

沼津宿〜蒲原宿
12次宿場 沼津 江戸後期1843年男2663 女2683
平成男99886女102378
乗運寺の開祖、僧誉上人が住民を潮の災害から救うため
一本一本の松の苗に経文を唱えながら植え続けたと言う「千本松原」に着いた。
確かに海と陸の高さに、あまり段差なく、今日も強い風が吹いているが、
今は防波堤が延延と続き松と町を守っている。
松林の中は蝉の大合唱でこれが自然の夏・日本の夏だと感じる。
井上陽水の「少年時代」の歌が歌えたらな〜(私、音痴)
松林を抜けると国道1号線で、今度は車の騒音だ。
自販機で私は汗に近いポカリ選び、妻は大きめのイオン飲料のボタンを押す。
松並木(蝉しぐれ)


13次宿場 原 江戸後期1843年男957 女984
平成男96134女100597
つくづく思うのだが、二人で歩いているので、喜びは倍で苦しみは
半分になる気がする。
「原宿」に着いたら松蔭寺で、横になって休憩しようとママを励ましながら
ここまで頑張ったが、参拝者が多くて諦め、お線香の煙で清めてすぐ出発した。
しばらく歩いたら洒落た喫茶があったので、迷わづに入る。
店の女の方「今休憩時間何しに来たの!」そのような雰囲気なので、
「よろしいですか?」と尋ねてしまった。初めは愛想良くなかったが
東海道歩いていると、知ると急に笑顔になった。
東海道五十三次の言葉は、まるで御老公の葵の印籠のようだ。
表は暑い!黙々歩いてやっと、やっと「東田子の浦駅」まで到着。
距離的にもかなり頑張ったと思う。
駅の入り口で警察官に、捕まっている若者がいたが何をしでかしたのだろうか?
宿泊予定の新富士ホテルへ(朝食付き6000円)電車とタクシーで移動した。
この日夏の甲子園で神奈川横浜高校が優勝!投手は怪物松坂。
テレビのスポーツニュースは興奮を伝え続けている。おやすみ(バタンキュウ)
平成10年8月23日(日)快晴・東田子の浦〜吉原(11回目)
9:30分出発〜富士川着15:40分 戸塚18時着
今日も猛暑になりそうだ。妙法寺の毘沙門堂で旅の無事を祈願する。
「歯医者の家が皆立派ね」
「皆新しく庭も広くて、」私も感じていたが約2キロの通りだけで
1戸建の立派な歯医者が4〜5件はあった。お客様そんなにいるの?
町じゃないんだから。あっこれは失礼!。
それにしても空き地も見受けられる。塀だけが残ってたり、
どうみても、バブルが起こした悲劇の後に見えて仕方ないのだが・・・
いつの時代も皆、夢を追いかけ背伸びをするときがある、勝ち組か負け組になるか
今も生きていく為、様々な戦いをしているのだ。
長さ15メートル程の橋を渡りきった所に、増田平四郎の等身大の
銅像がありました。説明によると、「度重なる水害から村を守るため、
代官、勘定奉行に願い出て、27年目にやっと重要性が認められ建設したが、
なんと、完成した年に、高波で跡形無く壊された。とある。無情な話だ。
さすが富士山のふもと清く澄んだ水が豊富に流れている。
この水を利用しているのだろうか、製紙工場が多い。天高くそびえる煙突,なびく煙。
左富士の名勝は松の古木と碑が立っているだけで富士山は見えなかった。
増田平四郎 左富士


14次宿場 吉原 江戸後期1843年男1328 女1504
平成男124151女127832富士市吉原
しばらく歩くと「平家越」の碑がある。水鳥の羽音を敵軍源氏と間違へ驚き敗走した。
今は沼地ではなくせせらぎ程度の小川だ。治承の戦場(1180年)だ。
平家滅亡への羽音でもあったのだ。
昨日の「頼朝・義経・初対面地」からの距離を思うと、身近に歴史を感じることが
出来て旅の喜びを感じる。ここは石椅子が整備されているので、
水辺の輝きを浴びながら歴史への想いにしばし身を浸す。余談になるが、
かぐや姫が生まれた竹やぶはこの近くらしい。
「吉原宿」に入り久々の大きな商店街があった。食事もこの商店街でとる事にした。
平坦な街道が続くが、凛々と照りつける太陽で体の消耗が激しい。
無理せずにゆっくり歩こう。
富安橋、昔は「三度橋」(毎月三度江戸、京、大阪を往復した飛脚が通った橋)と
呼ばれていたらしい。
そしていよいよ富士川に到着!富士川の上流には武田信玄が川中島の決戦で受けた
肩の傷を癒した、湯32度の下部温泉がある。近ければ足の疲労を癒しに
行きたいのだが今回は諦める。
自転車で旅をしている若者も木陰で休んでいた。私たちも富士川橋の手前にある、
急流や洪水による災害を防ぐため、建てられた、水神社で日陰に入る。
川辺では家族連れが水遊びをしている。子供達の幼いころ思い出す。
今は大きくなってそして生意気になって・・・でも真っ直ぐな良い子に育って
いるように思う。ママの教育に感謝です。
橋を渡って国道を横切り急坂を登るのが旧街道です。
国道を行けば、目的地の富士川駅に30分位で到着するのだが、私達夫婦は
もちろん旧街道を歩きます。くねくねした坂道を登りきると、
静かな家並みが続いていた。
江戸より37番目(148キロ)の一里塚があった。この一里塚の立場で、
栗の粉餅と言って,実は大豆の粉をかけた餅を売っていた茶店が
あったと言い伝えがある。
すると近くに饅頭屋があるではないか!もしやと思いながら店に入ったが、
店の人は、言い伝えさえ知らなかった。
「近くで商売するならもっと勉強するべきよ!」とママ。
坂を転げるように下ると,国道に出た。旧街道選んで、
おおよそ1時間30分掛かって富士川駅に到着した。
今回の旅はここで終わりにする。
プラットホームのベンチに座わり、電車来るまで、うとうとまどろむ。
平家越 旧街道


平成11年11月21日(土)雨 富士川〜興津(12回目)
15次宿場 蒲原 江戸後期1843年男1251女1229
平成男118024女124992
今回は横浜から車で来たので、富士川駅より徒歩5分の1日500円の
有料駐車場に停めた。安心して出発できます。
山腹の旧街道を出発する。好天に恵まれ、上り坂のせいもあるが、
セーター一枚でも充分暖かい。東名高速の陸橋を渡るのだが、橋の真中で
立ち止まり車の流れを見下ろすと怖い、引き込まれそうだ。
猛スピードで走る沢山の車・・・
のどやかに景色を堪能しながら歩くのは今の時代では、
贅沢な時間の使い方なのだろうか。
今日、2時間近く歩いているが時間は沢山あるので
四季の景色に染まりながら森の扉を開けて
ゆっくり歩こう。歩いている地域の歴史や温もりを夫婦同じ目線で同じ時間を
過ごす喜び、感動を共有する幸せに感謝しながら旅をしたい。
必ず記憶は蘇える時があるので20年先か30年先になるか・・今の気持ちを
忘れたくないと思うが今は急こう配の下りが続いていて必死です。
11月の後半だが周りの景色に冬が来る前の静けさを感じる。
「もしもし!」「起きろ!時間だぞ」実は娘に友達と遊びに行くので起こしてと
言われていたのだ。歩きながら携帯電話で話しをした。
飛脚なら2日かかるであろう連絡が、こんな山中からでも、ピンポンパンで
瞬時につながる。魔法の機械だ。
下り終えて平坦な街道になった途端がらりと雰囲気が変わった。
この宿場は、江戸後期,明治初めの当時を偲ばせる建物が多く、
特に格子戸の美しさは格別の趣がある。
ここは普通に生活している民家なのに戸口横に説明板が掛けてあるのが嬉しい。

