4月の地域紹介

東日本大震災:宮城県石巻市より

ささきやすえ 記

毎回、保土ケ谷区内の地域拠点防災訓練などを中心にお送りしている「地域訪問記」ですが、宮城県石巻市在住Y.Kさんから、被災された時の様子を伺うことができましたので、ご紹介します。なお、方言については、標準語の記述にしました。

 宮城県石巻市貞山在住:Y.Kさん(主婦 50代)

地震のあと津波警報がでたので、海側に住んでいる私は、すぐに山の上の方に逃げなくていけないと思ったの。家族は仕事に行っていて、家には一人だった。なにしろ急いで、前から準備していた避難袋と飼っている犬を軽自動車に積んだのよ。
隣の家に足の悪いおばあちゃんがいるので、迎えにいったら、「あれも、これも」と言って、持って逃げる品物を選び始めたの。「そんなことしている時間はないから」と引っ張るようにして乗せて、走り始めたら、大きな波が後からどんどん近づいてくるのがわかった。怖かったけれど、とにかく上に上にと走って避難所に向かったの。後から聞いた話だけれど、「まさか津波がこんなに内陸までくるはずがない」って、避難しなかった知り合いがいたのよ。このあたりで一番高いあの病院が屋上で救助を求めるほどだったのだもの20メートルではきかないほど大きな津波だったと思う。

避難所におばあちゃんを降ろしたけれど、犬を連れていたし、車を止める場所がなかったから、そのまま運転して、たまたま駐車場の空いているコンビニを見つけて、そこに停めさせてもらったの。あとからあとから車が来て、どんどん停め始めたものだから動けなくなってしまって、それから3日間をそこで過ごしたの。夫はそのコンビニにも私のことを探しに来たけれど、ちょうど駐車した場所が死角になっていて、見えなかったようなのね。それで、地震がおきてから3日間「行方不明者」だったの。

自動車に積んだ食料は1週間分ほど、毛布もあったので、避難してきた保育所の子どもたちに分けたり、子どもたちは私の犬と遊んだり、初めてあった人たちとも協力して3日間を過ごしたわ。
家はなんとか残ったけれど、1階は水につかって、電化製品と風呂場がダメになった。ガスはプロパンに替えて生活しているの。布団、箪笥類は全部2階に置いていたので無事だった。今、夫は、朝から食べ物を配るボランティアに行ってしまうので、家の片付けは私ひとりでしているの。なかなか進まなくてたいへんだけれど、こうして命があったし、家族、親戚も無事であったことはとってもありがたいと思っているのよ。まだまだ、これからだけど、まあ、頑張っていくしかないものね。

Y.Kさんのお話から、隣近所の助け合いを当然のこととし、我慢と感謝の気持ちを持って常日頃から生活している「東北人気質」を感じました。
保土ケ谷区に住む私たちも、自分の身は自分で守り(自助)、さらに、隣近所の助け合いの気持ち(共助)を持ち、いつくるかもわからない災害に備えることが必要かと思います。