雑感108 共時性について Previous 雑感メニュー Next

1995/05/04

●意味のある偶然の一致

 アメリカのネブラスカ州にあるビアトリスという小さな町で起こった事件である。1950年3月1日のその日、いつもなら午後7時30分に始まる合唱の練習に、合唱団員15名が全員とも遅刻した。(中略)結局、合唱メンバーが誰ひとりとして時間どおりに出てこなかったという異例の事態の背後には、十に及ぶ別べつの理由があった。そして、その夜の7時25分、教会で爆発が起こって建物が全壊した。合唱団員のひとりひとりが練習の4回に1回は遅刻していたとすると、全員が同じ日にそろって遅刻する確率は10億に1つしかない。一見、ありそうもないことなのだが、必ずしも驚くに当たらない。こういうことは起こりうるのだ。(ライアル・ワトソン『アースワークス』)

 意味のある偶然の一致は、ユングによりシンクロニシティ(共時性)と命名され、一般に注目されるようになった。物理学者パウリとの共著『自然現象と心の構造』によれば、共時性とは「意味の上でつながってはいるが、因果的にはつながっていない、ふたつまたはそれ以上の出来事が同時に起こること」だ。この言葉は、日本でも市民権を得ており、民放でも有名人の具体例を集めて特集番組をやっていた。本格的に研究されてからはまだいくらも経たないが、共時性の例は私にも挙げられる。

 最近のことだが、母が自分で作った手芸品を駅構内で販売する機会を得た。もちろん無料ではない。参加費用というか場所代を払ってワゴンを借りるのだ。それは手芸品フェアと名打った催しで、十数組が参加した。朝からそれぞれ持ち寄った品をそれぞれのワゴンに飾り付けた。母も「夢物語」と書いた看板を掲げ、持ち込んだ品物を並べている間にも、ぽつりぽつりとお客さんが来て忙しかった。
 いくらか客波が引けてきた頃、ふと隣のワゴンを見ると、自分の名前が目に飛び込んできた。それはワゴンの看板で、カタカナ4文字で自分の苗字が書いてある。そんなにありふれた苗字ではないから、思わず話しかけに行った。知らない人だった。名乗り合うと、読み方は一緒だったが、漢字が違った。念のため下の名前まで教えあったが、やっぱり互いに心当たりはない。偶然ですねえと笑い合った。そうしてふと、そのまた隣のワゴンを見ると、今度は心底驚いた。戦病死した兄の名前がフルネームで、今度はちゃんと漢字で書かれてあった。それは売約済の名札で、漢字で間違いなく母の旧姓に兄の名が書かれていた。
 帰ってくるなり母が一気に話したことだ。その同姓同名の人がどんな人だったかも訊いてみたという。「知らない人だよ」と母は笑った。そんなことだろうとは思ったが、「だけど、墓参りに来ないから呼びに来たのかねえ」と母が言ったことには何とも答えられなかった。確かに母が販売の準備で忙しいのを理由に、お彼岸だというのに誰も墓参りに行かなかった。わが家としては珍しいことだ。しかし、そういうことがあったからといって、墓参りは来年ということに変わりはないようだ。

 母にはこんなことがよく起こるが、一ヵ月も経つと忘れてしまう。一方、妹が経験したことは、生涯忘れられないような出来事である。

 妹には高校生の時に同い年のボーイフレンドがいた。高校は違ったが、彼は早々に中退して飲食店で働いていた。家が近所なので妹は毎朝毎夕会いに通ったが、オートバイ事故で彼は唐突に命を落とした。
 その十日前のこと、以前に遭った事故の保険金30万円が手に入った。お札をトランプのように両手に広げながら、「この金は、俺は使えない」と彼が言うので、妹が理由を尋ねると、「ただの紙切れに見える」と答えた。その一週間前のこと、四つのヘルメットのうち三つを布で綺麗に包み出した。どうしたの、と妹が訊くと、「もう被らないから」と言う。その三日前のこと、一緒に過ごしていると、妹の十字架のネックレスが突然切れた。普通では切れそうにない鎖の途中からぷっつり切れた。その前夜のこと、妹が「ごはん何食べるの」と尋ねると、「もうあまり食べてもしようがないから、カップラーメンにする」と言う。当日の朝のこと、窓辺に立つ彼の姿がなぜかぼやけて見えた。いくら目をこすっても姿がぼんやりとしか見えない状態が続いた。彼は仕事は休みだったが、妹は定期試験中だった。出がけに、「今日、どこか行くの」と声をかけた。「俺、まだ死にたくないからどこにも出かけたくない」。そう言ったっきり、いつものように窓から見送る姿もない。気になって引き返そうとしたが、テストには遅刻できないと思った。二時間後の試験中に、はっきり自分の名を呼ぶ声が聞こえた。驚いて腕時計を見ていた。午前十時二分。時刻が頭に刻まれた。
 訃報の電話を受けたのは私だった。「そのぐらいの時間だったろうな」と言うと、「呼んだ時間じゃないかな」と妹が答えた。


2016/11/12

 どちらの話も直後に直接本人に聞いた。ほかにもいろいろな話を聞いているはずだが、記録が残っているのはこの2つだけだ。話はたいてい一度きりで、こちらも聞き返したりしない。他人には信じる信じないの話でも、直接聞いた私にとっては、あったこととして受け取るしかない。