東日本大震災、半年後のボラ活動、今後のボラ活動
保土ケ谷区災害ボランティアネットワーク 委員 佐藤榮一
3月11日から6か月も過ぎてしまいました。復興の兆しが見えたとの政府見解が出される半面各自治体は被災者底辺や自治体インフラ整備に苦悩しています。ボランティア活動では感謝され充実感をいただき帰ってくることができますが調査活動では現地の関係者から嘆きと怒りを突き付けられ、やるせない気持ちで戻ってきます。しばらくは悶々としているこのごろです。3月4月の希望を感じながらのボランティア活動と現在の非力感との落差に虚しさを感じ、これではいけないと気を取り直そうと努めるこの頃でもあります。
覚えていますか? もう遠い遠い昔になったような気がします。
ボランティア担当大臣が任命されたことが有りました。彼女は任命されたことが報じられた時と、短時間に一部分の現地視察を行った時だけ名前を見ました。その後、公式の報道に載ることがないまま新しい内閣になってしまいました。ボランティア支援を担当する部署の地方行政職員からも担当大臣の意向は届いてないとの談話も多く聞かされました。また元復興担当大臣の被災地に対する目線や感情、当初の官房長官の原発一本の内閣広報など、震災全体を見通すことができなかった政府に対する被災者感情は、私達ボランティアにもさまざまな感情を呼び起こさせる結果になっていることは否めないと思います。
6ケ月が経過して避難所の閉鎖や様々な生活支援の打ち切り、権利の制限など暗澹たる生活の中に私たちボランティアはどのように対応すべきか悩むところです。新内閣発足と同時にまたまたの失言、特にこの失言は、事故直後避難した子供が福島とあだ名をつけられ、放射能がうつるといじめられたり福島ナンバーの車が傷つけられたこととまったく同じことです。それが原発監督官庁の最高責任者の頭の中も破廉恥な人々や悪ガキと同じであったとは・・、絶望という言葉しか浮かびません。
私が現地に行く活動の一つが調査活動ですが最近は被災者の絶望感、行政の焦燥感、支援団体の無力感が伝わってきます。「頑張れ、頑張ろうなら誰でも言える。」「苦悩を聞いてくれ、伝えてくれ。」と言われることが多くなりました。ときには傾聴ボランティアのようにひたすら聴くということに徹することも多くなりました。今や地域という人格がメンタルケアを必要とする状態になり始めているのではないかと心配になります。
これから私たちにできることは被災地にこれからも忘れずに、寄り添い微力でも支え続けるという気持ちを理解してもらえるようボラ活動を続けていきたいものですね。先にお伝えした被災地の社会福祉協議会の役員でありボラネットの責任者であるA氏が当初に「2年後3年後に忘れずにボラ活動に来てもらいたい。」と述べられたことを思い出します。
終息が見通せない今、現地の絶望感、不安感に配慮しながら息の長い活動をしていかなければならないと思います。
つい先日も、「被災者はあきらめないので支援の皆さんは被災地を忘れないで」とメッセージをいただきました。その矢先の大臣失言問題でした。この原稿に急きょ怒りを込めて加筆いたしました。