それは縁というものがあるからいけない」と言う。私が偶然に会うのは縁ではなく、Kの紹介であれば縁ということになるようだ。それでもMの友達だからということで邪険にしようとは思わなかった。ただ、家の者が勝手に茶々を入れて、Kからの電話は一ヶ月も経つうちにはすっかり来なくなった。
 たとえばこういう人たちは、日本にいれば安全だから海外旅行には絶対に行かないという人に似ている。海外の凶悪犯罪の例ばかりよく憶えていて、海外で幸せに天寿を全うする人のことは例外だと考えて記憶に残らない。もちろん、日本から出たくないならば外国で死ぬこともないだろうし、海外で幸せになる状況も考えつかないだろう。むしろ、外国人も日本が気に入ってたくさん住んでいるではないかとぐらいに思っている。そういう人に私の国の方がいいですよと言うことは、もちろん徒労である。日本は住みやすいと思っている人は多いだろうが、だからといって日本が一番いい国で、後の国は全部劣っているとまで思うのはどうかしている。それはあまりに情けないナルシシズムで、「井の中の蛙」というものだ。
 それが唯一絶対というものだろうか。私が思うに、唯一絶対というのは「あれもダメ、これもダメ」なのではなく、基本的にもっと肯定的なものでなければならない気がする。そうでないとしても、他者の否定に忙しい宗教に何も期待など持てない。
 こうした閉じた集団内で長く過ごしていれば、そのうち「ジキルとハイド」のような二面性を持つようになるのは仕方がないことと思われる。Mも、私の前ではハイと言い、別のところではイイエと言っているのが、最後の方では手に取るように分かった。何度か試すようなこともせざるを得なくなったし、そしてようやく諦められた。
 その後ずんぶん経ってからのことだが、以前から仕事上の付き合いのある方から、彼女と会ったという連絡をもらった。少し痩せたようだという。まるで感慨もなく、どうでもよかった。これほど心の中からすっかり消えてしまった女性は初めてだった。