一歩から
袋井宿〜白須賀宿
27次宿場 袋井 江戸後期1843年江戸男女
平成84813男42772女42041
袋井の語源は、四方、丘で囲まれて、田畑があり、まるで袋の中に入ってる
感じなので袋井と呼ばれるようになったとか。誰がどこから見てそう感じたのか?
地名の語源は調べると面白いかも。
平野なのでお米はもちろんだが、なんと温室メロンなども盛んらしい。
休憩をとりながらマイペースで進む。
たわいない事を喋りながら歩くので後で何を話したか全く
覚えていないのも旅かなと思います。
休憩袋井宿 袋井宿

28次宿場 見附 江戸男 女
平成男828145女82703磐田市
この街道は平坦で、歩きやすく見晴らしが良いと記述がある
「見附=富士山あらわに見える故に見附台と言う」上方より下りに初めて
富士山が見えた場所、当時の旅人もわくわくした事だろう。
天竜川の水源は信州諏訪の湖より来ているらしい。
渡し舟では武士から船賃を取らないで、商人と百姓からは銭6文取ってた。
封権時代そのもので階級意識に左右され船賃も変えたとある。
天竜川を渡るとそこは、中野になるが【巡覧記】で中野は京、江戸の
真ん中と云うと説明ある。現在は袋井が真ん中と聞いている。
江戸時代の距離を測った人はえらい。現在と差ほど変わらないのだから。
こんなに頑張って来たのにまだ、半分だ〜。
これからは京都に一歩一歩近づくんですね。
浜松駅に妻の中学時代の同級生の友人が迎えに来てくれて、
友人の経営する居酒屋に招待された。
額を付けるほどの近距離、小声でひそひそ話しかと思えば
急に大声で笑い出し、楽しそうである。
前々から友人が浜松に住んでいるので通過する時は逢いたいと
話してたのが実現したから、無理もない。
私は妻を残して申し訳なかったが、早めに席をたった。実を言うと、風邪気味で
最悪の状態、咳は出るし、熱もあるみたいだ。早めにホテルで休んだ。
平成18年8月21日(月)快晴 気温31.4 浜松 〜 新居(19回目)
29次宿場 浜松 江戸後期1843年男2932女303
城下町平成男117068女118207浜松市中区
井上河内守
午前7時起床、目覚めは、爽やかとは行かないが、朝があるってすばらしいと思う。
昨夜の不調から思えば大分回復しました。
昔の旅人は、午前4時に出発。昔の貧乏旅は、握り飯とおかずにするタクアンを、
腰からぶら下げ、宿賃を節約するため先へ先へと急いだとか。
私たちは、出発もゆっくりで朝食はしっかり、疲れたら休憩し、
喉が渇いたら自販機で冷え冷えの飲み物を補給と、贅沢な旅をしているのである
ホテルから浜松城まで行くことにしたが、歩いても歩いても着かないので
地図を見る(解読)には自信はあったし
今までパーフェクトを通して来たのに今日は全く方向が分らない。
昨夜の後遺症か?人に尋ねながらやっと到着した
【浜松城】 1570年から1586年家康29歳〜45歳までの17年間在城していた。
「野面積み」といい大きい石を積み内側に小型の石を積み隙間にも
詰め石をして水はけ良く、堅固に造られている。
出世城の異名・老中6人、京都所司代2名、寺社奉行4名を城から排出している。
明治初めに廃城になったが1958年(昭和33年)市民の浄財で
新天守閣が再興された。
案内人が1570年から唯一残っているのは、この石垣だけで、
本物です!と力説している通り、荒々しさのなかに強さと素朴だが美しさを感じました。
太陽が隠れる雲ひとつ無い、青空。
今日は人通りも少なく静かな城下町の商店街だ。
商店街抜けると道幅広く車の通行量も多い。
排ガスと車の熱、太陽の熱射が容赦ない。妻は少し遅れがちで、
私が先へ先へと行くから、仕方なく着いてきている気がするので
何処かで休憩しようと思うのだがお店がない。
実は浜名湖が近いので美味い鰻飯を食べようと、ファミレスなどの
店を無視し通り過ぎていたのです。
ところが鰻屋どころか、食事する店が全くないのだ。
途中、若林二つ堂に着いた。国道を挟んで両側に
お堂が向かい合っている不思議な造りです。
昔奥州 平泉の藤原秀衡が京都に上った時に病気になり、婦人が看病の為に
ここまで来て、行き逢った旅人から秀衡は亡くなったと、聞かされて、
気落ちした婦人は道の南側に薬師堂を造り菩堤を守って居たが間もなく死亡。
その数日後に、秀衡が、帰国途中にここに来て、
そのことを知り、婦人のために道の北側に阿弥陀堂を建て、
傍に婦人の墓を建てた。岩手平泉は私の故郷なのであんな遠くからと、
思うだけで感極まるものがあります。
阿弥陀堂の前で携帯が鳴りフォルクスワーゲンの担当者(女性)からでした。
新車を購入したので偉く愛そうが良いんです。この時期の購入も思い出になります。
妻が突如早歩きで前に前にと進みます。
私は慌てて追いかけますが旧街道からどんどん離れて行き
私の声も聞こえないくらい遠く離れましたが、着いたのでしょか?立ち止まっています。
やっと追いつくとそこは日本蕎麦屋でした。
あれこれ一時間前から腹減ったねと話しながら、この店は高そう、
この店はまずそうとか言いながら通り過ぎてきたので、「パパは優柔不断なので
いつまで歩いても食事できないから」と言われた。
その通り・・かも。29年の夫婦生活で完全に読まれています。
蕎麦屋のテレビで高校野球の決勝戦の再試合が始まっていた。
ハンカチ王子と田中の投げあいだ。
浜松城野面積 薬師堂薬師堂


「奥州藤原氏が栄華を極めた平泉中尊寺で1950年の学術調査の際、
源頼朝に討たれた四代泰衡の首桶から
見つかったハスの実が約800年の時空を超えて花をさかせた。
恵泉女学園短大の長島時子教授である。
〈中尊寺ハス〉と名付けられ金色堂下の大池跡に移植した。
直径15センチほどの薄桃色。(2011年7月13日新聞より)
30次宿場 舞阪 江戸後期1843年男1254 女1221
平成男55047女56655浜松市西区
やっぱりこうでなくちゃ。東海道の松並木街道が長池〜新町まで
約700メートル続いているのだ。
説明看板によると1714年には1420本現在は340本の松並木と記してありますが、
箱根の関所以来の見事な松並木だ。
松並木を抜けて国道一号線を横切ると舞阪宿に入った。
ひっそりとした町並みだが、あちらこちらで、家の建替えが進んでいる感じなので、
後何年この昭和初期の
雰囲気が残せるのでしょうか。宿場途中に、舞阪宿脇本陣が復元されていた。
大正時代に役場として利用されていたが、脇本陣としては旧東海道では松並木
唯一の【書院棟の上段の間】が残っていたため、建物を復元したとある。
いよいよ浜名湖到着しました。向こう岸に行くのに徒歩でも
行けるのですが思案の末、現在は渡し舟がないのでバスに乗りました。
車窓から景色を堪能しながら弁天神社も見ることができました。
31次宿場 新居 江戸後期1843年男1776女1698
(新居関所)平成58975男30017女28955湖西市
バスで8分位で、新居宿に到着。急いで新居関所に行きましたが、
時間オバーで見学できず。あきらめて外から建物と雰囲気を写真でパチリ。
昔は渡し舟も最終便は午後4時だったらしい。
近くの新居宿案内版に旅籠紀伊国屋とあったので、老舗で高そうだなと
思いながらも電話帳で調べたがない。
旅館で紀伊国屋教えてくださいと104番で聞いたがやはりない。
(そんなばかな!)
そこでやっと気が付いた。観光場所の案内で、見学する旅籠として
掲載してあったのだ。いまどき旅籠なんて呼ばないだろうって・・・・そりゃそうだ・・・・。
あほな夫婦の珍道中です。
夜通しで歩くなんって真っ平と思いながらも、だんだん宵闇迫るし、
宿がある雰囲気もまるでない。
駅に向かって橋を渡ろうとした時に、かすかに旅館の看板が見えた。
「おい、あれ見えないか?旅館の灯り」と叫んでいた。
自分でも声が上ずっているのが分かった。
「ごめんください。大人二人泊まりたいのですが」
女将さんが「夕食は間に合わんけど良いですか」
投げやりな感じ。「男ばっかりだけど良いですか?」と今度は意味不明な言葉。
部屋に案内された時に、皆が帰って来る前に、風呂に入ってくださいと言われた。
風呂が一つしかないのと、男共のうるさい酒宴があるらしい。
釣り客相手の旅館のようだ。夕食は浜名湖本場のウナギを食べに、
旅館の下駄を鳴らしながら駅方面まで出かけた。
私たち二人だけの客なのに焼きあがりまで30分超え。
待つ間のビールで夫婦で酔ってしまった。
うなぎは美味かったような・・・でも暖かい布団に寝れて、
めでたしめでたしの一日でした。
舞阪脇本陣 浜名湖浜名湖
平成18年8月22日(火)快晴 気温30.8 新居〜ニ川7時30分起床。(20回目)
8時朝食 9時出発には、女将さんが、表まで見送ってくれた。
風邪気味で鼻水がでるのでトイレットペーパーをビニールに入れて腰にぶら下げた。
見てくれでなく便利さ追求した結果で、シャツを乾かすためにリュックに
引っ掛けたりとかも平気です。
新居関所前を通り過ぎてしばらく行くと、ありました旅籠紀伊国屋。
見学も出来るんですが泊まれないので興味なし(負け惜しみです)記念撮影のみ。
今日は爽やかな朝を迎えて良い旅になりそうだ。
新居関所 旅籠紀伊国屋旅籠紀伊国屋


32次宿場 白須賀 江戸後期1843年男1381女1323
平成男30017女28955湖西市
旧東海道だけあって車の通行も少ないし、少しだが松並木もあって、
ウオーキングしやすい。どんどん街道も狭くなってきて、両側の家も
格子戸のある家や農家の立派な家もあって昔の街道らしくなってきた。
様々な理由はあるのだろうが時々売り地の立て看板があるので、なんとも言えない
やるせなさを感じてもどかしい。
曲尺手という交差点で妻がおばあさんに声を掛けられ呼び止められた。
「パパ、パパ」と呼ばれる方に行ったら玄関先で楽しそうに話している。
90歳のおばあさんから出た言葉「あんたらが気に入ったから、あげるよ」おばあさんが
布で編んだ草履をくれると言う。
こんな出会いってあるんだ!大事にしなくちゃ・・
急な汐見坂を登り切ると見晴台(遠州灘が良く見える)に着く。
ここからは緩やかなくだりだ。
近くにバイパスが通っているので、旧街道は地元の人以外はめったに
通らないのでは。先ほど買った桃を丸ごと食いつきながら
歩いた甘くて食べごろの桃でした。
いよいよ境川です。この境川を渡ると大きかった静岡県とお別れになります。
スピード違反の検問、警察も暑いなかご苦労様です。Kマートの看板が見えたので、
取り敢えずそこまで行って休憩にする。
10代の若者がオートバイのエンジン吹かしながら、二人乗りで2台きた。
ズボンを下げ、サングラスにサンダルはいて、悪ぶっている。
買い物が済んだのだろうか、店から出てきたので声をかけた。
一瞬怪訝そうな顔したが、「この先でスピードの検問やっているから、
ゆっくり行きなよ」と教えたら、「まじすっか、どの変ですか。
トンネルの先ですか」と必死に聞かれた。
今日はJR二川駅がある二川宿まで行くことにする。
足の甲が痛くなったと妻に言われたが、もう一キロくらいだから
頑張ろうと励ました。
そんな時に、かき氷屋と暖簾のかかったお店があったので珍しいなと
思いながら入ることにした。10人ほどで満席のお店に5人ほど先客がいた。
マスターが40年使用している機械なんだと語りながら、
手際よく氷を設置してシャキシャキと氷を削る音を出しながら、
グラスを上手に回して一山つくるのだ。私はイチゴ味妻はミルク味の
シロップをかけて出来上がりだ。
甘くて冷たいかき氷を食べたが暖かい雰囲気のお店でした。
白須賀一里塚 潮見坂
