福島県いわき市へ
取材:災ボラ委員 佐々木 安恵
東日本大震災による発災、そして福島県は原子力発電所からの放射能漏れの事故から1000日が過ぎました。当初は、2年間といわれていた仮設住宅での生活ですが、いまだに仮設住宅で暮らす人の多くが、望むとおりの復興はなされていないのが現実のようです。実際、被災地で暮らす人が「被災地で頑張れば復興できると信じて頑張ってきたけれど、頑張ることと復興は、必ずしも同じではないことがわかった」とテレビのリポーターのインタビューに答える印象的な場面をみることがあります。
11月下旬、福島県いわき市への買物支援ツアーに参加しました。朝7時半に横浜を出発し21時近くに帰宅するまでの間、海産物、名物の菓子店、パーキングエリアなど7箇所ほどの場所をバスで移動しながら、福島県のおみやげ品の買物をするという企画でした。目的が「買物」と明確なので、参加者はバスが停車するごとにあれこれと買い求めていました。
途中、私たちは海辺のある町を訪れました。人のいない浜にぽつっと立っているコンクリートの柱だけが残った監視やぐらは3月11日のまま。町が波にさらわれそうになった瞬間を黙って語っているようでした。事故以来、居住する住民世帯は半数以下に減り、現在は160世帯ほどが暮らしているとのことでした。けれど、町中を走っているバスの中から、生活道路を歩いている住民を見かけることはありませんでした。新築の家が立ち並ぶ一角がありましたが、洗濯物は外に干してありませんでした。秋とは言え、昼の最中にカーテンが引かれている家が多かったことも気になりました。
大規模地震と原発は、風評被害も加わり、町が閉ざされていると感じました。
「3、11を風化させない」という思いをもって、語部としてあの日を伝えてる町人の話を聞きましたが、印象深かったのは「いつまでも支援物資をいただく生活ではなく、自分たちの力で生活していきたい」という言葉でした。
町を歩き、洗濯物を外に干し、普通の生活ができるようになるのはいつのことだろうかと、そんな思いがよぎりました。今、「私にできる支援は何だろう」とあらためて考え始めた一日でした。