東日本大震災支援ボランティア活動報告
平成23年9月6日から9日までを佐々木委員が、9月9日から12日までを飯島委員が相次いで東日本大震災の支援ボランティア活動に参加しましたので報告します。
被災地石巻にて (2011/9/6〜9/9)
取材:災ボラ 佐々木 安恵委員
宮城県石巻市立大川小学校の周辺他を取材しました。
北上川を遡り、78人の子どもの命をのみこんだ巨大津波は、被災後半年を過ぎた今でも、その爪跡をありありと残していました。学校周辺の杉の木は塩水がかかった位置まで立ち枯れて、付近には、がれきが無造作に小高く積まれたままでした。「復興」という言葉の重さ、被災地の人々の我慢強さを痛感しました。
被災地釜石を訪れて (2011/9/9〜9/12)
取材:災ボラ 飯島 一彦委員
横浜災害ボランティアネットワーク会議が主催の横浜発ボランティアバス 第6回(最終回)に参加し、市民から一般公募された31名と市社協スタッフ4名が、かすり傷一つなく無事に任務を終えたので報告します。
事前の説明会では、活動先 岩手県釜石市内、活動内容 「青空市の支援(物資の搬入搬出等)」を想定していましたが、出発当日の夕刻、「被災地からのニーズが「泥かき」に変わり長靴持参」の電話連絡がありました。さらに現地の受付で確認するまで本当のニーズはわかりません。
岩手ナンバーのVolvo社製の迎えの大型バスに乗り午後10時に出発しましたが、車中泊の不慣れさと2日間の屋外活動を思い起こしての不安と緊張で多くの方が睡眠不足のようでした。
釜石市災害支援ボランティアセンター
依頼者から作業内容と注意事項を聞く
釜石市災害支援ボランティアセンターの受付でボランティア要請票がわたされました。それは「唐丹(トウニ)小学校のグラウンド整備」でした。「釜石の軌跡」として幾度となくマスコミ報道された小学校で3.11の津波では3階建の校舎はすべて被災し当時のまま残されていました。グラウンドは一応重機で整地されていますが、津波によるガラス片や石ころがたくさん埋まっていて怪我が絶えないので、「子供たちが野球でスライディングできるグラウンド」にしてくださいと訴えられ、子供たちの笑顔と歓声を頭に描きながら一生懸命ガラス片を拾い集めました。
校舎近くにガラス片が多いので
横一列になって
ガラス片や石ころを拾い集めて約40袋
9月11日 曇り 本日のボランティア要請票は、「河川敷の草取り」でした。依頼主の釜石市大渡町内会の会長さんは、津波以来、広域避難所の責任者としてご苦労されてきた方です。半年ぶりに帰ったら河川敷が身の丈を超える草が生い茂るのを見て驚いたそうです。ここは秋になると各種のイベント会場として利用しているので、草取り100名のボランティアを求めたそうです。少し遅れて秋田大学の学生ボランティア38名が到着し、作業エリアを決めて活動しました。
午前中の河川敷のビフォア
アフター
折しも3.11から丁度6か月目、午後2時46分 町の有線放送からサイレンが鳴り響き私たちもその場で黙祷を捧げました。その1分間、いろんな想いが去来し目頭がうるんできました。
初日の出発直後のあいさつで「心をひとつに!」「目線を現地に合わせて」「健康に留意」「チームワークを大切に!」というキーワードをパネルにして訴え、30名のボランティアさんとスタッフ4名の全員が協力して、心をひとつになれた喜びをかみしめています。
黙祷
秋田大学の学生ボランティア38名