

保土ヶ谷宿〜平塚宿 
平成 男101387女102313
保土ヶ谷駅に近い一角に江戸時代初期に建てられた「金沢横町道標」がある。
保土ヶ谷宿から分れ、金沢や鎌倉方面へ向かう「金沢道」との分点だった。
国道1号線に出ると大名が泊まった本陣跡で軽部家がある
歩いていると,軽部の姓が多い。軽部米店・軽部酒店・軽部スーパーなどだ。
現在も大地主!
大学駅伝で有名な権太坂は現在の国道一号線であって旧東海道ではない。
保土ヶ谷本陣跡から右にそれて行き、江戸から来て初めての難所と名高い権田坂だ。
「ごんた」とは人の名に聞こえるが、そのとおりで旅人が坂の名を聞いたら
だくすぶっていた。このまま下って行き国道一号線に出ると日本そば名古屋がある。
ここの海老天は具が丼からはみだしていて、視覚で味わて味覚で
味わえ2度美味いから何度も利用している。
さて、旧街道に戻り小高い山に境木の地蔵堂があるので境内の長椅子で一休みする。
保土ヶ谷宿 旧商家


坂を登ったり下ったり起伏の激しい山道を行くと、品濃坂の一里塚跡がある。
ここからすぐ視界が開けてこの辺りもここ数年で大きく変わりました。
山が無くなり道路出来、高層マンションが立ち並び商業ビルも建設中だ。
今回の旅の終点である東戸塚駅に着いた。私が住んでいたころはマンホール等の
資材置き場でぬかるみの空き地だった。
友達も近くに住んでいたので良く遊びに来ました。
たしか、区画整理で大金持ちになった友達もいたが・・・・・。懐かしいな〜。
品濃坂 品濃坂一里坂


平成8年9月14日 (快晴) 東戸塚〜藤沢本町(4回目)
5次宿場 戸塚江戸2906男1394女1509
平成275395男136878女138517
自宅からバスで東戸塚駅まで行き、スタート地点の品濃坂の一里塚跡から、
灼熱の太陽浴び歩き始める。柏尾川沿いに進むと日本そばの老舗「峰本」がある。
この辺りは、新婚生活を過ごし、子供が生まれた場所で家族を育んだ町です。
「お父さんが遅いとき一人で心細くってね。」
「生まれそうになって病院に行くのも必死だったわよ。」
「この辺り不便でアパートからバス停まで15分位だったからな。」
若さ故のこわいものしらずで無我夢中で、生活していたっけ。君も私も若かった。
不動坂を通り過ぎて。ダイエー前に着いた。
江戸方見付跡の石碑がある。10代の頃は全然興味無く通り過ぎていたが、
ここからが戸塚宿の始まりだと初めて知りました。
この辺りは、私の青春を詰めた宝箱だ。お寺の境内ででエレキバンドの練習、
オートバイ買いたくて新聞配達、ダイエーでのアルバイトして念願のCB72購入。
ブリジストン工場前の直線をCB72で無茶な走行などなど思い出す。
子供達2人があの頃の年代だと思うと時の速さを感じる。
偶然ママの知り合いに会い「主人です」と紹介されたが思えば主人ですと
紹介されることなんて何度もある事ではない気がするけど・・・・
大和証券の前に徳川家康の妾で、お万のかたの創建した〈清源院長林寺〉がある。
その敷地横に、19歳の大店の息子と16歳の女郎との心中句碑が、
ひっそりと隠れるようにあるが、埋もれて無くなりそうだ。
妻の勤務先の大和証券の店先を通って大坂台の坂を上りきると
正月の箱根駅伝の戸塚中継地点で有名な戸塚警署前である。
街道は松並木のある旧街道の面影が少しあるが、しかし年々松が無くなり
松でない木が植えてある。私が初めて見た40年代に比べたら
半分以下にに減っている感じだ。
しばらく行くと江戸から11番目の1里塚跡がある。
清源院長林寺心中句碑 戸塚大和証券前


6次宿場 藤沢江戸4089男2046女2043
平成419886男208733女211153藤沢市
原宿、鉄砲宿と歩き、下り坂になると清浄光寺(遊行寺は通称)宗祖の一遍上人が
踊り念仏で往生安楽を唱え諸国を遊行したので遊行寺と称された寺。
ときどき境内で青空市を開催しているので遊びに行った事がある。
懐かしい品々に遭えるので楽しいし時間の経つのも忘れる。
妻が青空市が大好きで、喜色満面で何かを見つけては「これ良いよね。買おうか!」と
聞かれる「そんなもの!」と腹では思うのだが返事に困るのだ。
機嫌を害したくない優しさと怖さかな?
遊行寺を通り過ぎ交差点にでるが、左側は鎌倉方面、直線は江ノ島。旧街道は右側に進
後ろ振り向くと妻がかなり遅れている。「おい!大丈夫か?」
「うん大丈夫・・・」足元を見ると歩幅も小さくゆっくり歩いている。
私も妻に合わせて歩くことにする。
私は妻にいつもキョロキョロして落ち着きがないと言われているので
ゆっくり歩くのは都合が良い。
藤沢宿は門前町として発展しただけにかなり賑やかだったらしく、
《旅籠もみな綺麗・飯盛女(女郎のこと)もいたってよし》と記述がある。
この飯盛り女の墓が40基もある寺が永勝寺で
今回参拝しなかったが、この墓を建てた小松屋の子孫が果物店となって
健在と記してあったが、残念なことに営業してない喫茶店に様変わりしていて、
小松屋とは関係なさそうだ。
バス停留所で時間を確認していたら、藤沢駅行きのバスがタイミングよく来たので、
乗車した。戸塚駅で、バスに乗車中に妻の知り合いに出会い
東海道五十三次を歩く旅の話をしたら「えらいね。がんばってね!とエールをいただいた。
平成9年4月13日(晴れ)藤沢本町〜平塚(5回目)
小田急線で藤沢本町まで行き、駅前で立ち食いそばを食べたが
ひどくまずかったのは残念でした。遊行寺から数キロの国道沿いに首洗い井戸があり、
もともとは弁慶の首洗い塚で有ったが、いつしか義経になって語り次がれてるらしい。
正しい史実は、近くの白旗神社に碑があるとか。
井戸は現在もあって金網でふたをしていた。
金物屋の脇から入る為、分りにくいが、小さな公園になっていてゆっくりできます。
炎天下黙々歩く。ときおりの突風で帽子を飛ばされないように注意しながらやっと
茅ヶ崎に着いた。大きなスーパーサティ―で、日本そば屋さんに入って
食事と休憩をとる。はしたないが靴を脱ぎ足にも開放感を与える。
足は非常に喜んでいる。
テーブルに置いてある冷たい水をぺットボトルに入れていたら、
周りの冷たい視線を感じた。
今日は2人共暑さに負けているし、急ぐ旅でもないから
鳥井戸橋の手前の公園で一休み。
ベンチでリュックを枕に横寝する。妻も初めは、恥ずかしいらしく、靴脱ぐ程度でしたが
いつのまにか、横に寝そべってました。
旅はおおらかな自由さを満喫するからこそ楽しいのだ。
私の弟がこの近くに住んでいるのだが、近くにいても年に数回しか会わない。
互いに家族がいるから仕方ないのだが、今度連絡しようと思います。
清浄光寺(遊行寺は通称) 弁慶の首洗い塚



