震災孤児・遺児、親を亡くしたこどもたち

保土ケ谷区災害ボランティアネットワーク 委員 佐藤榮一

今回の東日本大震災、家族の被害が際立った災害ですが特に保護者を失った子どもたちの被害が私たちを捕らえて心から離れません。震災孤児や戦災孤児はそんなに遠くない出来事として身の周りにありますが私たちはその子たち一人ひとりの心情を汲み取ることはできません。かつて阪神淡路大震災のころ、死なない・死なせない。をテーマにした講演会で『小さな木の実』を聴講の皆様とともに皆で泣きながら大合唱したことを思い出しました。
覚えていますか、2年前の3月20日頃、新聞テレビで大きく取り上げられた一人の幼女のことを・・・。
その名は愛海ちゃん、行方不明のママへの手紙『ままへ、いきているといいね。おげんきで・・・。』そのまま眠ってしまった写真が掲載されました。その後、震災孤児・遺児の状況がリポートされ報道されてきました。震災後早い時期に1700人くらいという数字が出て、高齢者の被害とともに今回もやはり家族の被害に向き合わなければならないのかと思うとつらいものが有りました。今年、2年後の愛海ちゃんの写真がまた掲載されました。この4月には小学1年生になるとのことです。周囲の温かい保護によりホッとできる画像でした。でも、まだまだ多くの『愛海ちゃん』がいるのです。阪神でも起こりましたが引き取り手のいない子どもたちもいます。
あしなが育英会や神戸レインボーハウスが阪神の経験を生かして東日本にも手を差し伸べてくれていますが人・物・金など諸般の状況は過酷なようです。

阪神淡路大震災の際、私の取材の中で、両親を失い祖父母に育てられていた子が3年後小学校の入学式を控え、「親子連れを見てうらやましがるでもなく、ぼくのお母さん、お父さんは?と尋ねるでもなく、ただひたすらに良い子でいようとしているのが不憫でなりません。」と祖母が述べられていた辛い状況に遭遇したことを思い出します。
この度の大震災でも約1700人の子どもが震災孤児・遺児になりました。愛海ちゃんのように保護者から温かく育ててもらっている子もそうでない子もいると思いますが、彼女のように明るく幸せになってほしいと誰もが心から願っていると思います。
それにしても、『あしなが』にしても『レインボー』にしても、2年を経過した今さまざまの公的支援が打ち切られようとしているようです。
私たちは、物心両面から支援する心を持ち続けなければならないと皆様に声掛けをする次第です。


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