雑感119 変容する町 |
![]() ![]() ![]() |
2020/05/20 ![]() 毎年世界的に流行するインフルエンザは、日本では週当たり100万人単位の感染者と1日50人以上の死者を出すことがあった。接触または飛沫感染し、感染しても無症状となることが多く、無症状患者からも感染する。発症最低ウイルス粒子数は100個から1000個など、多くのことが知られている。 このインフルエンザ・ウイルスと構造を同じくするCOVID-19は、やはり接触・飛沫感染で、殺菌・除菌・抗菌などの予防策も同じで、無自覚症状でも感染力があるなど、類似点が多い。厚生労働省のホームページで確かめてもCOVID-19の項目はインフルエンザのコピーのようで、潜伏期間がやや長く捉えられていることが異なるぐらいだ。 ともかく、構造的にCOVID-19はインフルエンザと同様の予防策になるという。 治療法が確立されていない。この一点が予防策を驚異的に浸透させた。 自分の会社ではインフルエンザの流行の季節になると、手洗いうがい、適度な水分補給、自己免疫力を高めることなどが奨励される。日頃からマスクをしている人でもインフルエンザや風邪には罹るからか、マスクは任意だった。インフルエンザと診断されれば6日間出勤停止となる。 今年は2月に入ってからCOVID-19の影響で輸出入が滞るようになり、日々の業務に支障が出始め、次第に危機感が沸騰していき、インフルエンザ予防は強制的かつ自発的に新型コロナ対策に切り替わった。 朝の検温と休憩前後の手洗いが義務付けられ、マスクも世論に押されるように義務化された。これまでと同様に院内感染が早くから報じられていたため、いかなる病気や怪我もできないという風潮も一役買っただろう。言われずとも実行していた者は多かった。 会社で毎朝検温する事態は初めてのことだ。あちこちにビニール製シートを下げ、机同士を離してプラスチックボードで仕切り、朝礼は場所を分け、会議は禁止となり、食事時間をずらし、喫煙所を戸外に移し、時差出勤、時短勤務、自宅待機…思い付く限りの対策を取ってきている。 新たに注目されたのが殺菌・除菌・抗菌だった。あちこちに様々なタイプの薬剤が置かれた。事務所には次亜塩素酸水のミストが炊かれ、タイムカードの脇にはボトルタイプのハンドジェル、要所に除菌用スプレー、個人的にハンドソープや殺菌剤を持ち込んだ者も多い。 もっとも、こうした予防策は車の安全装置やガードレールのようなものだ。絶対に安全を保証するものではない。事故現場とも言える医療現場では、完全装備ですらしばしば突破されている。 相手が敵か味方かも分からず、どこから撃たれるかも知れない。そういう現場で「危ない」と判断されれば即座に生活を絶たれてしまう。「大丈夫」の意味も自ずと違ってくる。医療現場を始めとした休むことができない人とそうでない人の意識のズレは、たちまち戦地と故郷ほど遠く離れた。 会社は一種の運命共同体のようなもので、疑心暗鬼に距離を取りながらも、家の次に安全な場所にしようという思いは誰でも抱く。そうでなければ危険を冒してまで行く気にはならない。文字通り必死なのだ。 ![]() エタノールや次亜塩素酸水にまみれ、マスクや手袋で装備を固め、互いに敵同士のように離れて立つのは戦友たちだ。物資の搬送や公共交通機関の輸送班と連携して、町中の医局や薬局には衛生兵、日用品や食料を扱う配給班、その他様々な任務の軍人が配備される。 毎日のように戦局は変わり、戦死や閉鎖の報が届く。目の届くところに民間人に居て欲しくはないが、やむを得ず見過ごすこともある。状況はまだまだ厳しいが、彼らは大本営発表しか知らされていないのだ。 互いに距離を取るようになったことで、日常がだんだんと変わっていった。朝夕通りかかる町は人が少なくなり、物音が消えていった。 電車の中では、立っている者同士が向き合う形を意識的に避けるようになった。お喋りに夢中になっている者たちから人が離れ、マスクをしていない者に背を向け、駅で停まった時に、一旦ホームに出て別のドアに移動する人の姿も珍しくなくなった。 同僚の間でもこれは同じだった。机の間に衝立があることで話し方も変わった。これまで相手の顔を見て話すよう注意を促していた者も、相手の口元を見て顔を背けた。いつも大声で話していた者は声をひそめ、口数も互いに少なくなっていった。 例えば、働きに出る娘と家にいる母親の感覚のズレは、修理する側と修理される側の心理と同じようなものだ。技術的な差ができるほど話は通じなくなる。 ただし、食料を求めて外出するだけにしても、働きに出ているとしても、これが人に接触しないための技術であることには変わりはない。つまりは技量の差ということだ。 職場で衛生管理されていても、職場を離れれば自己管理になる。働きに出ていようが、家で自粛していようが、誰かが安全を確保してくれるわけではない。 これは、自らが管理者であり技術者であらねばならない局面で、人任せにはできないはずだ。ビニールシートや衝立を用意したり、換気や殺菌を行い、検温し、石鹸で手を洗い、マスクをつける。誰かがやってくれるのではなく、自分でやることだ。 これは、ある意味では自由を問うチャンスでもあった。 もしも、世界中の人が自分で判断できるならば。 当然のことのように自粛要請だけでは足らず、渡航制限やロックダウンが求められ、緊急事態宣言が為された。それでは手ぬるいとか、遅すぎたとか、様々な声が上がる中、全ての人が否応無しに巻き込まれ、町は呼吸を止め、瞬く間に財産を失う人々が増えていった。 乗車率50%にも満たない通勤電車。静まりかえる町で虫の息になった店。政策が作り出したのはそういう風景だった。 休日の朝のように駅に向かう人の姿も車の数も減り、滑り込んでくる電車が空いているため向かいのフォームがそのまま見える。遅延することもなく動き出す電車の窓は開け放たれ、外気の匂いで満たされる。旅行カバンを抱えた者はおらず、日本人しか乗っていない。いつも争うように降りていた横浜駅の階段で、誰とも肩が触れ合わない。黙々と乗り換えに向かう人波が間引かれた分だけ物寂しい。 時短してまだ明るい町を家路に着くと、のんびり散歩する人やジョギングする人と擦れ違う。公園の芝生では家族がボール遊びをしており、老人夫婦がブランコに揺れていたりする。駅には人もおらず、電車の中は立っているのが不自然なほど空いている。 夕方にはほとんどの店が閉まってしまう。土日には欲しい物は手に入らない。何より混雑している。平日に休みを取ってでも用事に出向く必要のある者も多かっただろう。 混む店は決まっており、他は絶望的に客が入らない。入口を開け放った店に店員だけが外を眺めて佇んでいる。足を踏み入れると、遠慮がちな「いらっしゃいませ」に、つい頭が下がる時もある。近づいては来ない。お互い様だ。声を掛けると互いにマスク越しで物静かに言葉を交わす。自然と対面は避け距離も開いているが、目尻は笑っている。 買物すると、本当に感謝されているのが分かると同僚が言っていた。頑張って欲しいと思ってしまうと言う。自分に照らしている部分もあるだろうが、収入がなくなることは互いに死活問題なのだ。 小さな買物だけで感謝や慰労が伝わってくる体験は久しく無かったような気がする。 これは、こうした立場に置かれた誰にとっても初めてのお使いというもので、どれほど町や人が変わっていったか目撃者の五感に代わることはできない。こういう体験は勧めることでもなく、勧める気にもならない。立場が変われば、また違う体験があるはずだ。 ![]() 現実に向き合わなければ感染もしないが免疫もできない。 東日本大震災の時と変わらず、最も必要な物は最も必要な時に最も必要な人たちの手に入らなくなった。ティッシュやトイレットペーパー、マスク、体温計、殺菌剤、米、パスタ…。マスメディアに取り上げられては市場から消失し、入荷未定の貴重品と化した。 治療法が無く、医者にも行きたくはなく、ほとんどの人が自分の身を自分で守ろうとした。一方では何もできなかったり、何もしない者たちもいた。それはどこの国でも同じだ。 最初に手に入らなくなったのはマスクや体温計だった。2月末には市場から消えた。次いで殺菌用エタノールやイソプロピルアルコール類が消え、除菌・消臭用の次亜塩素酸水が消え、泡状のハンドソープも消えた。 感染拡大となる中でマスク無しで過ごさざるを得なかった者は多い。少しだけ持っていた者たちは、使い捨ての物を洗って日々使い回したり、満員電車や危険な場所だけ使用したりして節約した。全員に可能な予防策は手洗いによる除菌と水分補給による抗菌だけだった。 マスクや殺菌薬を求めて開店前の薬局や量販店には毎朝行列ができ、開店後も店々をはしごする客足は留まることがなく、夕方からは就業を終えた者があちこちの店先を覗いて歩いた。通販を利用できない人々、特に老人たちが追い込まれ、店頭に設置された殺菌ボトルを頼りに並んでいた。 世界中には様々な分析グラフが溢れた。感染拡大傾向を任意の国を選んで比較表示できるサイトもあれば、報告されたウイルスの型を刻々と世界地図上にマッピングしているサイトもある。各自治体では日々刻々と細かな情報を公開している。 厚生労働省も日々情報提供しており、過去のデータも参照できる。例えば人口動態統計を参照すれば、2018年にはインフルエンザで3325人、肺炎で94661人が亡くなっていることが分かる。 東京都は今何人に1人が陽性で、1平方キロ当たり何人か。自分の乗る電車に当て嵌めると感染者が何人乗っている勘定になるか。韓国の百万人当たりの感染者数は日本より多いのか少ないのか。どこの国と何が違うのか。 最もウイルスが付着する確率が高いのは自分の体のどこか。殺菌・抗菌・除菌はどう違うのか。有効成分はどんな薬品でどう作用するのか。生身の人とどう相対していくか。どんな店がどう対策をとって安全に繋げているかどうか。 何が必要で、何が不要で、何が無く、何がどこにあり、何がどう変わったか。 ![]() やらされているだけでは抜け出したくなる。 感染拡大収束傾向は、韓国と日本は当初から同じような曲線を描いており、それは今も変わらない。韓国は日本に近く、流入してきたウイルスのタイプもほぼ同じで、発生時期も近い。日本の人口の約半分弱なので想定もしやすかった。 2月頃はイタリアと同じ曲線を描くことに危惧を抱いて過ごしたが、3月頃にはそれは無くなり、韓国と比較しだした。韓国と同じ曲線を辿るならば、4月末頃ピークを迎え、5月末には収束することになる。ただ、それはあまりに楽観的だと思っていた。 韓国という国は日本よりも衛生設備が遥かに充実しており、一人ひとりの意識も高い。日本が危機感を持ってこれに追いつけば、3ヶ月かけてゆっくり拡大し、収束に向かうだろう。ただ、オリンピックという障害があった。 しかし、オリンピック関連の荷扱いは2月中にはぼぼ消え、それどころか輸出入が回転しなくなった。物流業としては予定通りには開催不能どころか経営危機が見えてきた。やがて、オリンピックが延期となり、緊急事態宣言がなされたが、その頃までにはもう社としての方針は大枠では決まっていたようだ。 どうやら期間としては予想とそれほど違いは無さそうだが、死者は想定より2割以上多く、感染者は想定より5割は低い。5月末までに少なくとも2万2千人は感染しているはずで、これは単純に検査数の違いだろう。しかし、既に収束に向かっていて、もはやインフルエンザと同じく推計するしかない。 全国規模の会社ではあるが、ここ3ヶ月間、初めのうちはインフルエンザと風邪の報告はあった。多少の怪我は例年のように報告が上がってくるが、しかし病気となると熱中症が1件追加になったぐらいで、稀に見る減少となった。家族や直接的な顧客にもCOVID-19の感染者は出ていない。 間接的に自分も感染者ではないと思ったりもするが、無症状のまま治っているのかもしれず、たまたま周囲が丈夫な者ばかりだということもあり得なくはない。 ![]() 5月20日時点でCOVID-19の感染が報告されたのは137ヶ国で、100万人当たりの死亡者数は世界平均で42.7人、日本は66位の6.29人、韓国は74位で5.15人となっている。世界的に感染拡大は続いているので、死亡者数は増えるが、順位的には日に日に下がってきている。 流入してきたCOVID-19の遺伝子型が弱かったのか、元々の医学的あるいは文化的な抵抗力があったのか、風土的な強みなのか。罹ってしまうと比較的死亡率は高いので危険に変わりがないものの、何か特別な要因を仮定しないと説明が付かないように思われる。 あるいは、ごく初期に既に蔓延していて、抗体に阻まれて終焉を迎えているのかもしれない。今回はそれもありうる。 あるいはまた、日本中どこにでもある水道と石鹸が、風呂の習慣が、1億人からウイルスを洗い流し続けただけなのかもしれない。 やがては、体験のない人たちが町に溢れてくる。恐る恐る歩を進める人もいれば、流されるままに解放されてバカ騒ぎし出す者もいるだろう。 飲食店や酒場の中には営業を続けているところも多い。入口が空いているから通りかかれば中の様子も見える。店員はともかく客の方はマスクはしていないし、連休明けからはカラオケも聞こえ出した。 こうした人たちがいる限りは、時には強制的な政策に頼るしかないだろう。日本の場合は結局は都市封鎖にまでは至らなかったが、社内では一旦全部を止めるべきだという意見が多く聞かれた。 輸出入の混乱、オリンピック関連事業の停滞、予防対策など、初めは対応に追われる日々だった。都市はまるで壮大な実験場だった。やがて、やることが減り続けていき、時間が止まったように静かになった。 都市は変容を遂げ、元には戻らない。以前と同じように足を踏み入れることはできない。既に別の都市なのだ。 |