8月

・「時給いくら?」「汚れない仕事がしたい。」「年寄りの世話はイヤ。」
 ・「滞在費がありません。」 「帰宅交通費を貸してください。」
 ・「私の寝る場所がない。」「食事が悪い。」「この救援物品、私にください。」
 ・「高2の娘が神戸に行ったらしい、神戸の消防に捜させてください。」
  (横浜市内の親、横浜市内の消防署に「責任をとれ」と苦情、相談)

阪神淡路大震災では、ボランティア元年と言われるほどボランティア意識は高まった。しかし、被災者とボラ、ボラとボラコア、そしてボラネットに温度差があり、このような『俄かボランティア』によるシーンも多発した。
現在では、ボランティア組織、受け入れ被災地、行政や公的機関とが好ましい協働態勢がとれるところまで進化していることはご存知のとおり。
  ナホトカ号原油漂着事故では、ボランティア先進国アメリカが賞賛するほどの成果を挙げた。人の命にかかわらない災害ではあったが『人・物・金』がバランスよく回転した。このときの地域住民・漁協や行政機関のボラを大切に遇した活動は、災害ボランティア活動を有効に行いたいと考える私たちに示唆を与えてくれた。
その後。中越地震以降の災害では、うまくいく一方、『救援物資より義捐金』『特定能力人材優先』などなど、不満がくすぶるような状況も見られ、そのつど学習の必要性も感じられるようになった。ボラパワーを発揮できるかどうかはコアボランティアやコーディネーターの能力次第と言っても過言ではない。