日常生活の延長線上にある防災。

顔の見える関係を!

石巻にでかけてきました

 8月3日(日)宮城県石巻市に出かけてきました。東日本大震災発災から3年半が過ぎた現在でも仙石線の全線開通がまだなので、仙台駅から石巻駅までは、1時間20分の高速バスを利用しました。高速道路は整備され、でこぼこもなく快適に進んでいきます。市内に入る辺りの左側は広々とした平地が広がり、重機が高速道路沿いに並んでいました。後から聞いた話では、仮設住宅から移る人たちのための土地の整備をしているとのことでした。復興の途中としか思えない区域が今でもあるということを感じました。

 市内中心地では、家々の修復工事も済み、屋根瓦にブルーシートがかけてある家は数えるほどでした。(そのブルーシートが東日本大震災発災のときからかけられているものかどうかは、車中から見た状況でしたので確認していません)。発災当時は自衛隊のボートで行き来していた生活道路沿いのブッロク塀に残っていた水位のシミもすっかり消えていました。

いまも居住のプレハブ住宅
いまも居住のプレハブ住宅

 2階建てのプレハブ住宅がずらりと並ぶ地域がありました。自衛隊が救助の拠点としていた場所の跡地に、仮設住宅をたてたそうです。道路を挟んで向かいあう区画に立ち並び、洗濯物が干してあり、玄関の外に靴があるなど、どこもいまだに避難生活をしている様子がうかがえます。

 [日本赤十字社]石巻赤十字病院の隣接地はビルの鉄骨を組み上げる工事中です。『現在の日赤病院では、市民のニーズに答えきれないので、増設工事をしている。被災した市立病院の再建ができないので、日赤を大きくすることになった』と、住民が話していました。
 津波にさらわれ、新築の家々が水につかりながら残っている地域の様子は、3年前に訪れた時と変わっていないということも聞きました。復興するまでに20年、30年といわれていますが、まさにその通りであることを見てきました。あらためて、日頃の備え、心構えを含めた準備がたいせつだと思った次第です。

 懐中電灯の電池はありますか?
 備蓄食料の消費期限が過ぎていませんか?
 水、トイレ、常備薬。準備してありますか?
 本号、「保土ケ谷区危機管理計画修正」記事中に「帰宅困難者の備え」があります。ご参考までにご一読ください。