6月14日(第5日目−その2−)

グラナダ

グラナダの世界遺産は、アルハンブラ宮殿ヘネラリフェアルバイシンが登録されている。
ミハスからグラナダまではバスで約2時間の旅である。グラナダに着いて真直ぐにアルハンブラ宮殿に向った。今回の旅行で私の最大の期待スポットは、グラナダのアルハンブラ宮殿である。 タルレガTarrega作曲の名曲“アルハンブラの想い出”のトレモロの物悲しい響きが、亡びしものの懐かしさの感情を起こさせる。

アルハンブラ宮殿の案内人は現地の男性ガイドさん、日本語が上手で冗談を交えながら説明をしてくれた。城内には「裁きの門」と名付けられた門から入った。最初に入った建物は「カルロス5世宮殿」で、建物の中央 は大きな円形のパティオとなっている。そこは、何かのコンサートの準備中らしく、椅子がぎっしり並べられていた。上を見上げると真っ青な空が大きな円形に切り取られて見えた。

アルハンブラの名前の由来の赤い壁

裁きの門

カルロス5世宮殿のパティオ
(画像のクリックで拡大表示)
アルハンブラとは、アラビア語の「アル=ハムラー(「赤いもの」の意)」に由来するとのこと

次に、カルロス5世宮殿に隣接する「ナスル朝宮殿」に入った。ここは沢山の見所がある。
殊更美しいのは「アラヤネスの中庭」。アラヤネスというのは“天人花”のことだそうで、池の両側に天人花が植えられていることに因んだものの由。中庭の大きな部分を占める池には満々と水が湛えられ、建物の姿を映す様は譬え様も無く美しい。
次いで、ライオンの中庭。庭の周りをアーチ型の柱廊が取り囲み、幾つもの間が控えている。柱の上には繊細なアラベスク模様が施され、透かし彫りから光りが漏れてくる。

アラヤネスの中庭
 
ライオンの中庭
(画像のクリックで拡大表示)

二姉妹の間の鍾乳石飾りの天井も宮殿随一の美しい天井である。他の部屋にも、寄木細工造りの天井や夜空の満点の星を思わせる天井などがあり、どれもが印象に残るものであった。

二姉妹の間の鍾乳石飾りの天井

寄木細工造りの天井

星空の天井
(画像のクリックで拡大表示)

アルハンブラ宮殿の美しい数々のスポットを見て、次にヘネラリフェ離宮へと向った。ヘネラリフェはアルハンブラ城外の東の小高い「太陽の丘」の上にある、ナスル朝の離宮。ここにも細長い池を囲んで花々が咲き乱れ、噴水が 水しぶきを上げる、水と緑が美しく配置された夏用の別荘だったそうである。ヘネラリフェを見てアルハンブラ宮殿の出口に戻ると、そこには赤い実を付けたザクロの樹があった。ザクロはスペイン語でグラナダと言い、この町のシンボルなのであろう。

ヘネラリフェ遠望

ヘネラリフェへのアプローチ

ザクロの実
(画像のクリックで拡大表示)

今日のガイドさんは商売上手とみえて、この後自分の知人が経営する土産物店に案内してあげると言う。グラナダ市内中心部のその土産物店には、当地名物の寄木細工の品々などが置かれていた。そこからホテルへ向う時刻は午後7時過ぎなのに、バスの外は 昼下がりのように未だ明るい。遥か遠くには夕日に映える雪を残したシエラ・ネバダの山が見えていた。
ホテルに着いてレストランでの夕食の最中に、グラナダ大学の音楽団員だと称する3人がやって来て、音楽を演奏するから聴いて貰えないかと申し入れがあった。キターとマンドリンとタンバリンを持った3人で、3人のうち2人は学生にしては老け過ぎの 感じがしたが、これも旅の一興と演奏してもらうことになった。シエルト・リンド、ラ・パロマなど我々も知っている曲を数曲唄って、その後グラナダ大学音楽団の演奏を録音したCDやカセット・テープの販売を勧誘し、結構捌けていた。
今夜はアルバイシン地区にあるタブラオ(フラメンコのファイブ・ハウス)にフラメンコを見に(聴きに?)行くことになっている。午後10時少し前にバスに乗って出掛けた。アルバイシンに着いた時も未だ薄明るく、 シエラ・ネバダも見え、西の方は夕暮れの空であった。さっき行ったアルハンブラ宮殿もライト・アップされて浮かび上がっている姿が見える。

夕日に映えるシエラ・ネバダの山

グラナダ大学の学生トリオ

アルバイシンから見たアルハンブラ
(画像のクリックで拡大表示)

タブラオでは先ず飲み物が出され、好みによりワインやジュースなどを飲みながらフラメンコの演奏を視聴した。音楽はギターと電気バイオリンと歌手という3人、踊りは女性4人と男性1人。踊り手は音楽に合わせて手拍子を打ち、その内代わる代わるに 踊りをみせる。観光客向けのフラメンコ・ショーのような感じはしたが、本場のフラメンコの雰囲気は味わえたのではないかと思う。
フラメンコの踊り (画像のクリックで拡大表示)
フラメンコで思い出したが、40年位前にフラメンコ・ギターのレコード買っている。演奏は、マニタス・デ・プラタManitas de Plata(銀の手)と呼ばれるフラメンコ・ギターの名手、南フランス生まれのジプシー、世界各地から演奏に招かれるが飛行機 と船が嫌いで生まれた南フランスを離れたことがないと言われる。ピカソがマニタスの演奏を聞きにアルルを訪れたこともあるほどの有名人。帰国してから、思い出してレコードを聴いてグラナダを思い出しつつ、本物の名手のフラメンコ・ギターを 楽しんだ。
前のページ 次のページ(6月15日)