

由井宿〜鞠子宿 (江戸の雰囲気が残る宿場町)
16次宿場 由比 江戸後期1843年男356 女351
平成男118024女124992
軒下からおじいさんが、会釈をしてくれたので、慌ててこちらも「こんにちは!」と挨拶した
身なりと場所から東海道五十三次に挑戦してるのが分るのだろう。
頑張りますよ〜最後まで絶対に諦めませんと自分に言い聞かせながら。
蒲原から由比の宿場まで、今風でいえば、癒しの町。機会があれば又訪れたい町です。
由比本陣記念館で東海道広重美術館に入るが地域映画見ているうちに
寝てしまいました。由比本陣標石の前に、由比正雪の実家がある。
正雪紺屋ののれんをくぐり店内に入ると、天井が高く煙で
すすけた梁と大黒柱がデ〜ンとかまえています。天井に竹駕籠が
無造作に置いてあるし叉藍染め用の大きなカメ釜が店内の半分を占めている。
正雪が幕府の追ってに、囲まれ自決したのが1651(約350年前)
だが、遺髪を収めている祠が奥庭の丸石の下に有ると言う。
私はあれこれ瞑想にふけっている間、
妻はもっぱら買い物選びに忙しい。妻が桜海老が名物と言うので「桜えび茶屋」で
食事にする。さくら海老の香ばしさが抜群で美味しかった。
黒い板塀の長屋、入ると土間がありそうな民家などが建ち並ぶ
昔の雰囲気を残す倉沢・寺尾の宿場を通り過ぎる。いよいよ薩捶峠入り口だ。
右に一里塚があるがその手前に道中記に実名で書かれている、茶屋藤谷の
離れ座敷「望獄亭」が今も営業している。
山岡鉄舟が官軍に追われて、逃げる時に残して行ったピストルがあるらしい。
緩やかな上り坂が続き、行き交う人と会釈するのだが、
この峠は「きついね」と、皆さん話される。これは気を引き締めないといけない。
両側に、みかんと夏みかんの実がたわわについている間の道を進む。
左下は海に向かって崖だが,沢山のみかんの木が植樹されており
風景としても見ごたえあります。小雨が降り出したが、雨具の用意が無いので心配だ。
頂上は、広重が五十三次の絵のモデルにした場所で今も昔も変わらない
唯一の景観が拝める所なのに、あいにくの雨で見えずに残念である。
対外の旅人はここから引き返す。この先は旧街道の名残があるだけで
道らしき道がないのだ。しかし私たちはもちろん旧街道を進むのだ。
みかん畑の農道を、さらに進むと獣道になる。
小雨が降り続いていて昼間だというのに暗くなってきた。嫌な予感がする。
墓地だ!。ぬかる道に足をすくわれながらも、早く墓地を通り過ぎたいから
一心不乱で歩く。妻はここで、はぐれたら、迷子になるだろう!。それほど険しい道なのだ。
しっかり手を握り離せない。
墓地を通り過ぎて下り坂を過ぎると開けてきた。持参の古い地図だけが頼りだが、
幸い自分の方向感覚には自信がある。予想より手ごわい峠だ。
傘も合羽もない軽装の二人にはこの豪雨はきつい。
やっと国道1号線に合流した。しかしここでリタイヤできない。
妻は足にスプレーを吹きつけながらも頑張っている。
痛いのだろうが弱音を吐かない人だ。
鮎が美味也と道中記に書かれている、興津川をこえるが今は全然食欲なし。
ここから興津の宿場。もうすぐ、興津の駅です。薩捶峠を制覇しました。
歩いた距離はさほどでないが、内容の濃いウオーキングでした。
ぬれたシャツを着替えたら身体も温かくなり、妻も先ほどまでの鬼の形相から、
にこやかな笑みがこぼれています。
電車の揺れと暖かさと疲労で睡魔に誘われてます。
夢心地とはこのことではあるまいか。先ほどの辛さは何だったのか?
由比正雪の実家 望獄亭



17次宿場 興津江戸1668男809女859
平成243016男118024女124992静岡市清水区
平成10年5月1日(晴れ)快晴 興津〜静岡【駅】(13回目)
清水駅の駅前市営駐車場に止めて,電車で興津まで行き、さて8:55出発である。
今年初めての旅であるが、目標は行ける所まで行こうと気負いは無い。
朝早くから、大勢の方が集まり、ノボリを立てて祭りのように,
賑やかな寺に出くわしたので、早速寄り道をした。
入場料500円少し迷ったが入る事にした。寺の名は清見寺、由緒ある寺らしく、
年1回の宝仏の拝観出来る開放日でした。徳川家康が幼少の頃勉強した
手習いの間が保存されており4畳位の部屋だった。
五百羅漢石像は見応え有り、石仏より亡き人の面影を
偲ばせる方を捜し当て冥福を祈るのだと言う。
庭園は文化省指定で、明治天皇、大正天皇も立ち寄っている。
清見寺・五百羅漢石像、かの武田信玄もこの寺から、
「清見がた雲にも関のあるならば月をそめよ三保の松原」と詠んでいる。
お寺の前庭のところを東海道線が走っているのが侘しいきがする。
山下清が「お寺から見える海は埋め立て工事であんまりきれいじゃないな」
(山下清・清見寺スケッチの思い出) と記述してある
18次宿場 江尻江戸6498男3160女3338
平成243016男118024女124992清水区
やっと江尻宿に入った。静かな町並を通って稚児橋を渡るが、名の由来は
川から河童が現れ、府中の方に消えたと云うので家康が命名したそうだ。
橋の欄干にチンポコ出した河童の銅像を見て、妻が「リアルで立派なチンポ!と
大喜びでした。私たちを若いアベックが抜いて行った。妻が「帽子もかぶって無いし、
近くに行くだけだよね」「うん!そうだよ。しかし早いな〜もう見えなくなった」
二人して負け惜しみ。江戸時代からの老舗の追分羊羹のお店に着いた。なんと、
さっきのアベックが居ました。私たちは1000円で羊羹と団子を買って
すぐ店をでたが、二人は、かなり悩んでいるようだった。
折角の清水港なので美味い鮨でもと考えたが、
どの鮨屋も、敷居が高くて入れないので、我々夫婦は寂しい食事になりそうだ。
草薙駅(日本武尊が賊に火をつけられ危うかったが,剣で草を薙ぎ払い難を逃れた跡)
近くに巨大な建物、ジャスコがオープンしていたが、周りは半農家ばかりだ。
戸塚宿に30年前にスーパーダイエーが誕生した時もなぜ、
こんな場所にと思ったものだが意外にもダイエーは毎日がお祭りのように
繁盛していました。
追分ようかんの店 草薙一里塚



19次宿場 府中江戸14071男7120女6951
城下町平成253911男122107女131804静岡県葵区
徳川家康
賑やかな通りに出たら、回転寿司が有るではないか。迷わず暖簾くぐる。
30分休憩して、13時15分に出発する。
近くには清水次郎長の墓がある梅陰寺があるらしいが寄らないで
旧街道を少しだけそれて華陽院に行くことにする。
家康の祖母と家康の五女で、市姫の葵の紋所が入った大層立派な墓がありました。
そして、ひっそりと側室、お久の墓もありました。
宝台院に行くのに迷い、駐車禁止取締まり中の婦人警官に尋ねたら知らないとの事。
そして玄関先でぼんやりしていた、おじいさんに聞いたら、すぐそこだよと教えてくれた。
うそ〜と言う感じでした。宝台院は徳川慶喜が謹慎していた寺であると共に、
2代将軍秀忠の生母の墓もある。実は側室だったのだが、お久との違いは歴然で
墓は葵の紋所が威光を発していた。寺そのものは,新しいのだが、
温もりのない寺に思えた。コンクリートの剥き出しのせいかも知れない。
静岡駅に到着した。
今から清水駅まで電車で引き返し、旧街道から外れていて、見学出来なかった名跡を
車で観光する。まずは三保の松原へ。
緩やかな坂を登るとすぐに、松並木と言うより、一本一本が見事な
風格と重みを感じさせ、天高くでは無く、地面に這うように年輪を経過した太い松がある。
海岸から吹きつる暴風にも耐える強さが感じられ感激した。
「雨につけ嵐につけて美保が浦 小松が上をおひこそやれ」
照憲皇太后が先の清見寺から詠んでいる。次は日本平に。
期待を込めて頂上まで一気に行く。
今年タイタニックの映画が大ブレイクして、妻など、肩を震わすほど、
泣いて鑑賞していた。音楽もデカプリオも最高だった。
船の一番先端一歩踏み出せば海中に落ちる場面で、自殺を思い止まらせ、
デカプリオが抱えて女が両手を広げる感動の名場面があったのだが、
今アベックが展望台の上で同じ仕草をして盛り上がっている。
邪魔しないようにしよう。見ているこっちが恥ずかしい。
途中夕食済ませ20時に旅館にチックインした。
宝台院 三保の松原



平成11年5月2日(快晴) 静岡〜宇津ノ谷峠(14回目)
今日は静岡駅から、出発して旧街道を歩く。駿府城跡に着いた。
家康が築城、現在東御門が復元されているが立派なものだ。
石垣は栄華の強さと美しさがある。
濠には鯉と並んでナマズが泳いでいた。ひげがあったので間違いないと思うのだが?。
暗い所に隠れていて夜に活動するのが、ナマズと思っていたが、昼間で驚いた。
街道に戻り商店街を進んでいたら、青空の下、バザーをしていた。
同じ昭和30年代のコニカカメラが骨董品として
売られていた。私のコニカカメラは現役で良く写ると自慢しましょう。
旧新町二丁目のこの辺りは家康が駿府に入った当初、戦国名残の喧嘩が絶えず,
人心を和らげる為に創った遊郭が在った場所。7丁(800b)あったが、
江戸吉原に5丁が移り,残り2丁が昭和32年まで続いた。
今は町名も変えてるのでいつしか忘れられて行くでしょう。
途中ふと振り返ると妻の姿がない。あたりを見廻すと居ました!鯛焼屋に。
二人で鯛焼きをほう張りながら歩く道中もまた楽しい。
安倍川に着いた。ここは安倍川餅が名物なので橋のたもとにある店に入り、
茶で喉を潤してから、安倍川餅を食べた。
長い橋を渡る時に、思うのだが、手前の町と橋向こうの町の雰囲気ががらりと変わる。
たぶんこの橋の両岸にも様々なドラマがあるに違いない。
駿府城跡 安倍川餅



20次宿場 鞠子江戸795男366女429
平成212634男104929女17705静岡県駿河区
丸子宿に着いたが、ここの名物で江戸時代より語り告がれている茶店、
丁字屋がある。歩きであれば、旧街道沿いにあるので、通り過ぎることは
無いが車だと国道1号線の裏なので、通り過ぎるかも知れない。
芭蕉の句「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」の碑が店の入口横にある。
表は萱葺きで当時の雰囲気が色濃く残っている。
店内に入ると100人程入れる座敷がある。
昼どきと重なり、なんと待ち時間1時間でしたが休憩がてら待ちました。
座敷には広重の絵皿が55枚飾ってある。まりこ宿と読むこともわかった。
麦とろ飯を腹一杯食べ元気良く出発と行きたいが、ビールで酔ってしまった。
途中親子連れや若いアベックにも追い抜かれ、やっと、宇津ノ谷峠入り口に着いた。
外人と日本人の二人連れに話しかけたら、沼津から金谷まで行くとか。
私たち夫婦が5日かける日程を2日で走破すると言う。2人は互いに
ライバルそんな熱気がムンムンしている。この様子では目標達成は確実だろうな
茶店、丁字屋



