雑感124 安全という神話 |
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2021/10/06 李姉妹のチャンネルでしばしば取り上げられる日本と中国の文化的違いなどの雑談配信を見ていると、まず姉妹が楽しそうに会話していることに惹かれる。テンポ良く編集しているのだとは思うが、ただのおしゃべりが掛け合い漫才のように面白い。姉妹とも周囲のことを実によく観察している。広汎な話題に対して自分の考えや見方をしっかり持っており、聞いているだけで月並みの常識や価値観などは一蹴される。物事を良し悪しや好き嫌いといった評価で片付けるのではなく、文化の違いから構造的に捉えて話しているので、聞いている方も先入観が外れるのだろう。 もっとも、普段は意識することはないということも何度か言っており、日本だけで暮らしている人と比べれば切り替えが効くということだろう。2つの異なる文化を肯定的に捉えざるを得ない生活環境が背景にある。 この動画でも日本の治安の良さをただ紹介しているわけではない。建物の造りの違いを取り上げて、「防犯意識があるにはあるけど、他国に比べて程度が全然違う」と話している。動画の終盤では妹が「気をつけるに越したことはないし、何があるか分からんからな」と言うと、「出来る限りは。自分の安全は自分でね」と姉が相槌を打つ。 安全であることに越したことはないが、なぜ安全でいられるのか、どんな危険があるのか分からなければ庇護されている赤ん坊と変わらない。安全を作る側、危険に立ち向かう側に立つ機会はあまり無いとしても、改めて現実を見直すことで心構えは変わるかもしれない。 ナショナル・ジオグラフィックTVのもしもの時の生存マニュアルでは30余りの具体的なケースを取り上げている。動画では事故事例と状況説明、そして3つの選択肢から生存のための正解を選ぶように促される。「生存マニュアル」と訳されているが、原題は"Do or Die"で、食うか食われるかぐらいの命懸けの意味である。 マニュアルがあればどうにかなったというのは事後判断で、それが真実なら誰も不慮の事故で死んだりはしない。あればあったで、徹底不足とか認識不足と解釈されるだけのことだ。マニュアル整備は事後対策でもあり、事故の法的責任の比重に関わるものだ。他人事ではなく自分のことは自分で危機から脱しなければならない。 2009年1月15日に起きたUSエアウェイズ1549便の事故では、離陸直後のバードストライクで両エンジンが停止してからハドソン川に着水するまでが208秒、機体がどうなるかはやってみなければ分からなかった。後部からの浸水で沈みゆく機体の両翼と2つの脱出シューターの上は人で溢れた。そこは幅1キロの川の中央で、気温マイナス6℃、水温2℃の真冬である。 日本人2名を含む乗客乗員155名が全員助かったのは、何より機長の腕と判断があってのことだが、空港管制官や副操縦士、乗務員の連携も大きな役割を果たした。真っ先に駆け付けたのは通勤客を乗せていたフェリーで、付近の民間船舶や沿岸警備隊、消防、警察が続々と救助に加わった。川岸は救護のために人が集結し、24分間で救助を成し遂げた。1200人以上のニューヨーク市民が救助に加わったという。 2016年にクリント・イーストウッドが監督・製作した『ハドソン川の奇跡』は、機長のチェスリー・サレンバーガーと事故調査委員会との対決を物語の中心に据え、事故の再現に力を入れている。映画らしい多少の誇張はあるが、本人役を依頼されて当事者も多く出演している。この映画では誰もが自発的に即座にやるべきことをやってのける。 助かった日本人乗客の話では何ヶ月後かにクリーニングが施された手荷物が戻ってきたそうだが、日本で同じことが起きても同じような結果になるだろうか。マニュアルのチェックや判断の成否確認に多くの時間が費やされ、民間人は初めから危険だからと締め出されるのではなかろうか。 "Do or Die"では科学解説や技術解説に重点が置かれている。状況が違えば選択肢も変わるので正解も変わる。良かったのか悪かったのかは後で分かることで、ありもしない選択を先に決めておいても意味はない。先に決めておけるのは目的ぐらいのものだ。ここでは生存することが目的で、即座に行動しなければならない。 炎に巻かれた人間を救助するとき、最も効果的な対処法は? | ナショジオでの実際の事故映像からも分かるとおり、状況から結果までの時間的流れは変えることができない。既成のマニュアルを探す時間も読む時間もない。その場でできることを探して救出に加わるのも、消防車の到着を待って何もしない見物人を決め込むのも自分だが、火を消す方法を何も知らなかったと言い張ることはできないし、助けてという叫びを聞かなかったことにもできない。 |