災害避難3 『過去の教訓・遺訓から学ぼう地域の安全』
保土ケ谷区災害ボランティアネットワーク 委員 佐藤榮一
今年の災害は、台風・大雨による土石流・がけ崩れ・河川氾濫がめだちました。それらの規模と形態は過酷な被害をもたらして「かつて無かった」とか「未曾有の出来事」などと報道されましたが果たしてそうなのでしょうか。
やはり教訓は遺訓として残されていたのです。その一つは、長野県南木曽町の土石流災害です。今回の土石流の後を片付けていたら数十年前の痕跡が出現しました。巨大な岩に『蛇抜けの碑』と彫られていました。この岩はあまりにも大きすぎて撤去することが困難だったのでそのまま慰霊の碑としたそうです。今回、地元中学生が清掃などの保全活動を行い友人の慰霊に努めるそうです。南木曽では、土石流や鉄砲水を蛇抜けと言い伝えてきたそうで蛇抜け橋、蛇抜け沢などがあります。この蛇抜けという言葉はさらに古くから『白い雨が降ったら蛇が抜ける』と言い伝えられていてこの沢には近づかなかったといいます。『臭い白い雨』、『カラカラゴロン』、『ズズー』という現象は鉄砲水『蛇抜け』の前触れとして認識されていたようです。
もうひとつは、広島市安佐南区八木に発生した大規模土石流の現場に関わることです。
近年の都市開発により住宅ができ人が住むようになりましたが、郷土史家の中には、人が住むには無理があったとも言っています。それは古地名が消滅してしまった残念なことによると言っています。
現地の江戸時代の地名は、『八木蛇落地悪谷(じゃらくぢあしだに)』でした。江戸末期から明治時代になって『八木浄楽寺芦谷(じょうらくじあしだに)』と極楽浄土のような地名になり、現在は八木だけになってしまったとのことです。今となっては、と前置きしながら、旧地名が残されていたら住まなかったのにという人が大半でした。
(浄楽寺住職談として、「悪谷という表記の資料は見当たらない。」という。)
そのほかにここでも『臭い雨、風』『カラカラ・ゴロゴロ』の現象が雨天時には常態的に発生していたようです。
大地震や大津波にも伝承や遺訓があります。
末の松山伝説(小倉百人一首)、津波石、波切り神社、「地震海鳴りホラ津波」、「ここより下に家を建てるな」、「津波テンデンコ」、など心しなければならないと思います。
温故知新、古いことを大切にして新しいことに気づく。技術革新の時代に新しいことが古いこととつながらなくなりつつあります。
首都圏に住む私たちは、もう一度『木造密集地の大火災』について考えましょう。