5月の地域紹介

今号の地域訪問記は、被災後ひと月が過ぎた宮城県石巻市の被災者の方々の様子などについての話しを、「かながわ女性防災」事務局、「保土ケ谷区災害ボランティアネットワーク」運営委員の大尾美登里さんにお願いしました。

「宮城県石巻市を訪れて」

かわがわ女性防災  大尾美登里

4月16日
夜11時、横浜駅からボランティアバスに乗車し、途中立川駅に寄りました。翌朝6時頃、宮城県石巻市内のボランティアセンターのある専修大学に到着しました。事前に被災地から要望のあった「個々の家の泥だし」、用装備で参加したところ、介護職をかわれ現地で「温泉入浴の介助」の活動をしました。大型バスで出向いたので活動中、空車となる時間を利用して、被災された方々を松島の大観荘の温泉招待にご案内し合わせて介助と傾聴ボランティアとして活動しました。

出発前に!
現地の方々の声として聞いていたのは「生の果物を食べたい・葉物の漬物を食べたい」ものでした。少しでもその声に応えたいと思い、松原商店街にでかけ8パックの苺と多量の白菜漬など求め、持参しました。今回のボランティアバスの運行は、参加者が費用負担をして実現したのもで、バスという容量の大きさを幸いに、各々が支援物資を持参していました。

避難場所では!
訪れた避難所の一部屋は6〜7人が同居していましたが寝床は、小学校の教室の床の上に、薄いシートと支給品の固い毛布2枚をひき、同じ毛布3枚をかけて寝るというものでした。数日後、授業再開を機に体育館に移動するというのに遠慮気味に寒さや体の痛みを漏らされるだけで、厚手のカールマイヤーの毛布のある方はただ一人。着の身着のままで避難された方々は、支給品の毛布に不満を言うわけでもなく、多くの支援に感謝していますと言われるばかりで、胸がつまる思いがしました。

あの!即席のポテトサラダは現地でも喜ばれました。
被災地で、朝食に出されたポテトのお菓子を仲良くなった子供たちからもらったときのことです。2月27日「保土ヶ谷区災害ボランティアネットワーク」の研修会でもご紹介した「スナック菓子のポテトがポテトサラダに」のメーカーとは違っていたので不安でしたが、手で砕いて袋の中にお湯を入れ柔かく戻し、即席のポテトサラダを作り、40人ほどの避難者の方に少量づつ配ったところ、ぼそぼそとした食感のお菓子が、やわらかなポテトサラダに変身すると皆さん驚き、そして「おいしい」と喜んでくれました。

この東日本大震災に直面して、災害ボランティアとしての自分の活動のありかたや姿勢について考えさせられました。今まで以上に、災害に強いまちづくりを目指して多くの方と協力し、もっと具体的で着実な活動をしなくては、とあらためて思っています。
・ボランティアとしての出発前の準備に欠かせないもの
 被災地、被災民がどんなボランティアを望んでいるのかを聞き、知る。
 被災地、被災民がどんな支援物資を必要としているのか聞き、知る。
・日ごろ色々なジャンルの活動グループとかかわっているつもりだったが「防災活動」となると声掛けをするのは同じような活動をしている人とのみ連携しがちだったけれど、今回の支援は様々で色々なかかわりが必要と痛切に感じた。ボランティアバスで同行した方々の中に子育て支援 外国人支援の方たちが多く参加していて、子ども相手の手遊び・本読みなど、災害ボランティアとしては気がつかない部分の支援で活躍していた。
・表面上は冷静な避難民の方々がふと漏らされる心の内は、かける言葉を失うほど深く傷つき苦しく不安に満ちていた。しかし目の前で家族を亡くし、住まいを流された身の上を「それでもまだ良いほう」と言い、自分のおおきな悲しみを内に押し込み、支援に来た我々の労をねぎらい、感謝を表し帰路を気遣ってくれた。また就職の決った喜びを、他の避難民の方々の心情を思いはかり表に出すことをためらうご夫婦と出会った。悲しみも痛みも喜びも素直に出すことができない状況はどれほど辛く、心を病むことだろうか。万病の原因はストレスというがどんな病気になってもおかしくないと思えるほどに皆さんのことが心配で仕方がない。思いはある、しかし無力である。
・私たちに何ができるのか
・どのような役割が担えるのか
・災害ボランティアはなんのためにあるのか
・この災害を対岸のものと思わず、自主防災・減災の信念を持つ人々がつくる保土ケ谷区災害ボランティアネットワークという組織があること、また活動の意義をアピールし区民の理解と参加を呼び掛けるよい機会にするための組織的活動を、もっとしなくてはならいのではないか。