ザルツブルクからウィーンまでは約300km。朝8時にホテルを出発したバスは、高速道路を昨日行ったザルツカンマーグートの北方にあるモント湖・アッター湖のほとりを通って東へと走る。
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モーツアルトの交響曲第36番K425の題名にもなっている都市リンツの南を走り、やがてメルク修道院が左手の方に見えてきた。(写真右)この修道院は、イタリアの記号学者ウンベルト・エーコUmbert Ecoの小説『薔薇の名前』のモデルにもなったことで有名である。実は、ウィーンでのオプション・ツアーとして”メルク修道院とヴァッハウ渓谷1日観光”が用意されており申し込んだのだが、参加希望者が少なく中止となってしまった。従って、ヨーロッパ最大のバロック僧院と言われるメルク修道院は、バスの中から眺めるしかなかった。
バスは午前中にウィーンの市内に入った。先ずは腹ごしらえ、という訳で昼食タイムとなった。食事の場所は、市立公園の近くのビルの1階にあるレストラン。店の名前はドゥブロヴニクDubrovnik、クロアチア南部ダルマツィア海岸にある都市の名前で、壁にドゥブロヴニクの街の俯瞰図の絵が描かれてあった。赤い色の瓦屋根が並ぶ海辺の町で、どこかイタリアの街を思わせる絵だった。巌谷国士がアドリア海の「処女」と呼ぶドゥブロヴニクにも一度訪れてみたくなった。
クロアチアのアドリア海岸につきでた城郭都市ドゥブロヴニクは、そのむかしラグーナという美しい名でよばれた(いまもイタリア人はそうよぶ)。・・・・・ところで、由来アドリア海の「女王」はヴェネツィアである。・・・・・・「女王」にくらべればあまりにも小柄で清楚なこの町には、いっそアドリア海の「処女」というような綽名がふさわしいかもしれない。〔巌谷国士:『ヨーロッパ 夢の町を歩く』(中公文庫)より〕
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今日の昼食のメニューは、ウィンナーの名物料理シュニッツェル(仔牛のカツレツ)。食事を済ませ、早速ウィーン市内観光に出かける。先ずは、徒歩ですぐ近くの市立公園Stadtparkへ。公園は緑が多く、ウィーンの街中とは思えないほど静かで、色鮮やかな花々が美しい。ここにはヴァイオリンを奏でるワルツ王ヨハン・シュトラウスの像(写真左)がある。金色の像はあまり芸術の都ウィーンにはいささか派手派手な印象を与える。市立公園の中で子供たちが我々に”こんにちわ”と声をかけてきた。ザルツブルクでも子供たちが声をかけてきたが、
どうやら日韓共催のサッカーW杯の最中なので、日本人に親しみを感じてくれるのだろう。この公園では中国人らしい旅行者の一行にも出会ったが、子供たちは我々が日本人だと直ぐにわかったのだろうか。
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次は、バスでシェーンブルン宮殿Schloss Schoenbrunnへ向かう。ガイドさんの説明では、シェーンブルンとは美しいschoen泉brunnenからきているとのこと、庭園にはネプチューン噴水をはじめ幾つかの泉が配されている。庭園の真中にネプチューン噴水があり、その後方の小高い丘の上にギリシャ神殿風のパヴィリオン”グロリエッテ”Glorietteが建っている。(写真右)グロリエッテまで往復すると1時間はかかるそうで、生憎時間がないので遠くから眺めただけ。
宮殿内部の公開されている部屋も見学した。ハプスブルク家の夏の宮殿として建てられ、マリア・テレジアに愛されたというシェーンブルン宮殿の中は豪華な造りであったが、東洋風の漆塗りの絵で飾られた部屋が印象に残っている。
再びバスに乗って、ウィーンの中心部にあるシュテファン寺院Stephansdomへ。幾何学的模様の屋根が特徴だが、外壁は大気汚染の所為かあるいは第二次大戦での空襲の名残か真っ黒で、美しい建築物とはお世辞にも言えない。寺院前の広場にはオペラに登場する人物のコスチュームに身を包んだ人達が、コンサートの勧誘をしている。また、顔を銀色に化粧し、全身銀色の衣装で台の上でじっと動かない大道芸人もいた。お金を上げるとパントマイムをしてくれる。
そういえば、フランス旅行をした時も、エクス・アン・プロヴァンスAix-en-Provenceの街の大通りで真っ白に顔を塗って自由の女神風の白の衣装の大道芸人がいたことを思い出した。やはりお金を上げると、シャボン玉を吹いてその後じっと静止したままの姿勢に戻った。
市内観光を終えて、ホテルへ向かった。今夜の宿はヒルトン・ヴィエナ・ダニューブ、旧ホリデイ・イン・ハンデルスカイである。ドナウ(ダニューブ)川沿いのハンデルスカイHandelskai通りにあるホテルで、今回の旅行ではザルツブルクと共にAクラスのホテルで、ここでも2泊する。我々一行の部屋は、残念ながらドナウ川には面していなかったが、部屋は広くまたエアコンが入っており、今夜は寝苦しさからは解放されるだろう。
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ホテルで一休みしてから、ナイト・ツアーに出かけた。夕食とコンサートのツアーである。夕食は、オペラ座近くのビア・レストラン"Groesser Braeu"、メニューはドロッとした豆のようなスープ、白身魚のムニエル、デザートのお菓子であった。勿論飲み物はビール。夕食が済んでコンサートSchoenburunner Schlosskonzerte(写真左)に出かける。会場は、シェーンブルン宮殿脇のオランジュリーOrangerie(オレンジの栽培ハウスとのこと)の予定であったが、会場に着いてみると何とこの日は宮殿内のホール(写真下)で行われるということであった。
むしろラッキーな変更であった。
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コンサートの曲目は、オペラのアリア、バレーなどのほか、モーツアルトの管弦楽曲やヨハン・シュトラウスのワルツなどが演奏された。アンコールは、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでお馴染みの”美しく青きドナウ”と”ラデツキー行進曲”であった。ラデツキー行進曲は、指揮者の合図に合わせて聴衆が手拍子を打って大変に盛り上がった。こうしてウィーンの楽しい夜は終わった。