雑感125 人それぞれの現実 |
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2021/10/03 知識や感覚を共有しながら周囲との社会的関係を築いていくうちに、やがて共通認識を優先するようになる。それが大人になるということで、自分の物の見方や考えを滅多に口にしなくなってしまう人もいれば、自分が常識と認めたことしか受け付けず、人に押し付けることしかできなくなってしまう人もいる。自己判断を非難されたり、時には強要されて責任を取らされることもある。 人それぞれに育つ環境は異なり、現実の捉え方も違う。直接比べる手段がない以上は言葉から推測するしかない。つまりは同じだと仮定してコミュニケーションを取る。自分と明確に異なるところがあったとしても、理解できるとは限らない。それをどうにか摺り合わせて適当に消化したり、拒絶したり、流してしまうこともある。 幽霊や死後の世界などは科学的・物理的に証明することができず、せいぜい心理学的に解釈するしかない。この松嶋初音というタレントの話も、特殊な世界観を持った家庭で生まれ育つと現実の捉え方も特殊になると想像することはできる。 この「会いに来た友達」という話は月並みの怪談とはまるで趣が異なっており、半ば楽しそうに子供の頃を思い出しながら話す様子は、体験をそのまま伝えようとしているとしか思えない。最後の方で突然溢れ出した想いを抑えて語る姿は美しくさえある。 自分にもかなり人と違っているところがあって蓋をしていることがある。 何度も引っ越しを経験して、小学3年生になった頃には転校にも慣れていた。共通認識や共通感覚は再構成を繰り返していれば大して当てにもしなくなる。みんなとか普通という言葉は使わなかったし、今も滅多に使わない。信じるという言葉も正しいという言葉もほとんど使ってこなかった。子供の頃から変わっているとはよく言われた。 誰も現実をそのまま受け取ってはいない。五感から入ってくる情報は様々なフィルターを通して認識される。生得的なフィルターにも多少の個体差はあり、これが受け取ることができる情報量の限界となる。この情報はさらに後天的な可変フィルターを通して認識に至る。 これは日本語のような無意識に近いレベルのフィルター |